本日は東京都写真美術館で開催中の「江成常夫写真展(昭和のかたち)」を鑑賞してきた。
「鬼哭の島」「偽満洲国」「シャオハイの満洲」「ヒロシマ」「ナガサキ」と5つの部門に分かれた展示。いづれも日中戦争から戦後を照射し続ける強い生命力のある写真が展示されていると感じた。記録写真・ポートレートという範疇におさまりきらない、戦後の社会を鋭く問い続ける表出意欲を感じた。
カタログで江成常夫は「昭和が犯した未曾有の過ちを、教育の場からも家庭でも口を閉ざし、責任の所在も曖昧にしてきてしまった。‥時が無常なのは、間違った時代を風化させ、嘘を真に、真を嘘として普遍化してしまうことである。霧の中に置き去りにしてきた「戦争の昭和」の意識の回復が求められている。」と記載している。解説に色川大吉が登場している。
さて会場に入ってすぐの「鬼哭の島」、これは作者の最新のシリーズらしいが、まずこれに圧倒される。鮮やかな色彩の自然とモノトーンの戦跡・遺物。「『アリゾナ』から浮かび上がる油の紋様」などは造形写真としても一流のものであると感じる。圧倒的な米軍の前に玉砕という名の死が強制された島々の戦争遺物に注がれる眼、それと対照的にそれらの遺物を多いつくそうとする草木と太陽の華やかな色彩、これにたじろがないわけがないと感じる。
そして何かに挑むかのように鋭い視線を見せる「残留孤児」といわれる人々のポートレート。それと比較して実に温和な視線ないし眼を閉じている「ヒロシマ」「ナガサキ」の被爆者のポートレート。この作為は何を物語っているのか、あるいは作為を超えたものなのであろうか。答えを探ることを求められているような気がする。
いづれの写真にもほんの数行の作者のものと思われるコメントが付いている。このコメントがあることで写真は実に多くのことを物語ってくれる。
日中戦争から戦後までの昭和を実に厳しく照射し続ける写真展であった。これからも幾度もカタログを紐解くことがあると思った。
これは偶然だが、写真展を見る前に、「別冊太陽」の「香月泰男」を購入した。シベリヤシリーズ以外展覧会やカタログではあまり見ない画家の全貌の一旦を垣間見たかったからだ。
この写真展とどのようにクロスした感想がもたらされるか、私の心の中で時間をかけて醸成してみよう。
「鬼哭の島」「偽満洲国」「シャオハイの満洲」「ヒロシマ」「ナガサキ」と5つの部門に分かれた展示。いづれも日中戦争から戦後を照射し続ける強い生命力のある写真が展示されていると感じた。記録写真・ポートレートという範疇におさまりきらない、戦後の社会を鋭く問い続ける表出意欲を感じた。
カタログで江成常夫は「昭和が犯した未曾有の過ちを、教育の場からも家庭でも口を閉ざし、責任の所在も曖昧にしてきてしまった。‥時が無常なのは、間違った時代を風化させ、嘘を真に、真を嘘として普遍化してしまうことである。霧の中に置き去りにしてきた「戦争の昭和」の意識の回復が求められている。」と記載している。解説に色川大吉が登場している。
さて会場に入ってすぐの「鬼哭の島」、これは作者の最新のシリーズらしいが、まずこれに圧倒される。鮮やかな色彩の自然とモノトーンの戦跡・遺物。「『アリゾナ』から浮かび上がる油の紋様」などは造形写真としても一流のものであると感じる。圧倒的な米軍の前に玉砕という名の死が強制された島々の戦争遺物に注がれる眼、それと対照的にそれらの遺物を多いつくそうとする草木と太陽の華やかな色彩、これにたじろがないわけがないと感じる。
そして何かに挑むかのように鋭い視線を見せる「残留孤児」といわれる人々のポートレート。それと比較して実に温和な視線ないし眼を閉じている「ヒロシマ」「ナガサキ」の被爆者のポートレート。この作為は何を物語っているのか、あるいは作為を超えたものなのであろうか。答えを探ることを求められているような気がする。
いづれの写真にもほんの数行の作者のものと思われるコメントが付いている。このコメントがあることで写真は実に多くのことを物語ってくれる。
日中戦争から戦後までの昭和を実に厳しく照射し続ける写真展であった。これからも幾度もカタログを紐解くことがあると思った。
これは偶然だが、写真展を見る前に、「別冊太陽」の「香月泰男」を購入した。シベリヤシリーズ以外展覧会やカタログではあまり見ない画家の全貌の一旦を垣間見たかったからだ。
この写真展とどのようにクロスした感想がもたらされるか、私の心の中で時間をかけて醸成してみよう。