goo blog サービス終了のお知らせ 

Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

東京都写真美術館と山種美術館

2012年06月25日 11時51分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 休日を利用して、写真美術館で「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る」と山種美術館で「福田平八郎 日本がモダン」を見に出かけた。いづれも恵比寿駅から近い。山種美術館ははじめて訪れたように思う。

 はじめに川内倫子展であったが、残念ながらこれはちょっと私の好みではなかった。対象に肉薄しようという迫力が感じられなかった。若い世代に人気がある、とのことであったが、日常の光景の切り取り、瞬間瞬間の目に映る光景をこんなにも脈絡なくたくさん、ひたすら表面をなぞるように追いかけるエネルギーには脱帽しつつも、一つの事象、一つの対象へのこだわりがまったく感じられなかった。日常の表面を追い掛け回し、それでおしまい、という底の浅さばかりが目に付いた。



 確かに若い人が多く見にきてそれなりに盛況ではあった。ある山焼きの模様を追いかけたシリーズが今年の作品としてあった。このようなシリーズが積み重ねられる必要がありそうだ。それでも一貫したモチーフを獲得するにはまだまだ大きな溝があるような気がする。
 写真というよりも、動画の比重が大きく、またそのほうがこの人には適したツールなのかもしれない。

 次にのんびり広尾界隈の坂を上り山種美術館を訪れた。福田平八郎展についてはNHKの日曜美術館で取り上げられたこともあるからか、
かなりの盛況であった。

 「筍」「漣」「牡丹」などは確かに人をひきつけるものがある。デザイン的で色彩も構図もリズミカルな画面は今でも斬新さを失わないと思われる。そしていかにも対象をとことん見極めようとした姿勢が見るものを惹きつける。
 残念ながらお目当てのひとつ「雨」は後期展示のため見ることができなかった。ごらんのようにチラシはこの「雨」をメインに作られており、何かだまされたような気がした。



 同時代の作家の作品もそれぞれに個性が見られた。私が惹かれたのは横山操の「滝」と言う作品であった。写真にでも撮っておきたかったが、それは許されないので諦めた。こんど見る機会があるだろうか。

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
川内倫子展 (大納言)
2012-06-25 23:11:32
海外では彼女の写真に俳句との対比を見たりしているようですね。「対象に肉薄しようという迫力」というのがよくわかりませんが、写真はしょせん表面しか写せません。そこから先の物語は、観る側の蓄積したモードがつくりだしたものであることをお忘れなく。
返信する
そうでしょうか (Fs)
2012-06-27 12:27:32
「写真はしょせん表面しか写せません。そこから先の物語は、観る側の蓄積したモードがつくりだしたものであることをお忘れなく。」
私には納得できません。彼女の写真は状況と対象を上滑りしているだけに思えます。
私の頭の中にあるのは土門拳の写真です。じっくりと見つめる視線が彼女の作品からは見受けられないと感じました。
返信する
土門拳の時代 (大納言)
2012-06-27 21:57:13
土門拳も時代の産物なんですがね。
返信する
写真の見方 (三毛猫の子猫)
2012-06-28 14:22:02
ここ半年ほど写真を見る機会もできつつありますが、今一つわからないなぁ、といつも思っています。
ただ拙い経験から申せば、匂いや音や物語が喚起される作品に心惹かれることが多いかなぁという気はしますね。
技術面や機材についての知識がないせいか、テクニック先行や理が勝ちすぎるように感じられると、逆に白けたりして…苦笑。

土門拳の作品展、私が行く時はご年配の観覧者ばかりのような気がしました。
今の十代・二十代の人たちは、どのように感じるでしょうかね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。