カラヴッジョの「聖マタイ伝連作」の「聖マタイの召命」。この作品はカラヴッジョの作品として有名な作品。美術史の教科書でもほぼ取り上げられる。
この作品では、右側で右手を水平にして人差し指でマタイを指さしている人がキリストである。ただし指で指名された人が左側に座っている4人の内誰を指しているかは議論がある。私も当初は真ん中で一番明るく太陽光線に輝いている若者がマタイかと思っていた。しかしそれは明らかに違って、その左隣でひげをたくわえ、左手の人差し指を水平にしている人がマタイという説と、一番左で金を数えている人物という説とが有力らしい。
「1時間でわかるカラヴッジョ」(宮下規久朗)では、後者の説を取っている。私もそう思っている。新約聖書の世界では、当時のユダヤ人社会でローマの手先として皆にさげすまされていた徴税吏を弟子にしたのがキリストであったということになっている。
また、カラヴッジョの革新性というのは、多分、聖書の中にとらわれることなく、場面が場末の賭場が居酒屋風の場面にすることで、聖書の場面が現実の世界とダブるようになっている。キリストもマタイもキリストの横に描かれた最初に弟子のペテロもきっと現実の人間を描いている可能性がある。当時の服装を着た、どこにでもいるふつうの人間が画面に登場しているのであろう。これがカラヴッジョの魅力なのだと思う。
解説で私が首を傾げて、未だにわからないのは次の一文である。
「キリストが力なく伸ばした右手は、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描いた〈アダムの創造〉のアダムの左手を左右反転させたものになっている。つまりこれは、堕落したアダムに対して第二のアダムとして生まれたキリストの役割を暗示している‥」
著者なりに根拠のある話と思うが、キリストは神と一体ということなので、私のこのキリストの右手の謎はわからない。私は、〈アダムの創造〉の神とアダムの指の仕草からこの作品が影響を受けていることにはそのとおりだと思ってきた。私は以前から、キリストの右手がなぜ力を混めてマタイを指していないのか、またカラヴァッジョが尊敬していたミケランジェロの描いた神の手ではなく、アダムの指のかたちの裏返しなのか、ずっと腑に落ちていなかった。
この書物の解説を読んでも、疑問はそのまま残ってしまう。いつかこれについて納得できる解説に出会うことを願っている。
最新の画像[もっと見る]
- 新年を迎えて 10ヶ月前
- 謹賀新年 2年前
- 「渡辺崋山」(日曜美術館) 5年前
- 謹賀新年 5年前
- 謹賀新年 6年前
- 「ものの本質をとらえる」ということ 7年前
- 台風18号の進路が気になる 7年前
- 紅の花 7年前
- 「ゲルニカ」(宮下誠)読了 8年前
- 国立近代美術館「コレクション展」 8年前