Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ドビュッシー「映像1、2外」

2024年05月25日 12時15分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 5月6日に続いて、ドビュッシーに「挑戦」している。演奏はミシェル・ベロフのピアノ。曲は「版画」「映像第1集」「映像第2集」「忘れられた映像」「喜びの島」「マスク」が収められている。ドビュッシーの書法が確立されて以降の作品ということになる。
 以前は、冒頭の数曲だけを聴いて、音の氾濫に圧倒されていつも「敗退」していた。数回このCDを聴こうとしたものの、最後まで聴いたことがない。ドビュッシーへの「苦手」意識が肥大。「食わず嫌い」が続いた。
 今回は、これまでよりは落ち着いて最後までこれらの曲が収められているCDを聴くことが出来ている。前回、初期の作品を聴いてこれまでのイメージを少し刷新できた。そんなこともあり、今回は音符の氾濫の中から、メロディーを追うイメージで音の流れを探るように聴いている。しかしこれはこれでなかなかエネルギーのいる聴き方である。
 ドビュッシーの作品というのは、私には聞き流しながら気楽に聴くということを拒否される。
細かく散りばめられた音符のどれもが等価に聴こえて、緊張を強いられる。そしてどの音符も強弱だけの差で、急・緩の差が極く小さいように聴こえる。
 その中でも「忘れられた映像」は初期の作品、ドビュッシーの書法が確立される直前の曲であるらしく、メロディーを聴くように音の流れを追うことのできる場面がところどころに顔を出す。

 やはりまだまだドビュッシーの曲を理解できない私である。


「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)  3

2024年05月24日 20時20分50秒 | 読書

 いつもの喫茶店に行ったものの、本日も短時間の読書。「日本の裸体芸術」の第2章を読み終わった。
 19日に引用する予定個所が抜けていた。

裸体でいることが多いという習慣や、日本人の精神と肉体を二分して考えない身体観が底流にあったため、あえて裸体を取り上げて鑑賞するという視点や発想がなかった。裸体をことさらに造形芸術の主題にしようなどとしなかったのは当然であろう。人物を描写するときには、文字においても絵画においても、体形やプロポーションなどよりも衣装の美が強調されるのが常であった。そもそも日本の造形伝統には、肉体を顕示するような表現がなかった。ほとんどの場合、人物は衣をつけた姿で表されたが、このほうが自然である。私たちがある人物を想定する場合、その人物の裸体を思い浮かべるのではなく、衣装をまとった姿を想起するのが普通である。むしろ裸体人物を飽くことなく表現してきた西洋のほうが特殊である。」(第1章 第2節「江戸の淫靡な裸体表現」)

 「裸体でいることが多い」「精神と肉体を二分して考えない身体観が底流」というのは魅力はありつつも、言い切ってしまうのは保留したくなる。あくまでも「裸体をことさらに造形芸術の主題にしようなどとしなかった」ことの根拠や背景を私は知りたい。
 古代のギリシャ文明、中世・近世のヨーロッパの庶民・下層民の生活様式との比較ももう少し具体的な究明が欲しいのは欲張りだろうか。また支配層の生活様式と意識の比較も必要なのだろう。
 ここはあくまでも私のこだわりなので、引き続き私なりのアプローチは続けたい。


桜の実

2024年05月24日 10時54分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★職なくて実桜のもと握り飯       庄司 猛
★見上げれば揺れはそれぞれ桜の実     々

 近くの私鉄の駅と駅の間に細長い公園がある。鉄道が地下化されたのに伴い、以前の鉄道敷が公園として整備され、四季折々にさまざまな花が咲くようになった。
 公園のベンチの昼時には、近くの職場の勤め人やら、近所のお年寄りの憩いの場となる。年寄りも、現役の勤め人も弁当を広げたり、近くの店で購入したものをのんびりと口にする。
 私も退職した直後の数か月、お握りを持参したり購入したりして、ベンチでのんびり桜の木の葉越しに青い空を見上げるのが楽しみであった。仕事から離れたくて退職後の再雇用は辞退し、「さて何をするか」と考えていた。
 高齢者ばかりか、若い現役の年代の人もいったん職を離れると再就職が厳しいのは、いつの時代でも同じ。そういう風に厳しい局面で公園のベンチで時間を過ごす人も多い。私などのようにちょっとだけゆとりをもって握り飯を口にする人もいる。若く明るい声を立てている人もいる。赤子の乳母車を押す母親もいる。
 生活の実態はさまざまでも、この昼時のひとときははた目から見れば各自平等である。胃を満たす行為と、目に映る桜の実の光景は同じ。しかし各自の内面も、振る舞いもそれぞれの超し方を反映している。
 桜の実に注目するようになったのは、そんな時期であった。そして桜の実のほとんどは熟して地面に落ちることはない。たいていは落ちる前に鳥がありがたくいただいてしまう。種は鳥の糞として地面に落ちる。


「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)  2

2024年05月23日 21時21分33秒 | 読書

   

 本日まで読んだのは、「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」の第2章「幕末に花開く裸体芸術」の第1節「菊地容斎の歴史画」、第2節「生人形に見る究極のリアリズム」、および第3節「過渡期の折衷的な作品群」の途中まで。

春画では身体が喪失しており、頭や性器が分節化されていて全体を形づくっていないのは、日本では性愛の観念が、視覚的なイメージだけでなく、触覚的で観念的なものに基づいていたためと見ることもできよう。養老孟司氏は、春画における身体の歪曲は、成功時の人間の脳内における生殖器の大きさを考慮して描いたものであるためという。春画は性行為のイメージや女性の秘部の美しさをしめしたものというよりは、触覚や妄想を含めた欲望の世界を開示したものであったといえるだろう。」(第1章「ヌードと裸体」第2節「江戸の淫靡な裸体表現」)

(丸山応挙の《人物正写図巻》について)ヌードではなく、理想化をほどこさないありのままの裸体にほかならなかった。裸体が美とかけはなれたものであり、あえて鑑賞すべきものではないと再認識してくれる。日本で裸体が表現されるときには、ほとんどの場合こうした淫靡さや後ろ暗さがつきまとっていたのである。」(同上)

黒田清輝以降の洋画家たちは西洋的なヌードの概念を学んだのだが、・・・日本で裸体が登場するときの伝統的な主題は無視され、顧みられることはなかった。・・生人形から豊かなヌード芸術への自然は発展の道は閉ざされた・・。日本のヌード芸術には、生人形の記憶は何らの痕跡もとどめていない。裸体に理想美を見出す西洋のヌード観とは最初から相容れなかったのである。」(第2章「幕末に花開く裸体芸術」、第2節「生人形に見る究極のリアリズム」)」

「裸体に理想美を見出す西洋のヌード観とは最初から相容れなかったのである。」ここがどのように展開されるのか、私のもっとも解明されてほしいところである。どのようなアプローチが続くのだろうか。


Zoomの作動

2024年05月23日 18時04分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中はオンラインの美術鑑賞講座「はじめての日本美術史」(講師:中村宏美氏)の第5回目「桃山時代の美術」。いつもは上手くZoomが作動してくれないのだが、今回はすんなりと入れた。Zoomのご機嫌をうかがうのが面倒である。
 午後からは、寝ていようかと思ったものの、家に籠っているのが嫌になり、いつものとおり横浜駅までバスで出かけた。いつもの喫茶店で一時間ほど休憩・読書タイムののち、頼まれた買い物をして帰宅。少し体が軽くなったように感じたので、少々遠回りでウォーキング。
 陽射しがそれほどなかったのがよかったのではないだろうか。


明日は美術鑑賞講座

2024年05月22日 21時24分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 明日の午前中はオンラインの美術鑑賞講座「はじめての日本美術史」(講師:中村宏美氏)の第5回目「桃山時代の美術」。事前配布の資料24枚を先ほど打ち出し完了。
 久しぶりの講座である。

 明日は終日曇りで降水確率は20%。深夜は50%となっている。
 明日は出かける予定はない上に、本日の体調からすると出かける気力が湧いてくるのだろうか。ちょっと疲れ気味。二日続けての深酒が響いている。飲み過ぎは良くないのは解ってはいるのだが。何とも自分が情けない。


休肝・休養日

2024年05月22日 20時29分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日は休肝・休養日。妻と横浜駅で待ち合わせて、午後のコーヒータイムはふたりで喫茶店で雑談。妻はさらに買い物のために出かけたのち、喫茶店に残った私は、メールチェックと15分ほどの読書タイム。
 そののち私は家電量販店と書店をじっくりと回った。特に書店で立ち読み三昧。帰りも別々。
 帰り際、バス停を一つ手前で降りて、散歩。小さな公園にて、赤いアジサイとタンポポの見つけた。


本日も酔って帰宅

2024年05月21日 21時23分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も友人と飲み会でようやく先ほど帰宅。本日は昨日ほどには飲まずに居酒屋を出た。今週の土曜日は遠来の友人の歓迎会という名の飲み会。明日以降は自重して、健康的な生活に戻り、体調を整えないといけない。

 昼間、1時間近く時間が出来たので、喫茶店で「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)の第1章の第2節を読み終え、第2章の第2節の途中まで読み進むことができた。

 昨日の会議で決まった日程をこれよりスケジュール帳に記載するつもりであるが、眠気に負けてはならない。明日は10時半に歯医者の予約済み。4回目の通院で3本目の歯の治療が完了する予定。その上で反対側の歯の状況も見てもらう予定。この際であるので全体的に必要な治療を施してもらうことにしている。


ようやく帰宅

2024年05月20日 21時23分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日はかなり酔って帰宅。雨が上がっていたので、傘は使わずに済んだ。
 昨日までに用意したニュースなどは無事に発送することが出来た。
 連休明けまでかかった退職者会のニュースもきれいにできあがっていた。予定していたとおりに出来上がるのは、とても嬉しいものである。


本日より「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)

2024年05月19日 22時02分52秒 | 読書

   

 本日から読み始めた本は「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」(宮下規久朗、ちくま学芸文庫)。
 本日は「序章 ヌード大国・日本を問い直す」と、第1章「ヌードと裸体 二つの異なる美の基準」の第1節「理想美を求める西洋ヌード」までを読み終え、第2節「江戸の淫靡な裸体表現」を少々読み進めた。

幕末に来日した西洋人は一様に、日本人が裸でいることに強い印象を受けた。ある程度文明が進んでいる国であるにもかかわらず、裸族の闊歩する野蛮な国のような風俗に衝撃を受けた。・・・一方イメージの世界では「ヌード」は巷にあふれ、ヌード写真は雑誌や写真集でたやすく見ることが出来る。・・・街角にも雑誌にもフードの彫刻が目に入っても不自然に思わず、・・日本ほどヌード彫刻が屋外に氾濫している国はないといわれている。」(序章)

風俗としての裸を捨て去って、美術やイメージの世界では裸を受け入れてきたのが日本近代の歩みであった。明治以前の日本では、これとはまったく逆の現象が見られたわけである。・・・裸体が美術のテーマになると云うこと自体が、肉体を人格や精神と切り離した物質としてみなす伝統の西洋のみにみられるきわめて特殊な考え方であって、両者が融合した「身」という概念しかなかった日本では、違和感を覚えるべきものである。」(序章)

(日本では)裸体になることへの抵抗が欧米や同じ東アジアの中国に比べて少なかった。高音多湿であるから裸になるという単純なものではないようだ。インドネシアは日本よりよほど暑いが、日本人のような裸体の習慣はないという。朝鮮半島でも、戦前の日本人の裸体や裸足は顰蹙を買ったという。日本における裸体の習俗は気候のせいであるというより、もっと本質的な伝統といってよいものであろう。」(第1章第2節)

 横浜開港の頃の古い写真などを目にすると、多くの男の職人が褌(ふんどし)ひとつで写っている。とくに駕籠を担ぐ人、行商の物売り、大工、飛脚などが目に付く。皆とても日焼けして黒い。女性はそのような恰好はないが、乳飲み子に乳を含ませる図などは目にする。また風呂屋の中は暗いとはいえ混浴であるといわれていた。
 それは昭和の30年代、40年代(1960年代末)まで、多くの温泉地でオープンな混浴が当然であったことは、写真集などでも明らかであった。
 ただし「江戸時代の女性は乳房よりも、足の脛を人にチラ見せことが、セックスアピールであったらしい」と教わったことがある。
 これらがなぜなのか、昔から私なりに疑問に思っていた。この問題意識は私も共有できる。西洋画の裸体表現の根拠と、日本の裸体表現の比較検討という問題設定にも惹かれた。

 


雨がポツリ

2024年05月19日 17時40分02秒 | 天気と自然災害

      

 午後から次第に雲が低くなり、予報通り夕方からポツリポツリと時々降ってきた。予報では日付が変わるころから雨が本降りとなるらしい。
 午後14時ころに退職者会の我が家での印刷作業はすべて終了。明日はリュックが重いのだが、残念ながら出かける9時前にはまだ雨が降っている予報である。印刷したものが濡れないようにザックカバーが必要のようだ。
 明日は長袖が半袖か、悩むところである。

 本日の横浜駅の地下通路は大変な混雑。これを避けていつもの喫茶店で1時間ほどの読書タイム。

 


本日は印刷作業から

2024年05月19日 12時47分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日はA4版のニュースの印刷から作業開始。昨日出来上がった原稿に少しばかりの修正を加えた。100部余りの両面カラー印刷なのでビジネス用プリンターでもそれなりに時間はかかる。プリンターの調子はよい。明日の幹事会には十分間に合う。

 昨日までの晴れ渡った空とは違い、雲が空全体を覆っている。しかし雲の高度は高い。雨が降り出すまでにはもう少し時間がかかりそうな気配である。
 最高気温も4~5℃ほど下がるようだが、本日も半袖。


陽気に誘われて Ⅱ

2024年05月18日 21時37分35秒 | 山行・旅行・散策

 退職者会の私の属する小さなブロックの総会を来月に控えて、ニュースの原稿ならびに議案・予算案などが出来上がった。4月下旬に実施した退職者会全体の総会を受けて行われる7つのブロックの総会は、それぞれ工夫をこらして会員相互の交流に主眼をおき、ブロックの特色を生かして行われる。
 ニュースは明日印刷して月曜日に発送。議案等は月曜にブロックの幹事に示して、承諾を得る予定。ブロックの総会の準備は出来た。私の属するブロックは小さなブロックなので、参加者も少なく、参加者の確保のため電話を幾本もしなくてはいけない。これが一番大変。
 明日から天気は下り坂。曇りで夜からは雨とのこと。印刷がスムーズに済んで欲しいものである。

      

 本日のフラワー緑道では、ヨコハマヒザクラの実がまだ残っていた。早いうちに鳥に食べられてもう無くなってしまったかと思っていたら、数本の木には黒くなった実も残っていた。すでに実がなくなっている木もあり、さらにはカワヅザクラの木にはまったく実は残っていなかった。


陽気に誘われて・・・

2024年05月18日 18時47分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 陽気に誘われて出かけたものの、いつもの喫茶店についてみたら読書用のメガネがリュックには入っていなかった。家に忘れてしまった。そのまま喫茶店では1時間ほど熟睡。
 横浜駅近くまではフラワー緑道を通った。アザミやガクアジサイが咲き始めていた。アザミは蕾も花もともに毎年惹かれる。

   

 そして好きな俳句がある。「まして」が「色」だけを形容しているのではないところが気に入っている。「薊」そのものに焦点が当たっている。作者にとって思いの詰まった花であることがわかる。その思いはわからないが。

★出羽なればまして薊の色の濃き      庄司 猛


銀座と並木通り散策

2024年05月17日 19時11分41秒 | 山行・旅行・散策

 実に久しぶりに銀座を歩いた。東銀座駅の傍で昼食後、岩手県のアンテナショップで食材などをいくつか購入してから、三越から銀座通りへ入り、銀座一丁目駅まで歩いた。銀座通りは暑い日差しがつらかった。陽射しを避けるため並木通りに入り、これまでと反対方向に新橋駅まで歩いてみた。
 普段はまったく縁がない高級店の並ぶ道をキョロキョロしながらふたりで歩いた。多くの外国人の観光客に混じって、70歳過ぎの高齢夫婦は初めてではないものの、見るものが眩しくそして珍しかった。私たちのほうが外国に来たような錯覚を覚えた。

 新橋駅近くになって安い居酒屋などが並ぶ界隈に至ってようやく落ち着いた気分になった。キョロキョロしながら歩いたのでお疲れモード。時間はかかったものの京浜東北線で座って横浜駅まで。
 慣れた横浜駅で夕食の食材を購入し、バスにて帰宅。