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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

名月・十五夜

2019年09月14日 17時58分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 大掃除は予定よりも早く終了することができた。特に体力を酷使したわけでもないし、涼しいくらいの気温のために大汗をかかなかった。
 終了後は何となくグダグタと休養。ベッドの上で横になり、時代小説を読んで時間を過ごした。妻と娘は大相撲をみながら他愛もないおしゃべりで寛いでいる。わるくはない午後のひとときである。ウォーキングもなんとなく本日はバス。

 本日の横浜の気温は14時半で25.2℃である。これが最高気温になりそうである。ようやく秋らしくなった。昨日は中秋の名月、満月は本日。雲の量は全天の9割くらいだろうか。雲の間、雲をとおしての月となりそう。

★名月を取てくれろとなく子哉       小林一茶

 「をらが春」所収。こんな解説を見つけた。「泣いて駄々をこねているのは、一茶が「衣のうらの玉」とも可愛がった「さと女」だろう。‥この子の願いならば、何でも聞き届けてやりたい。が、天上の月を取ってほしいとは、いかにも難題だ。ほとほと困惑した一茶の表情が、目に浮かぶ。‥一茶句の出現するずっと以前に、既に織本花嬌という女性俳人が「名月は乳房くはえて指さして」と詠んでいるからだ。一茶がこの句を知らなかったはずはないのである。人妻だった花嬌は、一茶の「永遠の恋人」ともいうべき存在‥。花嬌は若くして亡くなってしまうのだが、一茶が何度も墓参に出かけている‥。‥花嬌の面影が年老いた一茶の脳裏に浮かんだのかと思うと、とても切ない。(清水哲男)」
 初めて知ったことである。江戸時代には赤子は今よりは長く母乳を与えていたといわれている。現代の解説本では5~6歳の子を想定しがちだが、先行句と同じ年の赤子を想定すると、2~3歳と考えたい。そして現代と違って月はもっと明るく、身近な存在であったと思う。
 月そのもの、月見という風習そのものが、現代の月を見る感覚とはずいぶん違うと思う。だいたい毎日月を見る私が、現代では稀有である。

★名月に寝よの鐘も聴かざりし      井上井月

 万葉集「皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へぱ寝ねかてぬかも」(笠郎女)による句、との解説がある。この句、鐘を聴かずに「寝たのか、寝なかったのか」、考えているうちに分からなくなってしまった。古句は難しい。

★背負はれて名月拝す垣の外       富田木歩

 「関東大震災の犠牲となって、わずか二十六年の生涯を閉じた木歩の処女作。‥満十六歳のときの作品。生れつき足が立たず、学校へも行けなかったからイロハの文字一つ一つを独学で学ばねばならなかった。そんな人物がやがて俳句に目ざめていったことも驚きだが‥ちっとも暗さがない。‥不思議なこの明るさはいずこから来たものだろうか。(松本哉)」という解説を見つけた。
 実はある歳時記でこの句を読んだとき、一茶の句を思い浮かべ、作者が子供を背負っている情景と解した。この解説を見てようやく「拝す」の意味を理解した。幼児では「拝す」はそぐわないのである。16歳で大人に背負われて月を排したのであろう。たぶん普段は家からも外に出ることは少なく、せがんで名月の光を全身に浴びたのであろう。背景を知ると忘れられない句になる。



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