Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

七草粥

2020年01月07日 21時36分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は正月七日、七草粥の日。妻はいつも七種は購入しない。パックの入っている七種はどれも萎れていて、量もわずかで500円近くもするのを購入することに抵抗があるようだ。その変わり、毎年蕪を入れたお粥を作ってくれ。今年も同様。
 しかしお粥が好きな私にはうれしい。

★七種粥ラジオの上の国家澄み      須藤 徹

 以下、私の偏執的な感想と解釈である。

 七種粥、昔は少しあらたまって食したという。蕪村に「七くさや袴の紐の片むすび」というように袴をはいて正座をしたらしい。蕪村の句はそのようなあらたまった席なのにきちんと紐を結べなかった人を笑い飛ばす句である。

 はじめは戦争経験者の句かと思った。だが、表題の句の作者は1947年生まれというから私より4歳上の戦後生れである。七種粥をあらたまった格好で食したとは句からは想像できないが、それでも一家そろった食卓で七種粥を正月気分で食べている景がみえてくる。テレビではないからまだ大人になっていない頃の思い出かもしれない。

 ラジオからはまだ正月気分が抜けない番組がながれている。当時も今もマスコミは正月のような気分のときには決して国家や政府をけなすようにものいいはしない。わたしのようなものには、すまし顔できれいごとを並べたアナウンサーの声はご用心、とてもよそよそしい。若い作者はそのきれいごとの声や話の内容に騙されてはいけないのだ。国家はかつて汚れたこともなく、澄んだ空気や水のようなもののように言われている。だが現実はまったく違った顔を持つということを若い作者はまだ知らなかったのである。

 ラジオから聞こえてくる声が伝える政府や国家の在り様は、そこだけが空気が澄んでいるようである。そんな戦後生まれの人間も、もうすでに70歳を超えている。戦前も戦後も変わっていないということもできる。

 作者は66歳で亡くなっているので、あの2011年3月11日の地震は経験しているかもしれない。そして戦後の混乱期からのさまざまな場面での戦後史も見聞きしていたはずである。そんな戦後の60数年を思い出さずにはいられない句である。

 あらためて「須藤徹」という作者のことをネットで検索してみた。興味が湧いてきた。是非著作に眼を通してみたいと思った。その上で、私の感想を再度記してみたいと思った。

 



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