昨日衝動買いした「方丈記」(水木しげる、小学館文庫・マンガ古典文学)を昨晩のうちに読み終えた。
災害が多発した鴨長明の時代に、戦争と災害の時代という21世紀を重ね合わせて、時代に向いあおうとする水木しげるの思いが込められている。
しかし最後の場面、鴨長明の墓の前で「長明の“無常観”は、若い頃の災害や挫折の経験が大きかったのだろう。二十一世紀の現在でも、大いなる災害などの問題を抱えている。この閉塞感は「方丈記」で語られる“無常”と無縁ではないだろう。」で終わっている。災害に直面しながら再生への道筋や生き方に“無常観”がどのような糸口を示しているか、具体的には述べられないまま終了している。読者に宿題を投げかけるところで終わっている。
果たして私たちはどう解いたら良いのだろうか。
解説の荒俣宏の言葉を借りれば「宇宙の法則である無常観は平家物語にも、そして芭蕉の「奥の細道」にも登場する。その世捨て人的な隠者スタイルは、わたしたちのこの現代的な課題を解く鍵になりうるのか。
世捨て人の無常観より、自分と周囲の人々の小宇宙の具体的な救済に邁進する私たちからすると、この大宇宙規模の無常観は、どのような救いとなるのか、多分水木しげるにも私にも答える手がかりがない。
ただ同じような戦争(政治)と災害との格闘という同質性があることだけがはっきりしている。格闘する当事者が、ふと立ち止まった時に読みたくなる心境というのは、私はとても大事だと思っている。具体的に何かのヒントが一般論としても具体論としても転がっているわけではない。それでも惹かれる「何か」、それは「生への執着」や「生」そのものの彼方にあるのだろうか。