Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

秋彼岸・後の彼岸

2020年09月25日 22時48分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の最高気温は15時過ぎの21.7℃。雨が降ったりやんだりを繰り返した。東から西に流れていた雨の区域は夕方から南東から北西方向に変わり、現在は南西から北東方向になっている。
 台風12号から変わった温帯低気圧による雨から、秋雨前線上にある低気圧のよる雨に変わった。雨の区域の移動が南からに変わったとはいえ、気温はあがらない。
 急に20℃ほどに下がったために、とても寒く感じている。終日部屋の中に閉じこもって運動不足でもあり、、長袖のウィンドブレーカーを着て過ごした。

★人は灯をかこみ後の彼岸かな      三田さえ子

 やはり秋は人恋しいということか。夕食後は「万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜」を読んだり、テレビをボーっとみたり、とりとめのない時間を過ごした。家籠りの常である。不思議なものである。時間がたっぷりあるときほど、無為に過ごしてしまう。出かけて、体を動かした方が、読書も仕事もはかどる。

 明日も雨模様だが、せめて近くの駅周辺まで出かけてみたい。人混みの中には入らない程度に。

☆そういえばこんな歌詞の歌もあった。1973年にシンシアこと南沙織が歌った「色づく街」。有馬美恵子の作詞。最後はこんな歌詞であった。

街は色づくのに

会いたい人は来ない
人のやさしさ人のぬくもり
あー通り過ぎてわかるものね


「若冲」(辻惟雄) その3

2020年09月25日 18時30分37秒 | 読書

  

 「若冲」(辻惟雄、講談社学術文庫)を読み終わった。昨日までに「三、印譜解説」と「四、若冲派について」を終わり、昨晩と本日で「図版解説」を読み終わった。図版解説は78枚である。
 私が気になっている作品の図版と解説を引用してみたい。今回は4作品。いづれも動植綵絵から。



 はじめに取り上げるのは、「雪中鴛鴦図」。動物を描いたものの中では動きのない、あるいは少ないものの一枚で、絵がいある鳥も5羽と少ない(うち3羽は鴛鴦ではなくしかも小さい)。私はこのような動きのないもので、好みである。
 動きのあるものは、水中に頭から半身を入れて餌をあさっている鴛鴦で、これも動きはおとなしい。
 解説は、
「静的な秩序というものを綵絵三〇幅のうちに求めるとすれば、この図などがまず挙げられるだろうか。雪を附けた柳の枝の下や岩組の垂直線、凝結したような鳥たちの姿――これらはたしかに〈静〉につながる。とはいっても、元、明の雪景花鳥図の寂寞感をこの図に求めることはできない。鳥の羽毛や椿花に施された豊麗な配色や、若冲の創意と思われる胡粉の〈吹きつけ〉による降雪の表現が、一方で画面に賑やかな装飾的伴奏を加えているからである。‥芥川龍之介の詩「動物園」の中にある、「鴛鴦」と題した一節は、多分、本図を脳裏にして作られたものであろう。」
と記している。



 次が同じく動植綵絵から有名な「群鶏図」。これはあまりに有名であるが、私はちょっとひいてしまうものである。
 解説は、
「もっともよく知られた図である。綵絵中八図を占める鶏連作の、おそらくは最期に位置し、内容的にもその集大成としての意義を持つ。若冲の執拗な観察と想像力、装飾的才能の三者がここに見事な三位一体をなした感がある。描かれているのは、すべて雄鶏で、頭の数から十三羽とわかるが、体形と羽毛は複雑に入り組んでどれがどれのものか判然としない。若冲はここで、従来もそうであった傾向――すなわち、鶏の個体の外見の正確な描写より、その〈美しさ〉の等価値を生み出すことをより重視する態度――をいっそう徹底させ、羽毛の多様なパターンの抽象化と、その精妙な平面的配合から、このように公共的な豊饒さに満ちたアラベスクをつくり出した。。紅い妖星にも似たトサカの中に金色の眼を埋め込んだ頭の同数反復が、画面の蠱惑を決定的なものとしている。」
としている。

 次も動植綵絵から、私は目がくらんでしまう「牡丹小禽図」。この稠密な画面構成は「郡鶏図」
と同様に、始めに取り上げた「雪中鴛鴦図」と対極的な作品だと思う。「群鶏図」は鶏の配置の妙を見せているが、見ていると十三羽の鶏は、絶え間なくめまぐるしく、そして小刻みに動いている。しかしこちらの鳥2羽は牡丹とコデマリに埋もれた動きを封じられているようだ。微かに首を巡らせることだけが許されている。
 解説では、
「「空間恐怖」という用語を想起させるような、絨毯のように描き込まれた画面である。牡丹に岩、コデマリと思われる白い花と庭の小禽(と小禽の狙う一匹の羽虫)がモチーフのすべてであるが、若冲の執拗な描写意欲が、それをこのように目くらむような複雑混沌の空間に仕立て上げた。われわれの江戸美術に対する概念を打破するような、余白否定の態度に貫かれたこの図は、綵絵連作を通じて若冲が追及して来た装飾空間の、一つの極限的な姿を示すものだろう。‥牡丹の花弁の文様的な輪郭づけが、細密な画面に重厚さを与えると同時に、いくぶん息苦しいものにもしているのだが、一方で、コデマリの葉の描写など、最晩年につながるような軽妙さが細部のタッチにあらわれている面も見逃せない。」
と記している。
 まず羽虫は私はどうしても見つけることが出来ないのだが、指摘は当然正しいと思うが、鳥と羽虫の緊張感を孕んだ画面ということになる。そのドラマが牡丹とコデマリの稠密な配置によって隠れてしまっている、と頭の固い私は思ってしまう。
 一方で牡丹やコデマリには動きはないので、群鶏図よりはずっと見やすい。しかし見つめていると赤・白・ピンクがかった牡丹の少しずつ回転を始めていく。解説を読んでからこの作品を見直すと、鳥もまた回転してこちらを穿つように飛び出して来る。



 次も動植綵絵から、これは私の好きな「芦雁図」である。こちらは最初の鴛鴦図よりも登場する鳥は少ない。わずか1羽。ただし上から下へ、一直線の運動方向が鋭く、そして大きく拡大して描いている。雪を附けた芦の葉は静止している。対になる「芦鵞図」も大きく白い鵞鳥を描いているが静止している。
 解説では、
「画面いっぱいに翼をひろげた雁が、凍った池面へ垂直に落ちて行く。鳴雁といって、地上の仲間と呼応しながら水辺に降りて行く雁が、ちょうど失速したような姿勢である。単純な構図の中に主題の鳥を拡大して描く手法は、明の花鳥画にも見られ、また、獲物を狙って急降下する猛禽がこのような角度で描かれる例はある。だが、何故にこの雁が、イカルス墜落のごとき姿勢をとらねばならないのかは、おそよ知り得ない。この奇妙な雁に対置されて、忘れがたい印象を与えるのは雪芦の描写である。「雪芦鴛鴦図」の‥写実と幻想の混交する美しい雪芦のパターンが、十年近くをへて、いくぶん写実味を加えた、より強固なイメージへと発展しているのがみられ。一方で雁の翼や首のやわらかな曲線などには、晩年の様式の胚胎がある。」
となっている。 


「大道廃、有仁義」(老子)  2

2020年09月25日 11時33分54秒 | 読書

   

 昨日は岩波文庫で「老子」(蜂屋邦夫訳注)の第18章を読んで感想を書いた。多くの場合、この本が元になっているのであろうと思われる。
 私の手元には、ちくま新書の「現代語訳老子」(保立道久訳・解説)がある。日本史家の保立氏のなかなか現代的で大胆な解釈に基づく訳であるといわれている。
 岩波文庫版では、「老子」は複数の作者によって成立したという前提に立っている。ちくま新書版では、小川環樹も引用しながら単一の著者による「詩的」な書としている。
 どちらの前提が正しいのか、どちらの解釈がいいのか、それを判断する能力は私にはない。両方を並べて読んでみることにした。

 第18章は、岩波文庫版の蜂屋邦夫の現代語訳は「それゆえ、おおいなる道が廃れ出してから、それから仁義が説かれるようになった。知恵がはたらきだしてから、それから大きな虚偽が行われるようになった。家族が不和になりだしてから、それから孝子や慈父が出てくるようになった。国家が混乱しだしてから、それから忠臣が現われるようになった。」
 ちくま新書の保立道久の現代語訳は「道義を棄てておいて仁義を説教し、知恵をつかってこれは偉大な人為であるなどと大嘘をつく。そして親族の中で喧嘩をしていながら孝行を説教し、国家を混乱させておきながら忠臣づらをする。何ということだ。」

 前者は「老子」が出来上がった時代の政治・社会状況を、一般化・普遍化し客観的に叙述した歴史哲学書としてその文章と向かい合っている。
 後者は目の前の現実をごく具体的な政治批判としてとらえた文章として相対している。どちらかというと志を述べるという中国の伝統的な「詩」の形式として読んでいる。保立氏は「老子」の文章を現在進行形の政治に対する発言とみていると私は思う。
 それは両者の「老子」に向かい合う姿勢の違いでもあり、現実に相対する姿勢のあり方の違いでもあろう。特に保立氏は現代日本の政治状況に盛んに発言をしている方である。

 後者の姿勢に惹かれて私はちくま新書の「老子」を以前に購入して、本日初めて紐解いた。そのかわり大胆な解釈や漢字の読みもある。あまり理解できなかったとはいえ一応目をとおした55年も前の漢字の読みに慣れている自分もいる。
 両者を比較するのを楽しみむために、ときどきこの二つの書を紐解いてみたい。通読はせず、ときどき目をとおしたい。


 


「大道廃れて仁義あり」

2020年09月24日 22時55分37秒 | 読書



 本日横浜駅の近くの喫茶店まで出かけて、読書タイムにしようとしたら、本を家に忘れてきた。喫茶店に入る前に気がついたので、地下街に入り有隣堂で「老子」(岩波文庫)を購入。2008年の発行で1243円(税込み)もした。思ったよりも高かったのでレジで少々慌てたが引っ込めるわけにもいかず、支払い。
 老子は半世紀前に少しだけ読んだが、よくわからずに放置した。覚えていたのは「大道廃れて、仁義あり。国家昏乱して忠臣あり。」これも大意だけのうろ覚えだった。
 バラバラめくっているうちに第18章にこれを見つけた。しかし途中の「知恵出でて、大偽あり、六親和せずして、孝慈あり。」などは記憶になかった。しかも「昏乱」は「混乱」という字だと思い込んでいた。意味は同じ、とのことである。

 孔子というか儒家に対する強烈な反発心がこの老子の出来た根拠だという思いは、昔も変わらない。

 「国家昏乱して云々」、国が、統治者が危機に陥ると、忠だの孝行だのと道徳が煩く言われる。そう80年位前の世界であった。今の時代も「国家や政府のいうことに文句を言うな」という人間がたくさん湧き出てきた。ところが政府の方は、文書は改竄するだけでは飽き足らず都合の悪い文書は廃棄し、とうとう最初から作らず、という事態になっている。しかも解明されない・解明しようとしない疑惑がついて回る政府である。
 政府が道徳を声高に言うときは、自らが不道徳をしていることの証しだと、80年前の歴史と今の政治が教えてくれている。

 本日のところは解説を読んで終了。


台風の迷走

2020年09月24日 21時27分41秒 | 天気と自然災害

 台風12号は温帯低気圧となった最期の場面で迷走を始めた。北上を開始しないで南下をはじめ、まだ行方が定まらないようだ。
 天気もそれに伴い、すっきりと晴れない。未だに弱い雨が時々降る。雨の区域はいまだ東から西へ移動している。気温も低いまま。最高気温は22.2℃であった。北風で寒いと思う。本日は長袖のウィンドフレーカーをTシャツの上に羽織って出かけた。

 明日もほぼ同じような気温という予報である。秋雨前線の西の方には低気圧と雨の区域があり東に移動している。いつになったら神奈川県上空の雨の区域の移動は、西から東への移動に変わるのであろうか。不思議な天気の移り変わりが続いている。

 時々降る雨の中を横浜駅近くの喫茶店まで歩いた。


欅のすすり泣き

2020年09月24日 13時36分50秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 風に揺れる南側の5本の欅の音を聞きながら、部屋の片づけを少々した。欅は風に枝が大きくしなり、独特の音を立てる。
 今吹いているくらいの風のときは、不気味で私たちの不安を掻き立てるように聞こえる。もう少し強い風になると、自ら枝を落して風の抵抗を少なくしようとする。その音は、自らの枝を落すときの悲しみのように聞こえる。悲鳴というのとは違う。音というも適切ではないかもしれない。すすり泣くような切ない欅の「声」である。
 微風ならば不気味さはない。逆に風に枝と葉を遊ばせて、楽しんでいるような音である。枝を落すことはまずないからであろう。
 今吹いている風で欅は警告を私たちに発しているといえる。10mを超える風なると、すすり泣きになり、20mを超えると今度は、風自体の音が大きくなり、葉擦れの音や枝が震える音、すすり泣きのような声はかき消されてしまう。
 この次に欅が発する音は、自らの枝を落すときの気合に満ちた叫び声である。

 いつもは台風のあとは団地の欅の枝を集めるのが大変である。今回はこれ以上風が強まらなければ、いいのだが。

 不思議なのは、ツクツクホウシの声が聞こえないこと。昨日聞いたツクツクホウシは一匹か二匹、しかも弱々しく鳴いていた。この団地の今年最後のツクツクホウシだったのではないか、という想像もできる。確実に秋が深まっているのだろう。果たして明日はツクツクホウシが鳴くのだろうか。


風が強い

2020年09月24日 11時50分21秒 | 天気と自然災害

 昨晩は横浜では今のところの情報では特に被害は出なかった模様。朝9時半に最大瞬間風速16.5メートルの北風を記録している。気温が20.4℃と肌寒いくらい。最高気温の予想が21℃であるからほとんど上昇しないのであろう。
 雨は降っていない。雨の区域は横浜と川崎市域をかすって移動している。昨晩と変わらず東から西へ。風の方向と、昨日と同様90度ほどの違いがある。
 台風はすでに温帯低気圧になり、明け方には南に向きを変え迷走を始めた。大陸からの高気圧の張り出しの影響を受けている。今後北向きに方向を変えるという予報になっている。

 午前中は机の上を整理。組合の退職者関係の資料はファイルに収め、余分なものは廃棄。美術のオンライン講座の資料はとりあえずまとめた。後日製本する予定。古いファイルの廃棄も年内には実行したいものである。


台風と秋の虫

2020年09月24日 01時24分41秒 | 天気と自然災害



 昨日の最高気温は22.4℃と平年の10月中旬の水準であったらしい。予報よりも少し低かったようだ。風は日付が変わる頃から強まったように思う。
 日付が変わって間もなく1時を過ぎたばかり。レインアイよこはまの表示を見ると、雨は強くても5ミリ、今は1ミリ未満の雨である。雨の区域はこれまでとほとんど変わらずに北東から南西に移動している。
 気象庁のホームページの進路予想図では台風は暴風域が無くなっている。

 レインアイよこはまと気象庁のホームページを交互に見ているが、現役時代も台風や雪・大雨で職場に待機するときも同じであった。退職して9年以上たつが、その時のパターンを今でも自宅で繰り返してしまう。当時と違うのは、仲間がいなくて、電話はかかって来なくて、現場作業や巡回をしなくて済むこと、待機者の夜食と朝食をつくることがなく、そして暖かいベッドがあること。現在は天国のようなものである。

 お風呂の浴槽の中で、雨の状況、風の具合をじっと耳を澄ませて聞いていた。雨が一瞬止むときに秋の虫が微かに鳴く。何の虫かはわからないが、なかなか逞しいと感心する。鳴きやむと10秒もしないうちに雨の音が再び始まった。雨を予知するのだろうか。
 虫の声を聞いていると、昼間にツクツクホウシが1匹鳴いていたのを思い出した。やはり、雨が止むとすぐに鳴き出し、焼きやむと雨が降り始める。しかし虫のようには澄んだ声ではなく、そして弱々しく感じた。
 台風の息・鼓動を聞くように虫の音を聞くのは、被害が出そうもない時の優雅なひとときでもある。


逸れてほしい台風

2020年09月23日 22時08分45秒 | 天気と自然災害

 今の時間も弱い雨が降ったり止んだりを繰り返している。雨の区域は東北島から西南西へ移動している。気象庁のホームページでは最大風速が9メートルに満たない北風である。きっと大陸からのつめたい空気が地上すぐ近くまで入り込んできており、その上空を台風の風が東から西に吹いていると想像できる。

 神奈川県内では台風12号による雨は、明日24日の昼前にかけて最もひどくなるらしい。当初の予報よりもかなり東に向きを変えた理由について、大陸から張り出している高気圧の勢いが強かったためという解説があった。
 そういうことであれば、確かに現在の低い気温の説明となる。同時に台風が去った後はかなり気温が低い日が続くということでもある。向う一週間の予報を見ると、最低気温が20℃、最高気温が26℃くらいとなっていてこれまでよりはずっと秋らしい気温である。だが、それでも2℃ほどは例年よりも高い気温である。またスッキリとは晴れず、曇りの多い日が続くらしい。

 昨年の台風では千葉県で大きな被害が出て、いまだその爪痕が残っている。神奈川県内でも大きな混乱があった。この台風で被害が出ないで欲しいものである。
 そして無理な出勤や登校などがなされないよう願いたいものである。
 どこの教育委員会・学校管理者が児童・生徒を、そしてどこの企業が働く者を軽視しているか、災害の度に観察させてもらっている。
 私も現役時代、台風対応が出来ていない企業や商店にずいぶんと悩まされた。足場が崩落して道路をふさいでも「役所でご自由に撤去してください」といういう無責任な企業がいくつもあった。企業名を公表すべきだと私は今でも感じている。
 


雨の区域が迫ってきた

2020年09月23日 17時36分46秒 | 天気と自然災害

 15時過ぎに帰宅。

 霧雨程度の雨がときどきやって来る程度である。レインアイよこはまの画面を見ると、雨の区域はほぼ東から西へ、流れていた。
 ほとんどの場合、西から東へ、あるいは南から北へ雨の区域は移動する。反対に流れる場合などは画面を見ていると、ちょっと戸惑っています。台風の進路などにあたる場合、このように東(北東)から西(南西)に雨の区域が移動することがある。慣れないとつい画面が違っているのではないか、と慌ててしまう。
 現在は同時に南の方角からも雨の区域が北上してきている。複雑で不思議な移動である。今のところ雨は降ってはいないが、この南から押し寄せて来る雨の区域は強く降っている領域は見当たらないが、その範囲は広い。

 その分では夜のウォーキングは無理そうである。そして明日はかなりの雨が予想されるとのことである。


台風12号の進路

2020年09月23日 10時17分08秒 | 天気と自然災害

 台風12号は進路が東に大きく変更になった。中心の予想進路が神奈川県を南東から北西に抜けることになっていが、房総半島の南端をかすめるように東進するらしい。
 雨の区域もずれるようで、少しだけホッとした。しかし予断と油断はできない。

 横浜では昨晩はかなり降ったようだが、今は霧雨のような微かな雨の区域が東から西に移動している。しかし西の空は明るい。9時の段階で20℃、予想最高気温が22℃とかなり低い。

 これより退職者会の用件で郵便局により、友人にも会う約束をしているので、外出。待ち合わせ場所がコンビニのイートインコーナーというのはちょいとさびしいが、格安なのが嬉しい。

 雨が強くなると困るので、昼食後は早々に帰宅するのが無難と思われる。


台風来

2020年09月22日 21時39分31秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の帰宅途中で見た東の空の雲の暗さには驚いた。午前中の明るい陽射しと青空に気分が晴れやかになったばかりであったので、いっそう暗さが不気味に思えた。

★放課後の暗さ台風来つつあり      森田 峠

 台風が間もなく襲来しそうな夕刻だろうか、私はこの句で、学校の外から電灯の消えた校舎を振返った記憶を呼び覚まされた。小学生には広い校庭と校舎、奥行があり不気味さを感じたのだろうか。「学校に出る幽霊」におびえた小学校低学年を思い出す人もいるかもしれない。それはそれで羨ましい。
 だが私は違う。小学校最後の2年間は、校舎を振り返るたびに、校舎が明日は消えてなくなってほしいと念じつつ帰宅した。特に梅雨の末期の大雨のときや雷が鳴るとき、台風シーズンのときは、教師や同級生の顔を思い出しながら、すべてのこの世の人間関係が消えてなくなってほしいと、子どもながらに真剣な思いで校舎を振り返ったものである。その時の校舎の暗さは今でもよく覚えている。
 いまでいう登校拒否にならなかったのが、不思議と云えば不思議である。そんな嫌な60年近く前の記憶が、蘇ってくる。今はその記憶を受けとめることはできる。受けとめることはできても、吐き気はおさまらない。
 一方的に教師や同級生に非があるわけではないだろう。転校生の私がこの地の人間関係になじめなかったことが原因ではあるだろうが、しかし11~12歳の子にはそんなことは理解できなかった。
 卒業後6年経ち、大学生のころ帰省してたまたま当時住んでいた家の傍で、会いたくもない同級生と目が合ってしまった。その商店を継ぐのであろう。私が目を逸らす前に「今度同窓会やるよ」と白々しく言われ、「お断り」と大きな声で宣言して二度とその店の前は通らないことにした。


台風の影響‥

2020年09月22日 19時27分33秒 | 天気と自然災害

 お昼ごろから曇りはじめ、15時前後に軽く雨が落ちてきた。一端止んだものの18時半すぎから再び降り始めた。
 14時半から横浜駅近くまで往復。地下街には入らず、いつもの喫茶店の外の椅子でコーヒータイムと読書タイム。
 ビニールの庇に雨が当たって音が強まり、風も吹き始めた。しかし10分ほどで雨と風はおさまった。その間に再び歩いて帰宅。東の空の雲がとても暗くなり、今にも強い雨が降り出しそうな気配であった。自然に速足となった。
 その所為とはいえないければ、頼まれていた買い物をひとつ忘れて帰宅。これより雨の中を近くのコンビニまで買い物に出かけなくては‥。
 
 明日から金曜日までは台風12号の影響で雨が強くなるとのこと。明日は出かける予定である。雨・風が強まらないでもらいたい。

 喫茶店では「万葉集の起源」を少々。

 


秋彼岸・秋分

2020年09月22日 10時37分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は秋分。二十四節気の説明では「暑い日は減り代わりに冷気を感ずる日が増える。昼と夜の長さがほぼ同じになることで、この日は秋彼岸の中日でもある。秋の七草が咲き揃う頃である。」となっている。
 確かにゆうべは涼しかった。タオルケット1枚ではさびしかった。今朝、夏掛けの布団を出した。
 朝の陽射しが眩しい。風もなくいい日和である。久しぶりに南側の扉を開けて秋の空気を部屋に引き入れた。家の中も秋にするつもりで。

★南無秋の彼岸の入日赤々と         宮部寸七翁
★嶺聳(そばだち)ちて秋分の闇に入る    飯田龍太

 夕焼けが美しいのは、雲が美しいからである、と思う。とりわけ秋の雲は夕日が映える。日の出を見るのは苦手。山の頂上でも日の出はいつも見そびれる。
 「そばだつ」というのは「けわしい岩山が高くそびえる」こと。秋の入日の後は、あっという間に暗くなる。そして肌寒くなる。

 台風12号が関東地方を直撃の進路のようである。予想進路では25日(金)に関東地方に達するようである。関東地方も台風のシーズンである。
 


再び台風に

2020年09月21日 23時25分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は特に予定は入っていない。11月発行の退職者会ニュースの準備を始めたい。日程を印刷所と調整し、本日までに貰った二つに記事を流し込んでから割り付けを考えてみたい。

 本日は長ズボンを久しぶりに履いて出かけた。例寝ならば長ズボンに変えると「暑い」という感想になるのだが、今年はちょうどよかった。
 熱帯低気圧が台風となり、底に向って北寄りの風が吹きこんでいる。