本日は成人式とのこと。私も妻も成人式には出ていない。娘も出席はしていなかったと思う。私はあのような着飾った場面というのは好きになれない。もともとお祭り騒ぎには近寄りたくないのである。
娘がどういう経過で出席しなかったのか、以前に聞いてみたがその理由は明確には行っていなかった。もともと成人式、ということにこだわりがなかったのかもしれない。
私は学生の頃、ちょうどバリケード封鎖に突入した直後だったと思う。仙台の川内キャンパスの近くの会場で仙台市の成人式展が行われていた。
ちょうど食料の買出しに出かけてそのそばをとおったとき、赤子を抱いて式場から出て来た振り袖姿の晴れやかな女性一人と数人の友人たちがとても眩しかったと思った。と同時に、もう母親として振る舞っているすがたにたじろいだ。私達の運動がこの母親には届かないと思った。
むろん接点がもともとないのだから致し方ないのであるが、学生運動と社会的な運動の差を自分の運動にこれから生涯取り組んでいきたいという決意も生まれた。
毎年そんなことをあらためて思い出す。同時に成人式、そんなに必要な「儀式」なのかという思いが強い。