ときどき「貞観政要」の抄訳を読む。昨晩から今朝にかけても、めくってみた。政治に関わる人によく読まれてきた書物である。今はもう読む人も少ないのだと思う。
私が学生の頃はアルバイト先の小さな会社のトップなどがよく処世訓として中国の書物などから引用して、説教を垂れていたものである。ひどいときは、居酒屋でも聞かされ、閉口したものである。「つまらない処世訓など臣下に説教するな」という「名言」は残念ながらないようだ。
保守・革新を問わず政治家が色紙などに引用して書いたりしていたのを目にしたことも多い。今は残念ながらそのような教養は少なくとも現在の政権に与し、すり寄る人間からは匂ってこない。
もっとも中国のこのような書物というのは、読み方によっていろいろと意味が変わる。しかも常に、為政者-臣下-臣民という上下関係、支配・被支配という関係が前提である。こういう書物が読まれなくなっていることはある意味では健全ともいえる。
だが、政治家や、企業のトップにいて「自分は偉い」と思い込んでいる人には、耳にいたいと思われるところを突きつけるのも悪くはないであろう。
「言語は君子の枢機なり。談、なんぞ容易ならん。‥」(貞観政要)
唐の太宗の言。「言語は君子にとってきわめて重要。人と語るということは、難しい。‥」。政治家というのは、自らの理念を言論やその他の意思表示によって人に訴えかけるべき人である。まっとうな理念がなく、人を説得したり惹きつたりできない人は政治から身を引くべきである。
さらに言わせてもらえば、政治家や組織の上に立つ者の言動はとても重い。何気ない一言がおおいに人を傷つけ、そしてその人の前途も奪うこともある。人の生命をも奪う可能性がある。政治というものの怖さを知らない政治家(政治屋・政治ゴロ)がなんと多いことか。