私の無能を晒すようなものであるが‥。
読書時間は長くは取れなかったが、本日は「絵画について」(ディドロ、岩波文庫)を手にとった。既に第4章のはじめまでは読み進めていたので、本日は第4章の途中から読みはじめ第5章「構成に関する章、構成について話そうと思っている章」の終りまで目をとおした。
わたしにはピンとこない。わたしなりの期待とズレが大きかったようである。きちんと批判的に論じるのも必要かもしれないと思いながらも、とても撮ろうに思える。そして「構成」というものをどのように「定義」しているのかよく理解できなかった。
「自然は存在するものに多様性を与え、冷たく、動かず、生きていず、感じもしなければ考えもしないものと、生きていて、感じかつ考えるものとに分けた。この線は永遠の昔から引かれている。だから、手の加えられていない死んだ自然を模倣する者をジャンル画家と呼び、感じて生きている自然を模倣する者を歴史画家と呼ぶべきであった。」(第5章)
この著者は、常に世界を所与の型に嵌めて、それによって世界を分類し、その分類によって世界を定義しようとする。あてはめた型の定義も厳密ではない。あてはめた型によって画家と絵画を裁断し評価しようとする。この型と、型そのものの定義に著者は振り回されているようだ。絵画をジャンル分けして分類することが「絵画論」ということになってしまっている。
これがひょっとして「百科全書」派の本質なのかもしれない。あるいは今から見ればその時代の要請だったのだろう。
論を追っていくのが少々苦痛に感じてきてしまった。しかし読み進めるうちに何か得るものを少しでも探したいとも思う。