メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『いつか帰りたいぼくのふるさと 福島第一原発20キロ圏内から来たねこ』(小学館)

2014-09-04 21:03:45 | 
『いつか帰りたいぼくのふるさと 福島第一原発20キロ圏内から来たねこ』(小学館)
大塚敦子/写真・文

大塚敦子さんは、ほんとうに良い本をたくさん出しているなあ!

【関連ブログ記事】
『地雷のない世界へ はたらく地雷探知犬』(講談社)
『ありがとうフォンジー イルカがえがおをくれた』(小学館)
『さよならエルマおばあさん』(小学館)
『介助犬ターシャ』(小学館)


【内容抜粋メモ】



10歳のオス猫のキティは、福島県双葉郡大熊町で生まれた。
右目を怪我して見えなくなったけど、7人の大家族に可愛がられ、しあわせに暮らしていた。




ボクのウチは5代続いた農家で、おじいさんの夢は、自分の植えたヒノキで家を建てることだった
緑に囲まれた家の周りには、ボクのお気に入りの場所がたくさんありました。

 

家から4kmほどのところには、東京電力福島第一原子力発電所があります。
約11kmのところには福島第二原子力発電所もあります。
お父さんも、そこで働く一人でした。

もとは農村だった町が、いつのまにか、原発なしでは暮らしが成り立たなくなっていました。
よその人が「事故を起こしたらどうするの?」と言うと、
「日本の原発はしっかり管理されているから、安全なんだ」と信じていました。




2011年3月11日、東北地方を襲った巨大地震と津波で、福島第一原発は大事故を起こしました。


次の日、ボクが家に帰ると、縁側の戸が少しだけ開けてあり、山盛りのキャットフードが置いてありました。
家族はどこに行ったんだろう。きっと、すぐ帰ってくるよね。


でも、いくら待っても、誰も帰ってきませんでした。

 
世話をしてくれる人を突然失った動物たちは、食べ物も、水もなく、次々死んでいきました。


 

ある日、防護服を着た人たちが来て、キャットフードをたくさん置いていってくれました。
ペットを残して避難した大勢の人から頼まれて、東京から助けに来てくれたのです。
ボクは、あまりお腹が空いていたので、エサにつられてケージに入ってしまいました。

「もう大丈夫だよ」

ボクは、家から離れた所で助けられたので、飼い主が誰なのか、手がかりが何もありませんでした。
ボクを助けてくれた人の家で半年待ち、東京で暮らすことになりました。

動物病院で検査を受けたら「ねこエイズウイルス」に感染していると言われました。
他の猫にうつすといけないので外に遊びに行けなくなりました。


震災から1年後。やっと家族に会えました。今は仙台に避難しているそうです。
ボクも仙台に行き、やっとおばあさんに会えました。


「あん時は、2、3日で帰れると思ってたんだよ。もう死んじまったかと思ってだ。よぐ生きでたなあ・・・」


******************************

震災当日、祖父母は、原発が危険な状態だとはまったく知らず、
防災無線は音が割れて、聞き取れなかったのです。

家の中は危険なので、畑の真ん中にとめた軽トラックで寒い一夜を明かし、
翌朝、父母といっしょに着替えも、財布も持たないまま、故郷をあとにしました。
それ以来、祖父母は、まだ一度も家に戻っていません。

お父さんは、避難先の仙台で仕事が見つかり、おねえさんたちも仕事や勉強で忙しくしています
おばあさんは「帰っとこあんのに、帰られないもんな」と涙ぐみました。


おばあさんは、避難先の家の小さな庭でまた野菜を育てはじめました。


******************************

避難中の住民は、4ヶ月に一度だけ、一時帰宅が許されます。
事故が起こってから4回目の帰宅でも、家の中は地震でめちゃくちゃのまま。

「もう片付ける気にならない。いつ帰れるかも分からないもの・・・」


おじいさんが大切に育てていたヒノキ林はまっすぐに育っていました。


 
町には牛の群れが歩いていました。クルマに轢かれた牛もいました。
原発事故の後、どれだけの命が見捨てられてきたのでしょう。


津波の被害が大きかった常磐線富岡駅




放射能は目に見えません。
ボクの故郷は、今もこんなに美しいのに、危険な放射能で覆われているなんて信じられない。

ボクはいつか、故郷に帰れるんだろうか?
(キティは、今も東京で暮らしている



【著者あとがき抜粋メモ】
事故から1年半経った今でも、多くの動物たちが警戒区域内に取り残されています。
救出されても、飼い主が見つからない、避難先では飼えない等で、
どこのアニマル・シェルターも行き場のないペットであふれています。

私は「せめて被災猫を引き取ろう」と思い、動物愛護団体のHPを見て、目に留まったのがキティでした。
高齢、片目を失明、猫エイズに感染、これでは引き取り手がないのではと思ったからでした。
おねえさんがネットを検索してキティの写真を見つけてくれました。

おじいさん「自分の故郷というのは、どんな状態になっても、何年経っても忘れられるもんじゃないんだよ」

でも、若い世代にとっては、少し違うようです。
娘さんは、故郷での就職は考えていませんでした。
お父さんにとって帰れるかどうかは「仕事があるかどうか」にかかっています。


過疎化が進んだ双葉郡は、原発を受け入れることで雇用を生み、町が衰えるのを防ごうとしました。
でも、その代償はなんと大きかったことでしょう。

2012年夏の時点で、福島県全体の避難者数は約16万人。
福島県は、このままだと2040年には人口が最大38%も減少するという試算があります。

この事故が起こるまで、私は福島第一原発で作られた電気の行き先が東京だったことを知りませんでした。
(わたしも・・・しかも、こんなに全国、世界中にあることも知らなかった

立地地域以外の市民の多くは、原発や、それを取り巻く状況に無関心でした。
それもこんな大事故が起こってしまった理由の1つなのではないでしょうか。

すでに起きたことを元に戻すことはできないけれども、二度と繰り返さないようにすることはできます。
まず「知ること」から。そして「忘れないこと」。

どうしてこんなに多くの原発ができたのか、それによって社会はどう変わったのか、
これから原発なしで生きるために、一人ひとりが何をしたらいいのか。
本書を読んで、もし自分だったら、、、と考えてみてほしいのです。



HOSHI FAMILY


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『エリカ奇跡のいのち』(講談社)

2014-09-04 20:11:21 | 
『エリカ奇跡のいのち』(講談社)
ルース・バンダー・ジー/文 インノチェンティ/絵 柳田邦男/訳

あのユダヤ人大虐殺の時代に、生き延びた奇跡のいのちの物語り。


【内容抜粋メモ】
著者は、第二次世界大戦が終わって50周年になる1995年、ある女性と出会った。
著者が「エルサレムに行ってきた」と話すと、女性は興奮して、
「どんなに行きたかったか! でもお金がなくて行けませんでした」と言った。
エリカと名乗るその女性は、大戦下で起きた奇跡について話してくれた。


1933年~終戦の1945年までの12年間に、600万人ものユダヤ人が殺された。
銃殺され、飢え死にし、コンクリートの部屋で焼き殺され、毒ガスで殺された。

私が1944年に生まれたことはたしかです。
でも、誕生日がいつかは分かりません。
生まれた時につけられた名前も分かりません。
生まれたのが、どこの町なのかも分かりません。
きょうだいがいるのかどうかも分かりません。

私の家族は、ドイツ南部のダッハウにあるユダヤ人強制収容所に入れられるところで、私は生まれて2~3ヵ月の赤ちゃんでした。




私はよく想像するのです。
家も、財産もすべて奪われ、家から無理矢理追い出され、ユダヤ人だけを集めた地区に住むよう命令された時、
父母の気持ちはどんなだったろうかと。

やがて、その地区からも出るよう命令され、
ほかの何百人ものユダヤ人たちとともに駅に集められ、
牛を運ぶ貨車に押し込められ、立ったままぎゅうぎゅうづめで動くこともできなかったことでしょう。
(この時点でもう絶対ムリだ・・・



お母さまは、私を暖かい毛布でくるみ、列車がある村を通る時にスピードを落としたので、
貨車の天井近くにある小さな窓から、私を外に放り投げたのです。



近くにいた人が拾い上げて、ある女性の家に連れて行ってくれました。
ユダヤ人の子どもを預かるなんて、その当時は命に関わることでしたが、
その女性は危険を冒して、私を引き取ってくれました。


私は21歳で結婚し、3人の子どもが生まれ、孫もいます。

私と同じ民族の人たちは空の星の数だけいると、昔から言われてきました。
それらの600万個が、流れ星となって消えました。





【訳者のことば抜粋メモ】

「お母さまは、自分は“死”に向かいながら、私を“生”に向かって投げたのです」


今、日本は経済的に豊かで、平和を満喫しているはずなのに、幼児虐待、子どもの自殺、凶悪な少年事件が続発している。
ヒトのココロや生命観が大きく歪んでしまったといわざるをえない。

そんな中、本書は、命を尊ぶこと、生きることの根源的な問いかけを突きつけている。
子どもも、大人もいっしょになって読み、いっしょに考える本だ。

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ふしぎいっぱい写真絵本『クラゲゆらゆら』(ポプラ社)

2014-09-04 19:37:58 | 
ふしぎいっぱい写真絵本『クラゲゆらゆら』(ポプラ社)
楚山いさむ/写真・文



すみだ水族館に行ってから、クラゲが気になる。
ほんとにたくさんの大きさ、形の種類があるんだなあ!
なのに、ほとんど生態がまだ分かっていないってゆうのがフシギ。


【内容抜粋メモ】

 
ウリクラゲ、ユウレイクラゲ


アカクラゲの周りには小さい魚たちが一緒に泳いで身を守っている。


ミズクラゲの成長
 
かさの下に、たくさんの卵を持っているミズクラゲ。
卵は、やがて海に散らばってゆく。

 
岩などにくっついて触手を伸ばし、プランクトンを捕まえて食べる。
すると、根のほうに段々ができてくる。

 
一番上の段から1つずつ離れて、赤ちゃんが海の中を泳いで行く!


やがて成長して大人の形になる。



【著者によるあとがき抜粋メモ】
海水浴に行った時、クラゲに刺されたと思っても、クラゲの姿を見ていない場合が多い。
毒針の入った袋(コルビユラ)が、本体から離れて海を漂い、ヒトの皮膚に触れて、毒針が刺しているからと考えられている。
(食べるわけでもないのに、刺され損じゃんねぇ・・・

日本で一番大きいエチゼンクラゲの触手は毒が強いので触れないように撮影していたが、
口腕のあたりに棲むエビを撮るために何度も刺されたためか、クラゲを食べると発疹が出るようになった。
(クラゲって食べられるのっ!?


この小さなエビのことw


【ブログ内関連記事】
『クラゲの秘密 海に漂う不思議な生き物の正体』(誠文堂新光社)

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