Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

同年代と楽しいひととき

2020年09月21日 22時37分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 某駅前で、ふたりの友人と落ち合い楽しい時間を過ごさせてもらった。横浜の林市長によるカジノを含むIR誘致に対する住民投票条例制定を求める署名をしてもらった。
 署名してもらった後は、当然のことながら割り勘で楽しい時間を2時間ほど。13年以上前に週に3回は通っていた居酒屋で当時の値段のままの日本酒を3杯も呑んでしまった。
 久しぶりに心地よいお酒と美味しいつまみにおおいに満足。若冲と辻惟雄についても話題にできた。

 帰りの電車では寝てしまって二つほど行き過ぎた。そのまま下車して4000歩ほど歩いて帰宅。


「若冲」(辻惟雄) その2

2020年09月21日 14時14分50秒 | 読書

      

 本日は「若冲」(辻惟雄)の「二、若冲画小論」に目をとおした。

「若冲の彩色画の濃密、執拗、繁縟(はんじょく)な空間充填は、それが日本絵画史上ほとんど類を絶しているだけに、中国花鳥画の同種のものからの影響が一応予測される‥。〈(動植綵絵の)牡丹小禽図〉のような作品は、若冲自身の常人離れした空間充填の意欲が、中国花鳥画によって触発され、際限なく膨張し自己増殖をとげた、その結果ではないだろうか。」(「若冲と明清画)

 この前半の指摘は私の若冲に対する最初の印象であった。若冲の魅力の一つであると同時に、時々は辟易としてしまう世界でもある。それが明代の中国絵画の世界と繋がっていたという指摘である。

「「物」の外形の冷静的確な再現に終始するためには、若冲の視覚は、あまりにも特殊で強烈な自己同化の作用下におかれていたのであろう。それゆえ、かれが「物」に即して‥凝視をこらせばこらすほど、そのかたちは現実を離れ、異様な相貌を帯びて来て、かれを妖しい興奮に駆り立てるのだった。それをつとめて抑え、いわば〈醒めた熱狂〉の状態に身を置いて、見えて来る「物」を正確に写し取り、幾何学的理性的秩序の中に構成する――これがかれのなずべき事のすべてであったと思われる。《動植綵絵》のかたちや空間が、われわれの視覚的意見の枠外に遊離しながら、すみずみまで驚くほど明瞭であり、曖昧なものは何一つなく、見るものをそこに呪縛するような強烈なリアリティを持つのは、そのゆえにほかならない。‥‥かれの行草体水墨画は、いうまでもなく「写意」の放埓に身を委ねた所為であるが、それは《綵絵》の世界の呪縛の外にくつろぎの場所を求めようとする精神の平衡作用のしからしめるところでもあったろう。そしてこの写意の放埓が《動植綵絵》の写生の中の随所にさり気なく組み込まれている‥。」(「若冲と写生」)

 ここの文章はなかなか理解しにくいが、この部分は後の「奇想の系譜」「奇想の図譜」へとつながる部分である。なお「写意」「写生」についての定義は、長くなるので別途言及する必要があるようだが、本日は割愛。

「彼が血のにじむ努力によって獲得したであろう描写技術も、中国花鳥画の体験も、動植物の執拗な観察写生も、究極のところ、画家自身の意図を超えて、かれの胸中にある隔絶された「奇」そのものを実体化する役割を担わされていたのではないか‥。蕭白の「奇」はこれにくらべてどうであろうか。‥放縦な筆の表現力と、人目を驚かす衒気によって「奇」を演出するものであって、次元としては必ずしも高くない‥。だがむしろそこにかれの真面目があるとも言えよう。「奇」を高踏的な文人社会から、より低い民衆的、土着的な次元に引き下ろして、たくましく野放図に繰り広げて見せた点に、蕭白の画業の意義があると私は思う。」(「若冲と「奇」」)

 ここもまたわかりにくいが、もう一度「奇想の系譜」を再読して両者についての辻惟雄の記述を見たくなった。

「若冲は文字通り真摯な画家である。自己顕示欲の充足ののために画を描いたのではなく、描くことに生涯憑かれた人というのが実相である。」(「若冲と「奇」」)


「万葉集の起源」 その2

2020年09月20日 22時00分28秒 | 読書

 本日は夕方にかけて、「万葉集の起源」(遠藤耕太郎)を読んだ。序章と第1章を終了。

「私がこだわりたいのは、書かれた歌としてある万葉和歌の抒情表現の方法は、声の歌のなかで培われてきた技術を継承しているということである。本書はこの点を中心に、万葉和歌の起源を探ろうと考えている。「万葉集」に始まる和歌の抒情表現のあり方は、その後の日本人の抒情のあり方を決定づけてもいるから、万葉和歌の抒情の起源を探るということは、私たち日本人の抒情のあり方の起源を探ることでもある。」(序章)

「照葉樹林文化論は日本人の直接的なルーツをこの地域に求めるという性質が強かったが、私は日本人の直接的ルーツをこの地域に求めようとしているわけではない。彼らの声の歌の抒情表現のあり方をモデルとして、この列島にあり得た声の歌のそれを復元し、それが漢字によって書かれた万葉和歌の抒情表現にとう継承され、そこからどう飛躍しているのかをイメージしようと考えている‥。」(序章)

「「万葉集」は、生者であれ死者であれ、人を恋しいと歌う歌を集めた家集である。この歌は文字で書かれた歌として、人の心を動かす。こういう抒情のあり方は、書かれた歌が発明したものではなく、それ以前の声の歌のなかで徐々に形成されてきた。まだ抒情とは呼べないような期待や不安や怖れや喜びといった抒情の原型のようなものを表現する技術を継承しつつ、そこから飛躍したところにある。この列島にった声の歌がどのうなものだったのか。‥私が二〇年間通った雲南少数民族の声の歌のありようをモデルとして復元しようと考えている。そこには、抒情の原型のようなものを表出する、東アジアの声の歌の普遍的な技術がある。」(序章)

「古代の日本では、男と女が互いに恋歌を掛け合う歌垣という習俗が広く行われていた。万葉恋歌の基層を論じるのに歌垣は外せない。‥アジア全域に目を向けると、照葉樹林文化論が早くに紹介したように、現在もなお歌垣を行なっている民族や地域がある。」(第1章)

「古代日本の歌垣でも膨大な歌が歌われたが、その中には闘争を目的とした歌掛けもあり、その勝敗を決する要素の一つとして押韻があったのだろう。」(第1章) 


秋の夕焼け

2020年09月20日 19時59分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連



 夕刻には雨はあがっていた。外出した時は少しだけ降り始めたが、5分もしないうちに止んでくれた。
 往復6000歩程を歩いた。
 途中のドラッグストアでアルコール消毒液を購入。いつもジェル仕様のアルコールばかりを揃えている店だが、本日はジェル仕様ではなかったので迷わずに購入。ジェル仕様は使用後もべとべとして気持ち悪い。スプレー式でないと小分けにしての持ち運びにも、把手などの消毒にも不便である。

 帰り際に雲に映えた夕焼けに遭遇。あっという間に赤く染まった範囲は縮小していった。

★秋夕焼わが溜息に褪せにけり      相馬遷子
★鷺たかし秋夕焼に透きとほり      軽部烏頭子

 


涼しい

2020年09月20日 15時12分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 「美術の物語」(ゴンブリッチ)の7回目までの復習講座を受講した後は、事務作業を少々。これより読書タイムの予定。
 本日は14時で24.5℃と涼しい。平年並みの気温である。空は一面暑い雲で覆われている。レインアイよこはまの画面を見ると0.1~1ミリの雨の区域に入っていた。外の遊び場からは子どもの声が継続してしており、ベランダから手を出しても降っているのか判然としなかった。まもなくレインアイよこはまの画面から雨の区域は去って行った。
 夕方のウォーキングが終るまでまで雨は降らないでほしい。

 


本日の収穫

2020年09月19日 23時11分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどなかなか通じなかった電話が通じた。そして別の方から嬉しい電話があった。いろいろと退職者会に協力してくれることを伝えてくれた。
 本日は結果として、なかなか充実していい日であった。
 読書もそれなりに進めることが出来た。退職者会にニュースに乗せる楽しい原稿も早々と送ってもらった。取組みに参加してもらえる電話ももらった。

 残念なのは、ほとんど外出せずに過ごしてしまったこと。夜に近くの易い中国料理の店に夫婦で出かけただけ。往復5000歩に満たなかった。もっとも値段も二人で2500円で十分満足できたのはうれしかった。
 当初は何年かぶりで夫婦でラーメンなるものを食べてみようか、と言っていたが、やはりくどそうなので店の前は通り過ぎた。

 久しぶりにいいテレビ番組を見た。録画するのは忘れて見入っていた。22時からNHKのBS1で放送された「長崎・コロナの夏 8・9どう語り継ぐか 新型ウィルス禍が阻む平和教育 原爆朗読劇」を通して視聴。

 


「若冲」(辻惟雄) その1

2020年09月19日 21時36分27秒 | 読書

   

 「若冲」(辻惟雄、講談社学芸文庫)の前半「伝記と画歴」を読了。ページ数にして半分であるが、図版部分が管理多いので、文章としては3分の1位であろうか。
 第一期から第四期まで、作品の年代確定や作品論の触りもあり、これだけでもおおいに勉強になる。辻惟雄の若冲へのこだわりの出発点であろう。

         


 私は若冲の彩色された少しの隙も無いような稠密な彩色画も好きである。日本の絵画史上でも稀有の存在であると思う。だが、同時に水墨画にはもっと牽かれるものがある。特に第四期の米斗翁時代の水墨画に惹かれる。
 「蔬菜図押絵貼屏風」「五百羅漢図」「果蔬涅槃図」などが私の好みである。
 対象を大きく拡大して大写しに描く彩色画から背景を取り払ってさらに大写しにしたような「蔬菜図押絵貼屏風」だけでなく、群像図ともいうべき「五百羅漢図」「果蔬涅槃図」に若冲の特質が現われているように思っている。
 若冲という人、人との交わりが不得意で絵画の世界に没頭したというが、社会を見つめる目もきちんとしていたと思うのは私だけだろうか。
 市場全体のもめ事を粘り強い交渉で処理したという記録が見つかったということを「若冲」(狩野博幸、角川ソフィア文庫)の212頁以降で知った。処世・社交をキチンとこなし、人間の作る組織を切り盛りする能力にもたけていたということである。これらの作品からも想像できないだろうか。
 


隠居はおとなしくはない

2020年09月19日 15時44分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 友人からのメール4本、電話5本等々をしているうちにもう15時。読書タイムをと楽しみにしていたが、わずか30分しかしていない。
 しかし次回の退職者会ニュースの原稿をひとつ貰ってご機嫌。11月号の準備をする踏ん切りとなった。

 気がついたら世の中は本日をいれて4連休とのこと。月曜日に郵便局に行って現金書留を、ならびに銀行で振込手続きをするつもりでいた。
 書留に同封する文書も今日・明日にプリントアウトする予定でいたが、断念。取りあえずこの仕事は月曜か火曜まで延期。

 月曜日の夕方に、すでに退職している3人で、某所にて落ち合うことになった。連休だろうが、平日だろうが、無関係であることが共通点。ただし落ち合った場所で喫茶店などが開店しているか、についての検証はしていない。つまり行き当たりばったりであることも共通点でる。この3人、世の中に対してはかなり厳しい思想と行動を保持した隠居とでもいうのだろうか。
 そういえば「無用庵隠居修行」(海老沢泰久)という時代小説とテレビ番組があった。私たちが小説やテレビドラマと違うのは、時の権力者に対してさらに上位の権力者の権威を借りて下位の悪意ある権力者を懲罰する、などという卑屈なことはしないことである。

 もう1本電話をしなくてはいけないのだが、通じない‥。
 


眼鏡を忘れて外出

2020年09月18日 22時56分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 15時過ぎに外出した時に、どういうわけか眼鏡を掛けず歩いた。10分ほどしてから眼鏡を掛けていないことにようやく気がついた。
 白内障の手術で視野が明るくなり、若干視力が回復したので、夜間でなければ街中を歩く分には問題は軽減している。車や自転車や人は十分に認識できる。ただし車のナンバーや人の顔の判別は出来ない。一番困ったのは、横浜駅の喫茶店の傍の公開空地のベンチに座ってスマホのメールを読もうとしたときである。字がボケて読むことが出来なかった。文庫本の字も読めなかった。
 やむなく、ベンチでボーっと空を見上げていた。帰る途中の公園でキバナコスモスの写真をデジカメで撮ろうとしたけれども目がショボショボしてよく見えなかった。適当にシャッターを押したので帰宅後に見たら8枚の内6枚はまったくピントが合っていなかった。
 一方、スマホで撮影した雲の写真は特に問題はなかった。スマホで撮る雲の写真はピント合わせは必要はない。

 しかし眼鏡を忘れて出かけた、というのは何十年ぶりだろうか。多分50年以上そんなことはなかった。
 昨日からどこかボーっとしている一環なのか、たまたまだったのか、あるいは白内障手術で少し視力が回復したことによるのか、判然としない。
 やはり、どこか自分が普段と違っているような落ち着かない感じが抜けない。

 歩く分には支障は極めて少ないが、多分店の中で商品を見るとき、特に地下街やビルの中の店では、大きな支障が出たと思う。
 地下街など普段は明るいと思っているが、外にくらべるとやはり格段に暗いものである。


時間ばかりが過ぎてゆく

2020年09月18日 21時02分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日もあまり作業効率が上がらず、おたおたしながら退職者会の作業を行った。思いどおりにならない。イライラはしないが、途中で面倒になり、ボーっとしている時間が長かった。多分調子のいい時の3倍も時間がかかったのではないだろうか。何とも情けないものがある。
 昨日・今日と歳を感じた。

 読書も「若冲」を読む気力がわかず、昔購入して放り出していた推理小説を少しばかり齧っては放り投げ、他の時代小説を手にとってはすぐに飽きてしまう。そんなことを繰り返しているうちに、15時になり、当てもなく外出。横浜駅まで往復してみた。

 夕食後も同じようなもの。だらだらと時間ばかりが過ぎていく。無為の日は無為なりに充実しているが、そんな充実感とまったく無縁な日が続いた。


終日風が吹き荒れる

2020年09月18日 19時58分13秒 | 天気と自然災害

   

 気がつかないうちにキバナコスモスが勢いよく咲いていた。もう9月の半ばを過ぎている。咲いているのが当然の季節である。ようやく空も秋の雲が多くなってきた。
 夕方、出かけたついでに。写真を少々。風が強く、キバナコスモスは焦点を合わせるのが困難であった。一眼レフを持ち歩いていなかったので、一枚目はピントがどこにあっているか、探さないと分からない。
 本日の最大瞬間風速は14時前の21.5mであった。風は日が暮れてもいまだに衰えていない。かえって昼間よりも強く感じる。


秋の雲

2020年09月17日 21時26分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は退職者会の作業を3時間ほど。あとは特に何もしないうちに時間だけが過ぎてしまった。3時間の作業も2時間分は失敗の連続で、いい結果は出なかった。ようやく夜になって再度やり直してどうにか形になった。試行錯誤の結果なのでやむを得ないのだが、無駄な時間を過ごした気分である。
 その割には残りの時間の有効活用が出来ていない。まぁ無駄も必要、ほとんど何も自分のことが出来なかった1日もまた貴重な1日、ということで満足することにした。
 午後遅く若干の散歩に出掛けた。空にはすじ雲と小さな渡雲がたくさん浮かんでいた。だいぶ秋の空の様相であった。残念ながらカメラも忘れ、さらにはスマホも忘れたため、写真は撮れなかった。
 湿度が高かったようで、ゆっくりと歩いたにもかかわらずかなりの汗をかいた。

★ねばりなき空にはしるや秋の雲     内藤丈草

 この句は爽やかに晴れあがった秋の空なので、本日のような蒸し暑さを感じる日を詠んだ句ではないと思われる。しかし「ねばりなき」というのはずいぶんと現代的な気がした。江戸時代と今とでは「粘る」に意味の相違はないようだ。


世界は柔らかい水の音で満ちている

2020年09月17日 14時38分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   世界は柔らかい水の音で満ちている

 世界は柔らかい水の音で満ちている。
 人は柔らかな水の音を聞くと安らぐ
 素直に社会と向き合えるようになる
 身の回りのことをそのまま
 受け入れるように心がはたらく
 人は柔らかな水の音を聞くと柔和になる
 柔らかな水の音を聞いたら、立ち止まって、
 心を他人に向けて開きたい
 静かにその音を聞くのがいい
 
 世界は柔らかい水の音で満ちている。
 柔らかな水の音は、どこに存在するか
 川の流れから、そして
 雨どいや屋根を伝い落ちる雨、
 水道の栓から落ちる水滴、
 太い樹の幹を伝い落ちる水の流れ、
 植物の葉からこぼれる水滴、
 道路の側溝を流れる水

 世界は柔らかい水の音で満ちている。
 水の音は、規則的と不規則との混在
 不規則であること、それが永遠につながる
 不規則が、人に安堵を与える
 パターンの中に表れる不規則、
 不規則の中に顔を出す定型の繰り返し
 それが柔らかい水の音
 わたしの住む世界は柔らかい水の音で満ちている。


 50歳を過ぎたばかりのころ、俳句を始めた。その初学の頃に次のような句を作った。

・五月闇水の匂いのその先に

 1か月程の入院と2カ月の退院とを数回繰り返してようやく入院しなくても良くなった時は、翌年の梅雨が始まっていた。
 入院先の病棟では聞くことのできない梅雨の走りの雨の音を、自宅の寝室のベッドの上で聞きながら、「水の音」が癒しの音であることに気がついた。強い雨は、恐怖を感じるが、弱い雨に、人を包み込むような気分を味わうことができる。
 もう入院して体調を崩すような投薬に耐えることもなくなった、という安ど感がそのような気分の背景でもあった。
 40代半ばから匂いを感ずることはあまりなくなっていたので、「水の匂いのその先に」とはせずに「水の気配のその先に」とつくった。当時の俳句の主宰は「匂い」に変えてくれた。確かに「匂い」というのは「嗅覚」だけではなく、「気配」も含む。「匂い」の方が音も含めてより感覚が広がったと思う。
 さて、この水に対する親和性のような感覚を最近再び強く感じるようになった。ここ数年、幾度も猛烈な恐怖を感じる雨を毎年感じる。それがかえって静かで、人を瞑想に誘うように雨を思い出させてくれるのだと思う。

 すっかり回復したとき、上の詩のようなものをノートに書きつけたのを思い出した。恥ずかしながら掲載しておく。

 


人と接する機会を増やさないと‥

2020年09月17日 10時23分15秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 来年の夏には何と70歳=古稀になってしまう私である。二十代、三十代の頃には想定も出来なかった年齢である。

 最近は、自分でも日にち・曜日の勘違いなどが多くなった気がする。コロナ禍で、退職者会の会議や取組みでの外出、美術館・博物館へ行く機会などが減ったためだと思う。
 また「Fs」と名乗ってこのブログをはじめた。ツィッターやフェイスブックでは別のハンドルネームを使って登録してしまった。
 それを自分で混同してしまう。何とも情けない自分がいる。果たしてこのコロナ禍での対応のためだけが原因なのか、と自分で自分を疑うようになった。

 ひょっとしたらいよいよ私も認知機能が従来のようには働かなくなったのではないか、と心配になっている。

 もう少し刺激のある生活に戻したり、人と接する機会を意識的に増やしていかないといけない、と思うようになった。
 もしもこのコロナ禍がより深刻な事態になり、人と接したり外出する機会が減少すると、夫婦二人だけのごく狭い範囲の会話しかなくなってしまう。
 テレビをみたり、読書したり、家の周囲をウォーキングしたり、というだけでは人は失うものが多いのだと思う。もう少し、他人と接して刺激を受けることに意識的にならなくてはいけないようだ。
 コロナ禍に限らず、人は歳を重ねると意識して人と接しなくては認知機能に支障が生ずる、と言われていたことをあらためて再認識している。

 


柔らかい水の音に包まれた時間

2020年09月16日 22時58分08秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 雨は一時間ほどでやんだ。5ミリ以下の弱い雨であった。このくらいの雨が心を落ちつかせてくれる。
 この柔らかな水の音に包まれた60分、気持ちが広がったように感じた。人は柔らかな水の音に敏感に反応する。
 雨が去ったのち、秋の虫の声が静かに復活した。雨の音から虫の音の世界に、違和感なくスムーズに移行した。

 さて、足の痛みが完全にひくまでは、自重の毎日である。とはいっても気がつくと毎日1万歩は歩いている。ただしウォーキングとしてではなく、ゆっくりとしたペースである。
 先日整形外科の医師から、「足のむくみと痛み、そして両膝の痛みは、ひょっとしたら脊椎管狭窄症を発症した原因の腰の骨のずれが原因している可能性もある」と云われた。それが正しいかどうかは分からないが、あまり過激な運動は当面控えた方が良さそうである。
 これまでウオーキングに費やして来た時間を毎日どのように使うか、悩みどころである。