退職者会ニュースについては、これまではひとりの役員に事前にチェックしてもらっていた。新年度になってから、複数の役員と情報宣伝担当の幹事にも目を通してもらっている。これで編集責任者である私自身も、多くの指摘をしてもらい、紙面構成上もいろいろな意見を寄せてもらうことができ、少し肩の荷が軽くなった。
さらに校正を生業としている娘にも意見を聞くようにした。すると思いもかけない指摘がある。役員は皆、組合活動で共通の認識なり、共通の言葉がある。仲間内だけで通用する論理や言葉に頼ってしまうことがある。
公務員ではないし、組合言葉にもまったく無縁の娘の指摘はとても的を射ており、耳が痛いものもある。外部監査のようなものである。無論印刷会社の校正刷りの段階でもチェックはきちんとしてくれる。しかし校正者は組合の関係者ではないものの長年お願いしていると、私どもの意識に沿って見てくれるようになる。これは決して悪いことではないが、ある意味では甘えが生じているのかもしれない。
娘の指摘を当面は頼りにして、読みやすいものに少しでも近づけたいと思うようになった。
人にチェックしてもらう、ひとりで抱え込まない、第三者の声を大切にする。これらは現役時代から分かっているようでいて、なかなか実践できなかったことでもある。今更のように大切に思えるようになった。
私も組合員なのですが、組合員言葉には慣れていない組合員かも知れません。でも、続いて読んでいれば、大まかには理解でき、こんなものなのだと、読み流しています。娘さんのご指摘は、ときに厳しいものに聞こえるのでしょうが、原点を言われているのかもしれません。ほんとにありがたい外部意見なのでしょう。煩いだけの外部意見も受けなくてはいけない立場なのですが、今回は真摯に受け止めましょう……………………
気持ちにゆとりを持つことが大事なんでしょうね。現役のころには難しいけれども、いつも一歩下がって、という習慣が欲しかったなぁ。
事前チェックもないままだから仕方の無いことととは言え、「同じ組合員なんだからそれくらい解れよ」などとある意味自分に甘えていました。 書いた文章のみならず、話したことについても人にチェックしてもらうことの大切さは分かっているつもりですが今もって自戒出来ずにいます。
ささいなことで妻との諍いを起こし、お互い暫く口も聞かない時が続くと相手の意見を聞くゆとりの無さが情けなくなりますよ。
結局自分のいたらなさが、自分の脳内をチェックできていないため、聞く耳を持たないと全てが不幸になることがよく分かりました。
菅首相が国民の声に全く耳を貸さない現下の政事がどれほど国民をないがしろにしているのかが良い見本です。
戦後の政治の出発点となった理念の実現をめざした現実との格闘、それがない政治家にははやく政治の世界から消えて欲しいですね。