Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「図書5月号」

2024年05月09日 19時59分14秒 | 読書

 地下鉄センター南駅で所用を済ませてから、近くの喫茶店へ。しばらくのんびりとコーヒータイム。
 本日読んだのは「図書5月号」の2編。これで今月号は読了。

・文化人類学者アントワーヌ・ガラン    西尾哲夫
このような比較の視点は、フランス文化の優位性を指摘するためではない。トルコやイスラームの文化の背景にある合理性へと考えをめぐらせることで、ガランは自らの文化を省みようともしているのである。

・宗教からナショナリズムへ ベネディクト・アンダーソン著「想像の共同体」
                    前田健太郎
日本の政治学における西洋中心主義をいかに脱却するかを考えることだった。「想像の共同体」はヒントを与えてくれる。アンダーソンは政治学における西洋中心主義を最も痛烈に批判し、非西洋地域にも目を向けることを提言し、それを実践した研究者だった。理論は西欧由来であるとしても西洋人の偏りを自覚し、意識的に乗り越えようという態度には学ばされることが多い。日本の多くの政治学者にとって馴染みのない地域とはどこか。それが、東アジアであり、日本だったのではないか。中国や朝鮮半島において、第二次世界大戦以前の日本において、どのような政治が行われ、いかなる思想が展開されてきたのか。・・こうした問いを自らの課題としては意識してこなかった。

 


校了でひと息

2024年05月09日 14時09分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の暗い空から午後は明るい空へ。気温は低めであるが、陽射しがあると気分が良くなる。

 午前中に、退職者会ニュース5月号の校正が終了。第3校で完成、予定より2日早く校了となり、あとは印刷・納入を待つばかりとなった。7月号は6月中旬からの編集作業になる。それまでは作業としてはひと休み。ただし6月初めまでに7月号の掲載記事の目安をつけなければいけない。

 これより頼まれた所用のために出かけることになった。本日は横浜駅界隈ではなく、北部方面。地下鉄利用なので、便利である。美味しいコーヒーを飲ませてくれる喫茶店でも探してみたい。なければ、チェーン店のコーヒーで我慢。

 


猛烈な雨

2024年05月08日 21時56分28秒 | 天気と自然災害

 喫茶店から家に帰宅したのが18時少し前。黒い雲が空をすっかり多い暗くなって今にも降りそうな中を急ぎ足でバス停から歩いて帰宅した。帰宅して間もなくの18時15分頃に猛烈な雨が降ってきた。北からの強い風と共に北側の窓に叩きつけるような雨であった。雷がならないのが不思議なほど。気温も下がってきた。
 慌てて北側の窓を点検したら、便所の窓から雨が少しばかり吹きこんでいた。
 猛烈な雨は30分もしないうちに弱くなり、まもなく止んだものの、帰宅時間が15分遅れていたらびしょ濡れになるところであった。
 雨が小降りになってから、大雨・洪水注意報が発令された。雷・強風注意報は朝から出ていた。

 どの程度の雨だったか、レインアイよこはまを見ようとしたら「点検中」の画面表示でがっかり。このレインアイよこはま、私が確かまだ40代の頃から運用がされており、すでに機器が古くなってしまったのか、点検中の表示期間が長くなってしまった。現役時代はずいぶん頼りにしたシステムである。

 明日の明け方以降は曇りのち晴れの予報。気温も最高気温は19℃までしか上がらないらしい。明日は予定が入っていない。

 


「図書5月号」 その2

2024年05月08日 20時28分09秒 | 読書

 本日は親の通院の付き添いののち、横浜駅近くのいつもの喫茶店で「図書5月号」に目をとおすことが出来た。

・すべて成り行き任せ     木村榮一

・北方謙三さんとの邂逅    山田裕樹

・正平さんのベクトル     川端知嘉子

・「俺のネイションってなんだ?」 前沢浩子
この時代にあって(1470年代)劇場は貴族から大衆まで社会階層を横断して文化を共有できる重要な公共空間だった。1530年代のヘンリー八世のローマ・カトリックからの波紋と国教会の発足は、ヨーロッパからのイングランドの分離独立だ。いわば16世紀版の「EU離脱」だ。このころから、イングランドでは自国史への興味が高まり、歴史書が次々に綴られる。シェイクスピアはこの歴史劇ブーム乗って任期を得た戯作者だった。
「ヘンリー五世」と同時代の数々の歴史劇は16世紀末のロンドンの大衆劇場で確かにナショナルな意識が醸成されていたことの証左として読める。その意識は決して単純な祖国愛というようなものにはとどまらず、ネイションという言葉にまつわる語義の揺れや曖昧さをも反映して、今日のナショナリズムをめぐる議論の複雑さを先取りしている。ナショナルな意識の複雑な多面性は、「国家」という単位を強調する歴史劇だけに現れるわけではない。日々の営みの集積としての社会はどのような形を取り、それがどうように変化しているか。社会への帰属意識は、国家としてのアイデンティティ構築に大きく関与する。
 


歯の治療

2024年05月08日 11時31分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 友人と数名で10日ぶりに外呑み。声がかれないように静かにしてつき合った。ハイボール1杯と珍しく日本酒1合半ほど。初めは豚足でも食べようかと思ったが、満席だったので急遽魚の店へ。ブリカマの塩焼き。量が多かった。

 今朝は爽快に目が覚めた。痰の量も鼻水も昨日よりもさらに少なく、咳込むことも今のところなく過ごしている。

 午前中は歯医者で取れてしまった被せ物を新しいものに取り替えてもらい、歯石の除去。虫歯がもう1本見つかり、来週再度治療することになった。
 先ほどまで、退職者会ニュースの初校の点検と訂正依頼の送信。
 午後からは親の通院の付き添い。

 


頭がすっきり

2024年05月07日 10時17分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今朝は久しぶりに頭がスッキリとした感じになった。鼻の奥も軽く感じる。起きたばかりはこれまで痰や鼻が大量に出ていたが、量が極端に少なくなった。とても嬉しい。
 本日は雨の中を出かけるが、昨晩再開した「図書5月号」をリュックに入れて出かける。今のところ風は強くなったが、雨は弱い。

 午後からは雨が強くなりそうな予報になっている。


「図書5月号」 その1

2024年05月06日 20時46分12秒 | 読書

 一応読書する気力が戻って来たような気がしている。喫茶店で短時間であるが「図書5月号」に目をとおした。
 これまでに目をとおしたのは、7編。
・【表紙】沢潟威鎧雛形 平安時代     加藤静允

・非ソシュール的言語学         今野真二

・戦時下の詩人 スリヴィンスキー氏との対話  沼野恭子
ふたたび「闇」の時代に突入してしまった現在、いったいいつになったら戦争が終わってすべてが元どおりになり、「言語を取り戻す」ことができるのかけんとうもつかない。・・(「戦争語彙集」の)見出し語として選ばれたキーワードの多くが命をつなぐものであり、市の対極にある〈愛〉であり、死を避けるための〈お祈り〉であることは、一条の希望のように思える。極度の緊張と絶望を強いられた瞬間に、人々の命を「生」の側に引き留めた事物であり、死に対峙する強度をもつ言葉ではないだろうか。

・合巻は転生する            佐藤至子

・誕生会、偶然居合わせる、言葉の音   長島有理枝

・路上より(上)              柳 広司
ウクライナに侵攻した際のロシアでさえ、国際社会に対して(受け入れられるか否かは別にして)、我々の軍事行動にはこれこれこういう理由があると弁明した。イスラエルは「国際社会は関係ない。自分たちはやりたいことをやる。実力あるのみだ」と宣言した。こんな言い分を認めたら、世界中で戦争が始まる。人類が築き上げてきた国際秩序の破綻、文明の終わりだ。

・知られざる子規俳句の一面       復本一郎
「写生」俳句に熱中していた子規ではあったが、同時期、一方では「本歌取」「本説取」に挑戦していたことが窺えたであろう。こんな子規の存在も忘れてはなるまい。

 


ドビュッシー「ベルガマスク組曲」ほか

2024年05月06日 13時57分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日はドビュッシーの作風が確立されていた1914年の作品「12の練習曲」ほかを聴いた。私には馴染めない曲だったので、今度は初期の作品としてベルガマスク組曲などが収められているCDを引っ張り出してきた。演奏は昨日と同じくミシェル・ベロフ、1996年の録音。
 表題の「ベルガマスク組曲」を聴いてみると、「12の練習曲」とはずいぶん違う印象であることが解った。ビアノの音が散りばめられたように煌びやかに響いてくるが、私でも理解できるように、メロディーに乗って、時間の流れの中で散りばめられている。
 極端な強弱の飛躍もない、テンポの変化にも私はついていける。しかし「ベルガマスク組曲」と「2つのアラベスク」、「ノクターン」ならびに「ピアノのために」を除くと、習作的な感じがする。
 解説によると「印象派、あるいは象徴派と語られるドビュッシーの作風が確立するのは1890年代に入ってからである。このアルバムには、彼の個性と書法が次第に形づくられていく過程のピアノ曲が収められている」と記されていた。

 このCD、購入した記憶がない。ということは購入してから多分聴いていないか、聴いても一度位しか聴いていないと思われる。しかし今回、「ベルガマスク組曲」は気に入った。是非聴き続けたいと感じた。「ピアノのために」という3曲からなる曲に馴染むには時間が掛かりそうである。第2曲の「サラバンド」は面白い。


シュレッダー

2024年05月06日 10時23分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は、子どもの日。風邪はかなり回復したようなので、暑かったが妻とふたりで家電量販店に出向いた。クーラー購入時に手に入れたエコポイントを使って、懸案のシュレッダーを購入。9000円に届かない値段で気に入ったものがあった。裁断片はそれほど小さくはないものの、十分な細かさに思えた。A4普通紙5枚が限度。この値段ではこの程度が相場と思われた。
 地下通路も家電量販店の中もかなりの賑わいであった。シュレッダー購入後はさらにいくつかの食材を購入。その帰り際、重たいシュレッダーを持って横浜駅のバスターミナルでバス待ちをしたら、直射日光が正面から当たり、じりじりと肌に挿すような陽射しであった。バスでは日の当たらない側に座ることが出来て、助かった。

 昨日の朝で処方された薬は飲み切った。痰と鼻水がまだ出る。これがすっきりとおさまって欲しいのだが、なかなかしつこい。息を切らすようなウォーキングは無理のようだ。

 本日からは天気は下降線。曇りで強風注意報。本日の深夜から3日間は雨模様との予報。


ドビュッシーの曲を聴いて

2024年05月05日 20時11分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 ドビュッシーの「12の練習曲」ならびに同時に収録されている3曲を3度程聴いてみた。多分これまでならば1回で聴くのをやめていたと思う。
 何となくこれまで馴染めなかった理由が少しだけわかったような気がした。まず強弱のレベル差が一つの曲でとても大きいこと。それも短い曲のなかで突然に強くなる。またテンポの変化がとても早いこと。総じて変化がとても大きい。
 この曲のテンポの早さではなく、変化の早さに私の頭がついていかなかったのではないか。それは現在も同じである。

 ドビュッシーの曲というのは多分メロディーや和声の進行とは無縁に近い。散りばめられた音が光の散乱のように浮遊する。流れというものは時間に従うのではなく、空間での光の点滅のような秩序に従う。時間の流れに従うような秩序とはちょっと違う。音の点在の変化はテンポの変化、音の強弱の変化として捉えられているように感じた。むろんメロディー的に時間の流れに沿うフレーズもたくさんあるのだが、そうではない要素に自覚的でないと聴き続けるのは難しいのではないか。
 そのような手法に無自覚で、旧来の音楽のように聴いていた私がついていけていなかったようだ。
 この感想が正しいもので、的を射ているかの検証もまだしていない。そのような感想の上にたって、私の感覚とマッチしそうな曲を探してみたい。

 


ドビュッシー「12の練習曲」

2024年05月05日 17時26分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 ドビュッシー(1862-1918)の曲というのが私の耳には馴染まないまま、この歳になってしまった。幾度も聴いたけれどもしっくりと頭の中で共鳴しない。
 解説によれば、このCDに収められて曲は1915年という最晩年に作られた曲とのことである。第二次世界大戦(1914-1918)の最中に作られている。ドビュッシーはこの戦争に大きな衝撃を受けたとのこと。具体的なことは不勉強な私にはわからない。
 何はともあれ、ドビュッシーのピアノ曲に馴染むこと、一曲でも気に入った曲に出会うことを願って、しばらくドビュッシーとつき合って見したい。
 演奏はミシェル・ベロフ、1996年~1997年の録音。


暗闇の淵を覗く

2024年05月04日 21時56分18秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 火曜日に貰った咳止めなどの薬は3種類をそれぞれ1日3回で5日分であった。明日の朝で飲み切ることになる。
 その薬が効いたのか、すでに直りかけていて自然治癒という結果なのか、どちらとも言えないが、症状はかなり改善された。
 確かに服用すると1時間ほどは痰と鼻水が大量に出る。その後3時間ほどは咳も止まり、痰や鼻水も出なくなる。しかし4時間もすると咳と痰と鼻水が少しずつぶり返す。これを繰り返した。また朝は痰と鼻水がまとまって大量に出ていたのが、今朝からはずいぶん楽になった。
 咳という症状が出始めてから11日、症状がひどくなって(こじらせて)から8日もかかってようやく見通しが明るくなった。お酒も7日間も控えている。これは大変なことである。とはいえまだ完治ではない。油断禁物といったところである。

 人間、自宅とはいえ狭いベッドと洗面所とリビングルームの3角形での行き来だけを繰り返していると、思考は下向き、後ろ向き、出口のない暗い迷路をぐるぐる回るだけになる。発熱はないものの、思考が閉じてしまう。
 なんとかものごとを前向きに考えようとしても、「コロナの再発か、気管支炎になってしまわないか」などと悪い方向ばかりに考えが向いてしまう。
 この負の引力はなかなか強く、そして魅力的ですらある。踏みとどまる力がないと底なしの沼に引きづり込まれるような気分になった。
 大げさかもしれないが、覗いてはいけない何かの淵を覗いたようであった。


生活実感のない政治

2024年05月04日 18時21分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 いくつかの買い物のためにホームセンターへ。さらにいくつかの電気製品の値段を調べるために新しく横浜駅近くに出来た大型スーパーのビルにある家電量販店へ。初めての店なので広い店の中を右往左往。購入する予定はもともとなかったが、妻も私も疲れて喫茶店で休憩。
 疲れたこともあり、弁当を二人分購入して先ほど帰宅。物価高で一人1000円程度の弁当でも安いように思われる昨今である。

 しかし外国人観光客が非日常の旅行とはいえ3000円を越すような高価な和食ランチを食べている横で、国内で暮すサラリーマンや年金生活者は500円未満のランチを探し、夕食も家で作る時間が確保できる場合が少ない人が多くなり、500円から1000円未満の弁当を探す。住宅に近いスーパーでは値引きを始める時刻になると勤め人らしい若い女性が弁当売り場に駆け足で飛び込んでくる。

 やはり基本的な経済のあり様がどこかで間違ってしまっているとしか思えない。経済指標の難しい解釈・ひねくり回しよりも、身の回りの状況を概観するだけで、現在の経済の問題点は判るのではないか。生活実感のない経済政策をいくら声高に唱えても、誰の耳にも届かない。そんな思いがますます強くなる昨今である。
 いづれにしろ、裏金の魔術に嵌っている政治家からは生活の匂いはしないし、それを掬い取ろうとする意思も能力も感じられない。


日焼け

2024年05月03日 21時26分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 横浜駅から、りんかい線の国際展示場駅で降りて有明防災公園の憲法集会の会場まで約50分ほど。退職者会の仲間は、今年は昨年より多く参加。集会全体も3万人とのこと、昨年よりも多かったのは確実。
 2時間ほど直射日光のもとに座っていたら、だいぶ日焼けしたようだ。帽子を被って行ってよかった。病後の人間はこれ以上太陽に晒されると体力的に消耗すると思い、途中退席させてもらった。半袖ではさらに日焼けがひどかったかもしれない。退職者会の参加者の写真撮影は忘れずに遂行。これが本日の私の参加目的・役割である。
 行きも帰りも集会中も咳き込むことは無く、助かった。
 16時近くに帰宅した後、2時間ほど昼寝。スッキリと目覚めた。

 連休中ということで、りんかい線の湘南新宿ラインとの直通列車は通勤電車以上の混雑で、乗れない人も出ていた。臨海部で楽しむ家族連れが多いのだが、電車の中は短時間とはいえ小さな子どもには可哀そうであった。ただし乗り入れしていない電車はガラガラで、一つの車両に10人程度しか乗車していないという落差には驚いた。

 この1週間ほどの間にずいぶん体力が落ちた。年齢と共に体力が落ちるテンポが早い、そして体力の回復に時間がかかることを実感している。


本日は有明防災公園まで

2024年05月03日 10時33分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は例年行われている「憲法集会」。有明防災公園まで。まだときどき咳き込むこともあり、集会に参加するまでとしたい。最後のデモ行進や、同じ退職者会の仲間との慰労会は参加せず、帰ってくることにした。毎年20名くらいで大井町駅のすぐ傍の店で楽しく慰労会という名の飲み会を行っている。欠席するのは初めて。

 本日の天候は上々。集合時間は横浜駅に11時半。そろそろ出かける時間である。途中で咳き込んだり、具合が悪くならないようにゆっくりと用心しながら行きたい。