本日の業務は終了。退職者会ニュースの原稿はなんとか85%は出来上がった。残りの記事は少々調整が必要となり、他の役員と相談してから。最終入稿日が明後日なので、うまくまとまるか否か、ちょっとドキドキである。
いつも何らかの「ドキドキ」が出てくる。これが処理できるか、それなりのやりがいでもある。
現役の組合役員時代から得た教訓であるが、新聞の記事というのは、組合員との信頼関係の先におのずと出来上がるものだ、ということを実感してきた。
大げさなものいいかもしれないが、起きたこと、起きていること、予定を書く技術的能力や、構成・構図のセンスよりも大切なことは、担当者のネットワークの力であり、人間関係の反映であり、組合員の信頼をどれだけ得ているかが、記事の質に反映する。
これは先輩の作る優れた新聞の制作過程を見て、覚えたことである。
「自己主張だけで機関誌・紙が出来れば簡単であるかもしれないが、そこには記事を書く人の成長は図れない。記事を書く対象、取材をする対象、記事を寄稿してくれる人の思いなどと向き合わないと、良いものは作れないし、自分も変わることができない。自分が変わることを恐れていては成長はない」こんなことも先輩に教わった。
多分、労働組合の機関誌・紙に限らず、一般の新聞などの類の記事を作るのと基本は変わらないと思っている。
優れた文章や記事を見かけるたびに、よほど他の方の文章や体験をキチンと学んでいるのだと思う。人から本質的なことを学ぶことのできる人というのは、本当にうらやましい。逆の視点からみると、巷にあふれる膨大な文章や、コマーシャルの表現を見ると、心に響いてくるものは実に少ない。文章表現としても、ものごとの把握にしても、読者や受け手の心を捕まえる表現というのは難しい。書いた人・作った人の人間性が垣間見えるのである。
このブログの記事もいまだに誤字脱字が多いだけでなく、表現があいまいなもの、意味が不明なもの、反対の意味に取られかねない表現が多い。そのような技術的な部分だけでなく、自分の人間性が情けない、と思うことばかりである。私はなかなか成長しない。もう成長は無理なのだと開き直ってしまっている。これではいけない。