久しぶりのブログ掲載となった。別に具合が悪かったわけではない。何となく心がブログに向かなかった。そう、それだけといってしまえばそれだけのことなのだ。
さて、東日本大震災1周年を迎えて、この震災を扱った本が書店にあふれている。この中から、「歴史としての3・11」(河出書房新社編集部編)と「3.11を心に刻んで」(岩波書店)を読んでみた。前者は中井久夫の名が底に含まれているのに惹かれて、後者は赤坂憲雄の名があるのに惹かれて。
「歴史のとしての3・11」ではこんな文章が心に残った。
「爆心から遠くに離れた場所に棲まう人びとが、こちらからすれば取るに足らない空間線量におびえ、騒いでいるときに感じる微かな軽蔑と羨望と憎悪。理屈から云えば、彼らは福島、あるいは東北関東の住人を、既に失われたものとして見ているのでは?」
「事故の直後、社会問題に関心の強い、いわゆるリテラシーの高い二十代の女性から、福島の犠牲の上に電力を確保していた東京都民として、福島に実家を持ち茨城に棲まうあなたに対して申し訳なく思うという意味のメールをもらい、闇雲に腹がたった。さほど距離に違いがあるわけでもないのに、より爆心地に近い僕と自分の間に線を引いている。加害者として詫びることで、僕を犠牲者の位置に追いやって(自分は)安全に位置に逃れた気でいる。」(共に神山修一)
そう、身の回りにも、「東北」には同情をかたりつつ、風評被害を体現しているトンでも人間を見るにつけ、この言葉を私の言葉で語りかけたくなるのは私だけの心情だろうか。
「3.11を心に刻んで」では、
「遅れてやって来るかもしれぬ、それゆえ、やって来ないかもしれぬ言葉の群れを、ただいたずらに待っているわけにもいかない。わたしはたしかい、あの日からの一週間、まったくの沈黙のなかに過ごした。そして、穴ぐらから這い出すようにして語りはじめた。あまりの言葉の無力さに、正直にいえば、ときおり立ち往生する。ひとしきり自己嫌悪にさいなまれ、沈黙に身をひそめ、また語りはじめる。そうした行きつ戻りつの姿をさらすことしか、いまは許されていないのだと思う。」(赤坂憲雄)
東北学を提唱し、東北の大学に籍を置いた赤坂憲雄の言葉として、幾多の言説よりは思いこの言葉に思いをはせたいものだ。
さて、東日本大震災1周年を迎えて、この震災を扱った本が書店にあふれている。この中から、「歴史としての3・11」(河出書房新社編集部編)と「3.11を心に刻んで」(岩波書店)を読んでみた。前者は中井久夫の名が底に含まれているのに惹かれて、後者は赤坂憲雄の名があるのに惹かれて。
「歴史のとしての3・11」ではこんな文章が心に残った。
「爆心から遠くに離れた場所に棲まう人びとが、こちらからすれば取るに足らない空間線量におびえ、騒いでいるときに感じる微かな軽蔑と羨望と憎悪。理屈から云えば、彼らは福島、あるいは東北関東の住人を、既に失われたものとして見ているのでは?」
「事故の直後、社会問題に関心の強い、いわゆるリテラシーの高い二十代の女性から、福島の犠牲の上に電力を確保していた東京都民として、福島に実家を持ち茨城に棲まうあなたに対して申し訳なく思うという意味のメールをもらい、闇雲に腹がたった。さほど距離に違いがあるわけでもないのに、より爆心地に近い僕と自分の間に線を引いている。加害者として詫びることで、僕を犠牲者の位置に追いやって(自分は)安全に位置に逃れた気でいる。」(共に神山修一)
そう、身の回りにも、「東北」には同情をかたりつつ、風評被害を体現しているトンでも人間を見るにつけ、この言葉を私の言葉で語りかけたくなるのは私だけの心情だろうか。
「3.11を心に刻んで」では、
「遅れてやって来るかもしれぬ、それゆえ、やって来ないかもしれぬ言葉の群れを、ただいたずらに待っているわけにもいかない。わたしはたしかい、あの日からの一週間、まったくの沈黙のなかに過ごした。そして、穴ぐらから這い出すようにして語りはじめた。あまりの言葉の無力さに、正直にいえば、ときおり立ち往生する。ひとしきり自己嫌悪にさいなまれ、沈黙に身をひそめ、また語りはじめる。そうした行きつ戻りつの姿をさらすことしか、いまは許されていないのだと思う。」(赤坂憲雄)
東北学を提唱し、東北の大学に籍を置いた赤坂憲雄の言葉として、幾多の言説よりは思いこの言葉に思いをはせたいものだ。