本日の気持ちの良い秋の一日、結局買い物などでつぶれてしまった。しかし心地よい風に吹かれた若干のウォーキングは気持ちよかった。出来れば広い公園でボーっと空を眺めていたかったのだが、そうもいかない。
★秋晴れに置き忘れたる夢の嵩 五十嵐米子
★畳屋の肘が働く秋日和 草間時彦
★鰯雲日かげは水の音迅く 飯田龍太
第1句、夢は大切である。実際に夜に見る夢ではなく、ここでは自分の目標としての夢ではないか。そのような人生の夢はいろいろとあるし、自分には少々重いものとして感じることもある。しかし秋晴れを見ているとそのようなつらさも忘れて、ちょっとベンチの横に置いて、ひたすら空を見上げる。このような時間を大切にすることができる人の夢は素晴らしい者であろう。
第2句、以前にもありあげたことのある句だ。職人を観察すると、労働というものの偉大さ、人の理にかなった動き、というものが何となくわかってくる。人をじっくりと観察することの大切さをいつも感じる。
職人技というものは実に理にかなっている。物理にも化学にも、生物学的にも、数学的にも原則に沿っているものである。畳職人の肘を利用した運針技、最近は畳屋さんも少なくなり、すべて機械で作られていく。しかも近年は畳の無い家も多く、職人技は廃れていく。
第3句、こちらは俳句の職人芸のような句。日陰を流れる沢の音はその水流の速さを反映している、というとらえ方をしている。具体的に早いわけではない。水が早く太陽の光に当たりたくて早く流れるわけではない。しかし秋の草の間から聞こえる水の音は、岩場だけで日の当たるところの流れよりは音が籠って聞こえる。音が空に消えて行かない。それが「迅く」の意味だと理解してみた。このような感性を私は大切にしたい。