本日多磨霊園からの帰途、第三京浜から見る富士山と丹沢山塊が美しかった。普段と違う角度・距離から見えても、富士山・丹沢山塊がひとかたまりに見えるとホッとする。横浜に戻ってきてもうすぐで家に着くという気持ちになる。
雲があっても無くても、夕陽を背景にシルエットとして見る山の形は心に残る。これ見よがしに大きくそびえたつ富士山とは違う。小さくて見落としてしまうほどの大きさではない。どうだ、というのではなく静かに佇んでいる大きさが私には好ましい存在感がある。
人の存在感というのもそのようなものだと思う。自己主張ばかりの人の存在感は、その場限りの存在でしかない。気が付いたら好ましい印象として記憶に残っていた、というのが本当に信頼される人の存在感である。
70歳になってそのような人を一人ひとり思い出しながら、自分がはたして人に対して信頼される像として印象に残っているだろうか、振り返ることがある。はなはだ心もとない願望である。
多分頼りない、単なる頑固者・理屈屋として若い人の心に残ってしまっているのではないだろうか。
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