Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜の熱中症も怖い

2018年07月23日 22時05分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 週間天気予報を見ると、明後日以降の最高気温は平年並みとなるらしい。といさても32℃前後であり、暑いことに変わりはない。しかも最低気温は26℃といつもよりも少し高めらしい。いづれにしろ熱中症の危険に変わりはない。昼間に屋外で太陽にさらされることで起きる熱中症も怖いが、夜の寝室の高温による寝中傷も怖い。昼間と違い安全だと思い込んだり、寝ていてかく汗での脱水症状も怖いという。
 私も夜中に目がされると必ず冷蔵庫で冷やしている水を1合以上は飲むようにしている。排尿に起きるのがつらい、という高齢者は寝ている間の水分を控えようとする傾向があり、なお危険であるという。

 これより若干の夜のウォーキング。汗をかくことよりも、夜の星空を眺めるのを楽しみにしている。

 本日のような猛暑の日に、中学生の参加するスポーツ大会が開催され、熱中症で倒れる生徒が出て、幾人かは重症との報道がされている。これはもう大会開催を強行した主催団体の刑事責任が問われるべき事態ではないのか。熱中症は精神力や根性や、訓練で克服できるものではないはずだ。

鎌倉駅前喫茶「ヲガタ」

2018年07月23日 20時29分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 横浜市内でも本日の最高気温が13時17分に37.2℃と発表となった。7月の観測史上最高気温となっている。その頃、私は桜木町駅から地下鉄高島町駅をめざして歩いていた時間である。広い道路の西側はビルの影が連続しているうえに風に湿気が少なく、歩きやすく37℃もあるようには感じなかった。14時に横浜駅で妻と待ち合わせていた。鎌倉駅西口すぐそばにある喫茶店「おがた」に氷あずき(850円)を食べに行くことにしていた。昨年は暑い時期に行くことができなかったので今年こそは暑い日に行こうということで、急きょ決行した。

 かき氷全体を覆うように掛けられたあずきは甘さも控え目で妻の大のお気に入り。以前もこのブログで取り上げた。ストレートコーヒーも大変おいしく、気温が高い火だったものの本日もマンデリンを注文。静かで、何よりも清潔感あぶれる店である。そしていい器で美味しいコーヒーは心が落ち着く。
 いつも俳句の色紙と写真が飾ってあり、今年の俳句は「祭足袋天踏むごとく干されけり  康久」と記されている。作者は店のマスターのような気もするがお聞きしたことはない。

 汗がひいたのち、近くの腸詰店と駅前のお土産店で総菜を購入して帰宅。

酷暑の街を歩く日

2018年07月23日 08時10分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日は横浜も13時前に351℃と「猛暑」の仲間いり。今年2回目だと思う。会議が終わり、団地の中を1000歩ほど歩いただけで下着からズボンまで汗でびっしょりと濡れた。
 妻も私も済んでいたことのある仙台では367℃とここ横浜よりも気温が高かったとのニュースに二人共驚いた。
 本日は午前中に再度市庁舎まで書類の提出に出向き、幾つかの所用を済ませてから、組合の会館にて打合せなど。暑い中を少々歩き回らなければいけないようだ。
 本日も35℃超えの予想なので、早めに涼しいところに入って業務終了としたい。

★わがゆくてわれにも知れず雲の峯     川上梨屋
★夏の月昇りきったる青さかな       阿部みどり女
★静脈の浮き上り来る酷暑かな       横光利一



「しのぶ・あだたらのむかしばなし」から

2018年07月22日 22時12分44秒 | 読書


 本日は第9番目の「もちずり石と悲しい恋」より。絵の作者のさとうてるえさんからは、物語の感想も含めて文書を期待されているようなのだが、私はどうも小学生の頃から「読書感想文」というのが苦手。
 最初から読み進めているものの、期待通りの感想文は書けそうもないので、気に入った絵の紹介に留めるしか私には脳がない。

 さてこの#9番目の「もちずり石と悲しい恋」は源融という日本史では「河原左大臣」として登場する平安時代初期の貴族。嵯峨天皇の皇子。紫式部の「源氏物語」の主人公光言辞のモデルのひとりともいわれる。

 この実在の人物が登場するのであるから、いわゆる貴種流離譚の一種であろう。現在に当てはめれば、浮気者で責任感の欠如したトンデモなプレイボーイである。そうはいってもこの物語に仮託された物語の意義はあるはずだが、そこまで言及する能力は私にはない。悲恋は手の届かない貴公子が相手であることで、成り立つ。それによって諦める契機とするという、現代人からすれば受け入れがたい物語が成立している。

 このむかしばなしをよむであろう子どもたちにとって、この悲恋はどのように受け止められるのであろうか。わたしに孫がいれば彼女・彼等の意見を聞いてみたい気もする。

   

久しぶりに明るい時間にウォーキング

2018年07月22日 20時30分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 16時半過ぎに太陽が雲に隠れたのを見計らって久しぶりに昼間のウォーキングで汗を流した。自宅から新横浜駅方面に向かった。18時半までに家に戻らないと夕食時間に間に合わないので、新横浜駅手前で折り返した。1万5千歩ほど。昨日は体が動かずにわずか3千歩ほどしか歩いていない。

 だが熱気がやはりすごい。途中の公園2か所で頭から水を被り、ひと息をつきながら歩いた。以前にジョギングをしていたコースだが、コンビニ2軒が営業をやめてしまい、途中での水分補給が限られてしまったのが残念である。

シャキッとしない頭と体

2018年07月22日 13時33分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の午前中の団地の会議、大事なことをひとつ報告を忘れていた。来月の会議で報告をすれば問題はないのだが、やはり暑さのためという言い訳をしておこう。

 これからいくつか会議での宿題をこなして、本日の業務を終えたい。明日からは今度は退職者会の仕事に精を出す予定。いつまでたっても物理的にも、精神的にもゆとりがない。いつも何かに追われているように、そして「仕事」「業務」が湧くように出てくる。悲しいものである。暑さとともに押しつぶされそう。

 昨晩もお風呂に入るのも面倒になって寝てしまった。あまりに暑いので夜中にクーラーをつけて扇風機を回して寝た。ところが今度は3時過ぎに目が覚めて5時ころまで眠れなくなった。
 ツィッターを見たものの、とても眼が疲れた。今度は本をひっぱり出して読み始めたが、なかなか頭に入らない。5時過ぎににふたたび寝入ったら今度は朝起きるのがつらかった。その間ずっとクーラーと扇風機は動かしたまま。風は体には直接当たらないように、壁に向けて風を当てている。

 しかし朝に念入りなシャワーを浴びても、体がシャキッとしない。その上、昨日の夜に掲載した俳句の意味がやはり解らない。それもまた頭がシャキッとしない原因でもあるようだ。分からないものはわからないとして、深入りしない方がよさそうだと、今朝になって思った。

いろいろと考えたけれど‥

2018年07月21日 21時35分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★手榴弾めくアボカドと首夏の夜を    伊藤伊那男

 朱夏は夏そのものの異称。首夏は初夏・初夏の意味で、立夏を過ぎた新緑の5月ごろであろう。はじめこの句を読んだときはアボカドを手榴弾に見立てただけの句かと思い、スルーした。次にアボカドを手榴弾に模するすらば、朱夏あるいは炎天、大暑、酷暑、刧暑などもいいと感じた。そうすると鎮魂の意が句から立ち上るのではないかと思った。これはこれで私の好みの句となる。
 同時に、ではなぜ初夏の意の首夏としたのか、という疑問が湧いた。野菜としてのアボカドは脂肪を多く含み、寿司がアメリカではやった際に、アメリカから逆輸入された寿司ネタでもある。鮪の赤味によく合い、私も好きなサラダの具材である。首夏の夜「に」手榴弾めいたアボカド「を」愛でながら食べたのであれば、「てにおは」が違う。ここではアボカドと首夏の夜が並列なのである。
 また「手榴弾めく」で切れるとするとどうなるのか。社会全体が少々危うい状況になった、ということが「手榴弾めく」だっとしたらどう解釈できるか。その不穏な空気が、アボカドと首夏の夜にどのように反映されているのか、これはかえって難しい。最後が「を」ではなく、「と」ならば、「未だまだアボカドと首夏の夜は平穏だが‥」という風に成り立つ。
 ここまで来て私はお手上げである。「手榴弾めくアボカド」がどのようなイメージを喚起するのか、合点がいくまで少しこだわってみようかと思った。果たしてわかるだろうか。



目が弱くなった

2018年07月21日 18時25分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から会議の資料作りが15時過ぎに終了。コピーの原本が無事出来上がった。今回は25頁もある厚いものになってしまった。これでは他の方にも迷惑なのだが致し方ない。もっとも横浜市に提出した助成金請求の申請書類一式のコピーがそれだけで14頁もある。これがなければ、少し多めとはいえいつもの枚数に近い。

 完成後、目がチカチカしていつものように眼精疲労らしい症状。横になったらそのまま2時間熟睡してしまった。目がすぐに疲れてしまう。矯正はこれ以上無理である。視力の老化というものなのだろうか。読書も次第に長時間できなくなっている。これは気力の問題もあるだろうし、目がすぐに疲労してしまうこととの相乗効果かも知れない。

夏休みが本当に「休み」になっているか

2018年07月21日 12時25分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の朝にブログに掲載しようとした記事を間違って昨晩遅くにアップしてしまった。「処置有見舞」という題の記事である。先ほど少し書き直した。

 今晩予定の団地の管理組合の会議は明日の午前中に変更になっている。資料作りを現在実行中。15時くらいまでには完成したいもの。

 私の部屋にはエアコンがないので、暑い。しかもパソコンやプリンターの熱も加わり、キーボードに汗がしたたり落ちる。やむなく扇風機を2台使って居間のエアコンのつめたい空気を私の部屋に流れるようにしている。毎年8月にこれをするのだか、今年はもう耐えられなかった。それなりに効果がある。汗がひいてきた。

 本日から学校は夏休みとのこと、きっとクーラーのない教室から解放され、水もスポーツドリンクの飲用すら制限され、休み時間や体育・行事などで屋外に出ることも強要されているであろう小学生などにとっては地獄からの解放なのかもしれない。
 学校が子供の避難場所ではなく、地獄の特訓の場になっているという話があちこちから聞こえてくる。ところが、さまざまな活動が学校で夏休み中行われ、県大会等々と称してみっちり仕込まれるという。少年野球やサッカーなど地元での活動もまた、根性論・恫喝指導が教員免許を持たない人間によって行われている。近くの少年野球場などを見かけると聞くに堪えない罵声、人格否定の怒声が子どもたちに浴びせられている。それを親などの保護者が傍で容認しているのを見るにつけ、こわくなる。
 教員のクラブ活動などを根拠とした長時間労働が問題になっている。私はこれはおおいに改善しなくてはいけないと思うと同時に、その長時間労働の原因の長時間クラブ活動に参加する小中学生の長時間拘束もまた問題にしなくてはいけないのではないかと思う。
 現役の教員ではなく、退職した元教員などを「活用」し始めている。だがよく考えて欲しい。彼らは「専属」である。むろん彼らの労働の条件もまたキチンと整備されてしかるべきだが、その指導を受ける子どもにとっては、長時間の拘束がさらに長く続くことにもつながらないか。そちらの方もまた深刻である。小中学生のクラブや活動が全国レベル・地方レベルに引き上げられることで、子どもに過大な「訓練」が課せられている。
 根性論や恫喝で導かれる活動は、子どもたちから自ら考えることを奪う。主体的にものを考えない子どもをつくるだけである。社会全体にとっても不幸である。

暑中見舞い

2018年07月20日 22時19分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★うす箋(がみ)に愁ひもつづり夏見舞     飯田蛇笏
★夏痩せに妻の饒舌ひびきけり         白岩三郎


 本日の横浜市の最高気温は13時直前の33.7℃。家から150メートルほどのところまで往復しただけで汗が噴き出てきた。

 暑中見舞い、私は出したことはないが、ここ数年幾枚か暑中見舞いのハガキを貰うことがある。中には丁寧に封書にて、涼し気な便箋に達筆でつづられた暑中見舞いもあり、字に劣等感を持つ私は恐縮するばかりである。この句の作者の手にした暑中見舞いには「愁い」が綴られていたというのだ。どんな愁いなのだろう。暑中見舞いを書いた本人の身近な愁いか、社会に対する愁いか、俳句ではそこまで明らかにすることはあまりない。しかし一定以上の年齢になるとその区別は無くなってくる。その区別がつかないのが高齢者の「愁い」であることが多い。

 そしてこの暑さでもっともイライラするのは、喫茶店や電車の隣りに縄った人のとりとめもなく、そしてメリハリのない饒舌なおしゃべりである。暑さで妻も子供もイライラが募っている。その愚痴に似たおしゃべりを聴き続けるのは確かにしんどい。それに耐えてこその夫であり、父親であると言ったところでなにも解決にはならない。もっとも家族同士のおしゃべり・饒舌は妻や子の専売ではないという。夫のおしゃべり・饒舌に辟易している職場の女性の愚痴にも付き合ったことがある。おしゃべりは女性・子供・年寄りの特技などではない。男のおしゃべりもまた、おおいなる迷惑行為なのである。要するにおしゃべり・饒舌は人の都合・周囲への配慮がなければ迷惑行為である。

 さて、横道にそれるが、そして再度強調したいが、このおしゃべり・饒舌は「女性」それも「高齢の女性」の特質とまで言う人がいるけれども、男女を問わず、現役の勤め人諸氏の、特にメリハリのない上司の饒舌・おしゃべりほど嫌なものはない。しかもこれがとても多い。電車や喫茶店で涼もうにもかえってイライラしてしまう。組織の責任者と部下、先輩・後輩の関係の中では、饒舌・おしゃべりとはみずからの責任回避のための言い訳でしかない、と言い換えたくなる。
 自らの能力の欠場を部下のせいにし、そして自らの責任回避のようにひたすらしゃべり続ける上司風を吹かすサラリーマンであれば、思わずその部下・後輩に「そんなのが上司・先輩の会社などはやくやめちまわないと、責任取らされてとんでもないことになるよ」と言ってしまいたい衝動を抑えるのに苦労する。そういうことにならないよう、隣りの車両に移動するのか私の回避方法である。

熱中症報道に思う

2018年07月20日 20時24分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も高温注意情報、熱中症警戒情報がもたらされた。その暑い中、横浜市庁舎まで出かけた。行くときは電車をを利用したが帰路は自宅まで歩いてみた。夕方になっていたので何とか歩き通すことはできた。しかしこれも歩くことになれていないと多分熱中症の症状が出たかも知れない。自宅まであと30分のところにあるコンビニのイートインコーナーで持ち歩いている梅干し1個と、購入した烏龍茶のペットボトル1本で休憩。しかしあまりに冷房が効きすぎていて10分ほどで店を出てきた。あまり休養にはならなかった。

 熱中症の報道を聞く限り、また小中学校の学校での熱中症の状況、高齢者の脂肪などの報道を信じる限り、30℃以上では屋外活動の禁止を明確に言わないと、熱中症の事故は無くならないのではないか、とすら思えてしまう。

 特に小中学校の事故は真剣に考えなければいけないようだ。未だに「根性論」が横行する教育現場では、職場の安全衛生の取組みすら無視されているような気がする。公的なイベントは30℃以上は実施してはいけない、ということの徹底が難しいのだろうか。そうであるならば、学校のイベントそのものを明確に中止ということが大切だと思う。教師一人ひとりに判断と責任をかぶせるのではなく、自治体として「行事・イベント・活動」の「停止」の判断しないといつまでたっても学校行事での悲劇は無くならないのではないか。70歳以上の人の参加する運動イベント等も同じように取り扱った方がようような気がする。



49年前の7月20日

2018年07月20日 13時04分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ネットを見ていて気がついた。1969年7月20日はアポロ11号が月面の「静かの海」に着陸した日である。ただし日本時間では7月21日の早朝であった。
 アームストロング船長の「この一歩は小さいが、人類にとっては大きな飛躍である(That's one small step for a man, one giant leap for mankind) 」言葉はあまりに有名。

 東西冷戦下でのアメリカの威信を賭けたアポロ計画はあまりに露骨な軍拡競争の一環でもあったが、私も含め興奮したものである。確かに機械での遠隔操作による探査ではなく、直接人が着陸するということは大きな成果であった。アポロ11、13、15、16、17号と月面着率に成功したものの、1972年12月のアポロ17号が最後となった。

 私は天文学志望だったが、当時は太陽系天文学には興味はなかった。天文学には進めず、着陸の日から5年後、学部のときに奇しくもアポロ計画で月面に設置された地震(moonquake)計(月震計)の解析の論文を訳すよう指導された。しかし結局何もせずに放置。今となっては何が書かれていて、どんな結論だっかのかすら覚えていない。


「鎌首をもたげた」星の配列

2018年07月20日 10時11分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は昼間はほとんど歩かなかったので、深夜のウォーキングを一時間少々。最近は大接近中の火星、土星、さそり座のアンタレス、木星、牛かい座のアルクトゥールスが東から西にかけて蛇がながながと横たわるような明るい星の列を眺めながら歩いている。アルクトゥールスがとても明るく、そして高度が高いので、蛇が鎌首をもたげたときの眼にも見える。
 滋養減の半月が少々邪魔なのだが、なにか大きなものを飲みこんで膨らんでいるとでも思えばいいのかもしれない。
 火星、アンタレス、アルクトゥールスの3つの星は赤く見えるので、この5つの星の並びは少々不気味である。昼間の熱気のただよう夜の大気の中から、見つめられているような錯覚を受ける。古代の人びとも火星やアンタレスには不気味な印象を受けたらしい。

 コースの曲がりによって火星を正面に見ながら歩く時間がある。
 夜中近くになって、星を見あげながらウォーキングをしていると、時々不審な眼で見られることもある。

蝉の声が本格化

2018年07月19日 23時03分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜の本日の最高気温は14時過ぎの33.8℃。しかしこれまでとは違い風があった。瞬間最大風速は南南西の風で約10メートルとなっていた。風があれば暑さも何とかしのげる。
 だが、風は本日と同じくらいの強さであるが、明日はもう少し気温が上がるようだ。はたしてどんなふうに感じる暑さであろうか。
 最近夜中でも救急車のサイレンの音が多いように感じる。窓を開けている所為なのか、熱中症が多い所為なのか。

 さて、蝉の声が本格的に聞こえ始めた。2週間ほど前に、一匹、二匹の声だったのがこの1首間ほどの間に次第に増えてきた。一昨日あたりから何匹の声なのかわからないほどになってきた。「みーん、みーん」と喧しくなった。ただしまだ夜には蝉の音は聞こえない。例年再生機には夜中まで蝉の声が聞こえていた。
 蝉の声から虫の声に移っていく過程がなかなか風情がある。