昨日の天気予報に反して、中秋の名月はなかなかいい具合に見えた。雲がまったく無いよりは、この程度の雲があったほうがずっと見ごたえがある。
とはいえ、多くの人が愛でる月にはそっぽを向きたくなる偏屈の虫が腹の中、否、頭の中で騒いでいる。その虫を抑え込みながら、しばらくは静かに月を眺めていた。
月というものを自覚的に眺めるようになったのはいつの頃だったか。小学生の頃から親しんできた子供向けの科学図鑑による月の満ち欠けなどを日を追って観測するということもしなかった。中学生の時に小さな望遠鏡を手にして月や木星・土星・火星を眺めたがあまり感動しなかった。二重星を視野に入れることばかりを追求していた。
中学生時代からよく理解できないまま新古今集の和歌に現れる月の和歌の世界は魅力があるように思っていた。
★梅の花たが袖ふれしにほひぞと春や昔の月にとはばや 源道具
★ふくるまでながむればこそかなしけれ思ひもいれじ秋の夜の月 式子内親王
★秋とだにわすれんと思ふ月かげをさもあやにくにうつ衣かな 藤原定家
★ひとめ身し野辺のけしきはうらがれてつゆのよすがに宿る月かな 寂蓮法師
★夏かりの蘆のかり寝もてあはれなり玉江の月のてけがたの空 藤原俊成
★入るかたはやさかなりける月かげを上の空にも待ちしよゐかな 紫式部
★月のゆく山に心をおくり入れてやみなるあとの身をいかにせん 西行法師
これらの歌、意味も今はもうすぐには分からなくなってしまった。当時の鉛筆の印だけを頼りに引用してみた。その印も、30代になって廃棄する直前の本から適度に転記した印なので、確かなことは覚えていない。どのように理解していたかも分からない。
しかしこの時の「月」も、夜にしみじみと内省的に眺める月という具体的な対象にはなっていなかった。観念の上で作り上げた「月を眺める」という行為を頭の中で作り上げていただけだと思う。
月に人類が降り立った1969年7月のアポロ11号の月面到着の時は確かにテレビを凝視していた。だが、それは月を眺めることの楽しみではなく、科学技術的な興味と、軍事技術の融合としての側面と、米ソ対立の政治的側面がいつも画面の裏側にはがれようもなく張り付いていることを強引に見せつけられるショーとして眺めていた。
本当にのんびりとしかも内省的に月を眺めるようになったのは、いつのことだったか。
20代の半ばを過ぎて、登山の途中のテント場で夜にひたすら星を眺めていた時に、初めて月に魅入られる、ということをちょっとだけ体験した。不思議なもので、満月を眺めているうちに、明け方4時に起きてテント場を発つ、ということを忘れて3時近くまで見入っていた。1時間の眠りで次の日に目いっぱい歩く自信がなくなり、夜明けを迎えた。その日は無人の山小屋でウィスキーのポケット瓶2本を飲みながら無為に過ごす羽目になった。休暇を伸ばすことができずに、縦走を途中から諦め、下山したのを覚えている。甲武信岳に登り損なった山行であった。
新古今集の時代の歌人たちは、月に魅入られても、月の周囲の景色には気をとられていない。月を縁にわが身の思いを述べているのである。月は観察の対象ではなく、自分の思いを述べる縁にすぎない。月という当時の歌人が持つべき観念をいろいろと趣向を変えて述べているにすぎないと、断定してしまうのはさびしいが、当たらずとも遠からずの指摘であろう。その観念のありようが私には未だに魅力的なのだが‥。
ということを書いているうちに、夜の散歩の時間となった。