メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

チェーホフ『カシタンカ』

2011-02-27 10:32:46 | 
『カシタンカ』(未知谷)
アントン・P・チェーホフ/作 ナターリャ・デェミードヴァ/絵 児島宏子/訳

チェーホフ作品の中でこんなに愛らしいわんこの短編があったなんて!
改めて幅広い引き出しの多さと、どんな風景、感情も、的確かつ抒情豊かに表現できる文章能力に感嘆した。
そして、このセピア色というか、深く味わいのある茶をさまざまに塗り分けて描かれたナターリャさんの挿画!
それぞれの場面がまるで立体感、体温を持っているように広がっていて素晴らしい!


あらすじ
指物師の主人に飼われている茶色いキツネ顔の犬、カシタンカ(栗という意味のロシア語)は、
主人や彼の息子たちによって時にカラダのあちこちを引っ張られたりして、
かなり荒い扱いもされていたが、ニカワやニスの匂いのする主人とその仕事場にすっかり馴染んで暮らしていた。

いつものように酔っ払ったままお得意さん周りをしていた主人の後についていって、
はしゃいでいるうちに迷ってしまったカシタンカ。
厳しい冬の夜の冷え込みの中でうずくまっているところを、恰幅のよい男性に見つけられ広い部屋に招き入れられる。

そこには、おしゃべりなガチョウ、すべてに興味なく億劫そうなネコが同居していて、
毎日、朝からさまざまな芸を仕込まれていた。
それもそのはず、男性はサーカスの動物調教師で、カシタンカは新たに「おばさん」と名付けられ、
ガリガリに痩せたカラダに肉がついた頃、おばさんも芸を覚え始める。

ある日、馬に蹴られた事故が元でガチョウが死んでしまい、オバサンは初めて死の影を見る。
悲しんだ調教師は、おばさんをサーカスに連れてゆき、リハもなしで初舞台が始まる。
今まで見たこともないラクダやゾウなどに怯えながらも、観客の歓声に応えて教えられた芸を健気にやってみせるオバサン。
観客席から元の飼い主の声で「カシタンカじゃないか」と呼ばれると、
以前の暮らしを思い出し、観客の上を走りぬけて飼い主のもとへと戻る。

「カシタンカはふたりの背中を眺めながら、もう大分前からこの人たちの後について歩いているような気がして、
 人生はひとときも自分をふたりから切り離さなかったのだと、しみじみ嬉しくなりました。
 それから、汚れた壁紙の部屋、ガチョウ、フョードル・チモフェーイチ、おいしい食事、お稽古、サーカスなどを思い浮かべました。
 でも今では、こうしたことすべてが、何かこう長く、こんがらがった、重苦しい夢だったような気がしてきたのです・・・」


訳者解説引用
P.86
「目に見えないものとの出会いはこの世に無数にあるに違いないという予感がする。
 好奇心と怯えと、そしてなぜか分からないが、喜びが同時にやってくる。
 ああ、こんな気持ちこそ生きているという証ではないだろうか。
 辛いことも悲しいことも嬉しいことも、この世間ではすべてありで、だからひたすら自他を見つめたいと思う」

バタバタした時間の合間を縫って読んでいた今作。
カシタンカにに起きた1ヵ月足らずのまるで祭りのような出来事は、
ちょうどわたし自身にも起きたこの1ヶ月の出来事にも重なるような気がした。
こうして、いろんなことが一寸の無駄なくつながっているんだな。

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