■10代の哲学さんぽ『なぜ世界には戦争があるんだろう。どうして人はあらそうの?』(岩崎書店)
ミリアム・ルヴォー・ダロンヌ/文 ジョシェン・ギャルネール/絵 伏見操/訳
前回読んだ『自由ってなに? 人間はみんな自由って、ほんとう?』と同シリーズ。
みんな平和な世界を望んでいる。じゃあ、なぜ昔も今も戦争はなくならないの?
シンプルでも、重大なことについて、今一度考えさせられる。
平易な言葉で書いてあっても、著者の言うとおり「ハッキリとした答えのない」問題だから、
大人が読んでも、思わず「うーーーーん???」と考えてしまう。
それを、じゃあ、質問の仕方をかえてみたり、歴史を紐解いてみたり、先人の言葉を借りてみたりして、
読んだ人それぞれが、どう思うかを問う形になっているところがイイ。
難しい問題、一見簡単に見える問題も、元をただせば意外な側面が見えてくる、と思った1冊。
【内容抜粋メモ】
戦争とは、底なしの暴力だ。
戦争中なら、平和な時には絶対許されない殺人が許されてしまう。
「平和より戦争を選ぶほど、分別のない人間がどこにいましょうか?」
(ヘロドトス。“歴史の父”と呼ばれる。現存する世界最古の歴史書を書いた)
「なぜ?」は哲学者がこれまでずっと尋ねてきた問いだが、
同時に子どもたちが、何度も何度も、繰り返し尋ねるものでもある。
哲学者と、子どもは、根っこの部分が似ている。同じような質問を、ほぼ同じ形でするのだ。
でも、哲学者が「なぜ?」という疑問を持った時、その理由をひと言で答えることは決してない。
同様に、根負けした親が「これは、こういうものなの!」と言ってしまうのも、答えを知らないからなのだ。
それこそが、哲学がときに「なんの役にも立たない」と言われてしまう原因でもある。
しかし、大切なのは、問いかけてみること、また「どう問いかけるかを、よく考えること」。
質問の仕方が悪くて答えが見つからないことがあるものだ。
「2人の人間が、同時に同じ1つのモノを欲しがれば、手に入れられるのはどちらか1人。
その結果、2人は敵同士となり、やがて相手を滅ぼすか、屈服させようとするだろう」
(トマス・ホッブズ。ヒトが国家を作る前の“自然状態”を、万人の万人に対する戦争のように考えた)
**********************どう問えばいいのだろう?
ヒトは、生まれつき暴力的で、攻撃的なのか?
戦争のおおもとになる原因とは、一体何なのか?
「攻撃性」とは、生物が自らの力を見せつけようとして、他の生物を攻撃する性質のことだ。
どんな生物も攻撃を受ければ、身を守るために相手を攻撃する。
悪意があるからじゃなく、生きるために不可欠なのだ。
**********************動物の行動から考えてみよう
「魚は泳ぐように、また大きいものが小さいものを食べるように、自然によって創られている。
そのため魚は自由に水中を泳ぎまわり、大きい魚が小さい魚を食べるのだ」
(スピノザ。神=自然と説いて異端として破門された。“世の中には偶然は存在しない”という「決定論」の持ち主)
動物が戦う理由と、ヒトが戦争する理由は同じではない。
ヒトは社会をつくって暮らすから。
法律があって、言葉がある。自分を表現し、仕事をして、自然を変えながら生きてきた、
そのすべてをひっくるめたのが「文化」なのだ。
旧石器時代の最古の原人の頭蓋骨には、石矢で傷つけられた痕があった。
原人同士で争いがあったのはたしか
しかし、この暴力的な接触も「戦争」とは呼べない。
戦争とは、きちんと組織された社会と軍隊によって行われるものだからだ。
約5000年前の青銅器に、初めて大きな国家ができた。
収穫物を納屋に蓄えられるようになり、それを記録するために「文字」が発明された(そーなんだ/驚
↓
最低限の量より多く作ると、余った収穫物を不作に備えて蓄えるようになる。
↓
貧しいヒト、遊牧民などが略奪を始める
社会が生きるために必要な量以上のモノを生産し、富を蓄えられるようになると、他人の富に目がいくようになる。
生産力が上がるほど、社会は略奪者としての性質を帯びていく。
**********************戦争は、独裁者が支配する国だけ起こるものではない
「民主主義」を発明した古代ギリシャも、絶えず戦争をしていた
古代ギリシャ軍は、武装した市民である「市民兵」の集まりだった。
民主主義都市は、実は好戦的な共同体でもあったのだ。
民主主義
1人1人が権力を持ち、支配されることなく、集団で暮らす方法。
当時のギリシャのアテネでは、軍の重要な地位を除いて、役職はすべて市民のくじ引きで決めていた。
**********************一体何を「戦争」と呼ぶのか?
「人間対人間の戦争はない。戦争はつねに国対国だ」
(ルソー。ホッブズに反対し、国家ができる以前の自然状態に戦争はなかった、
文明によってヒトは堕落し、社会には争いと不平等が生じるようになったと説く)
戦争は自然からは起こらない。社会・文化と強く関わっている。
ヒトは個人では戦争をしない。
銃で相手を殺しても、個人の名においてではなく、国、民族など、自分が属している集団の一員として戦っている。
戦争とは、社会によって組織された、集団の暴力なのだ。
**********************戦争と文明
人類が進化するにつれ、戦争はどう変わったのだろう?
「進歩」とは、よりよく変わること。にも関わらず、科学の進歩に伴って、被害はますます拡大している。
科学が進歩しても、それとともに道徳も進歩するわけではないのだ。
科学は医療を発展させたが、同時に、兵器をさらに精密に、恐ろしいものにした。
ヒトは「印刷技術」を発明させた同時期に「火薬」を発明し、「抗生物質」を作ったのと同時期に「原子爆弾」を作った。
「飛行機」の発明によって、災害被害者を救うこともできるが、爆弾を落とすこともできるのだ。
『花子とアン』のブラックバーン校長の言葉を思い出すね。
戦争は文明と深く結びついている。文明が進歩しても、残虐行為はなくならない。
戦争と文明は切っても切れない関係にある。
ヒトは社会的であり、なおかつ社会的でない。
この性質を、カントは「社会的でない社会性」と表現した。
そして、それこそが、良くも悪くも、人間を人間にしているものなのだ。
「集団を離れて一人になりたがる、この非社会的な性質こそが、才能を花開かせてくれるものなのだ。
ヒトは理想郷の羊飼いの羊くらい穏やかになったら、羊が人生に意味を求めないと同様、
ヒトも人生に意味を求めようとはしない」 (そうかなあ・・・
(カント。近代にもっとも大きな影響を与えた哲学者の一人。
戦争が起こらないよう、全国家が共和制をとり、常備軍を廃止することを訴えた)
ヒトは一人で生きることはない。
その集団の中で、自分の価値を認めてもらうために、かならず競争・対立が起こる
では、殺人までエスカレートしないためには、どうしたらいいのか?
**********************戦争が限りない暴力である理由は、戦争中にヒトを殺しても罪にならないから
戦争には規則が存在する。
ジュネーブ条約
・兵士以外の一般市民を攻撃しない。
・傷ついた兵士、捕虜を殺してはいけない。敬意をもって扱うこと。
これに違反すると「戦争犯罪」となる。しかし、ルールは守られないことがある。
戦争犯罪(上記以外に
・禁止兵器を使うこと
・都市の無差別攻撃
・侵略戦争
・一般市民の大量虐殺
・政治思想、人種、宗教の違いで迫害すること
**********************では、正しい戦争と、正しくない戦争があるのか?
人々を苦しめず、死者を出さない戦争などない。
にも関わらず、大きな疑問がある。
どうしても戦争をしなくてはならないという場合はあるのではないか?
攻撃を受けたり、攻撃を受けている無力なヒトを救うため、
強大な悪に立ち向かうため、戦争しか方法がない状況。
そこには、暴力と「人権」に関する大きな問題がある。
人権
誰もがヒトとして生まれながらに持っている権利。
力に裏打ちされていない正義は、ときに無力だからだ。
しかし、敵の兵士も悪人などではなく、私たちと同じ人間なのだ。
『ガリバー旅行記』でスウィフトは、小人の国リリパットが、隣国ブレフスキュと、数世紀に渡って血で血を洗う戦争をしている理由をこう書いている。
「この戦争が起きたきっかけは、ゆで卵の食べ方にあった・・・」
この物語りは、どうしても正当化することのできない戦争を描いている。
バカバカしさの裏で、他人の違いを受け入れないココロの狭さと、それが及ぼした甚大な被害について痛烈に批判している。
ナチスドイツのユダヤ人大虐殺
しかし、逆に、なにがあっても戦争を避けようとする平和主義態度が過ちになる状況もある。
ヒトラー政権を止めるために起こした戦争は、「正しい戦争」とは言えないだろうか?
この問いに対しても、ハッキリした答えは存在しないのだ。
**********************現存する最古の戦争の物語り「トロイア戦争」
詩人ホメロスは『イリアス』の中で、ギリシャ人と、トロイア人の行いを、勝者・敗者の区別なく描いた。
ホメロスは、両者ともに暴力に苦しめられる様を見せてくれる。
アキレスは、友を殺したヘクトールを殺し、遺体を戦車でひきずり回した。
しかし、トロイアの王が「息子の遺体を返して欲しい」と頼むと、老父の悲しみに心を打たれ、願いを聞く。
しばしば獰猛な獣のように言われるアキレスだが、敵を憐れみ、敬う心を持っていた。
けっして勝者が絶対的に強いわけでも、敗者が絶対的に弱いわけでもないのだ。
なぜなら、勝者も、敗者も、みな同じ人間なのだから。
「『イリアス』は戦争の残酷さを、誤魔化すことなく、まっすぐに描いている。
勝者も敗者も、讃えられることもなく、馬鹿にされることもなく、憎まれることもない。
戦士らは、ともに野獣やモノのように描かれ、読者は賞賛する気も、軽蔑する気も起こらない。
感じるのはただ、戦争によってヒトがそんな姿に変えられてしまったのだという悲しみだけだ」
(シモーヌ・ヴェイユ)
ミリアム・ルヴォー・ダロンヌ/文 ジョシェン・ギャルネール/絵 伏見操/訳
前回読んだ『自由ってなに? 人間はみんな自由って、ほんとう?』と同シリーズ。
みんな平和な世界を望んでいる。じゃあ、なぜ昔も今も戦争はなくならないの?
シンプルでも、重大なことについて、今一度考えさせられる。
平易な言葉で書いてあっても、著者の言うとおり「ハッキリとした答えのない」問題だから、
大人が読んでも、思わず「うーーーーん???」と考えてしまう。
それを、じゃあ、質問の仕方をかえてみたり、歴史を紐解いてみたり、先人の言葉を借りてみたりして、
読んだ人それぞれが、どう思うかを問う形になっているところがイイ。
難しい問題、一見簡単に見える問題も、元をただせば意外な側面が見えてくる、と思った1冊。
【内容抜粋メモ】
戦争とは、底なしの暴力だ。
戦争中なら、平和な時には絶対許されない殺人が許されてしまう。
「平和より戦争を選ぶほど、分別のない人間がどこにいましょうか?」
(ヘロドトス。“歴史の父”と呼ばれる。現存する世界最古の歴史書を書いた)
「なぜ?」は哲学者がこれまでずっと尋ねてきた問いだが、
同時に子どもたちが、何度も何度も、繰り返し尋ねるものでもある。
哲学者と、子どもは、根っこの部分が似ている。同じような質問を、ほぼ同じ形でするのだ。
でも、哲学者が「なぜ?」という疑問を持った時、その理由をひと言で答えることは決してない。
同様に、根負けした親が「これは、こういうものなの!」と言ってしまうのも、答えを知らないからなのだ。
それこそが、哲学がときに「なんの役にも立たない」と言われてしまう原因でもある。
しかし、大切なのは、問いかけてみること、また「どう問いかけるかを、よく考えること」。
質問の仕方が悪くて答えが見つからないことがあるものだ。
「2人の人間が、同時に同じ1つのモノを欲しがれば、手に入れられるのはどちらか1人。
その結果、2人は敵同士となり、やがて相手を滅ぼすか、屈服させようとするだろう」
(トマス・ホッブズ。ヒトが国家を作る前の“自然状態”を、万人の万人に対する戦争のように考えた)
**********************どう問えばいいのだろう?
ヒトは、生まれつき暴力的で、攻撃的なのか?
戦争のおおもとになる原因とは、一体何なのか?
「攻撃性」とは、生物が自らの力を見せつけようとして、他の生物を攻撃する性質のことだ。
どんな生物も攻撃を受ければ、身を守るために相手を攻撃する。
悪意があるからじゃなく、生きるために不可欠なのだ。
**********************動物の行動から考えてみよう
「魚は泳ぐように、また大きいものが小さいものを食べるように、自然によって創られている。
そのため魚は自由に水中を泳ぎまわり、大きい魚が小さい魚を食べるのだ」
(スピノザ。神=自然と説いて異端として破門された。“世の中には偶然は存在しない”という「決定論」の持ち主)
動物が戦う理由と、ヒトが戦争する理由は同じではない。
ヒトは社会をつくって暮らすから。
法律があって、言葉がある。自分を表現し、仕事をして、自然を変えながら生きてきた、
そのすべてをひっくるめたのが「文化」なのだ。
旧石器時代の最古の原人の頭蓋骨には、石矢で傷つけられた痕があった。
原人同士で争いがあったのはたしか
しかし、この暴力的な接触も「戦争」とは呼べない。
戦争とは、きちんと組織された社会と軍隊によって行われるものだからだ。
約5000年前の青銅器に、初めて大きな国家ができた。
収穫物を納屋に蓄えられるようになり、それを記録するために「文字」が発明された(そーなんだ/驚
↓
最低限の量より多く作ると、余った収穫物を不作に備えて蓄えるようになる。
↓
貧しいヒト、遊牧民などが略奪を始める
社会が生きるために必要な量以上のモノを生産し、富を蓄えられるようになると、他人の富に目がいくようになる。
生産力が上がるほど、社会は略奪者としての性質を帯びていく。
**********************戦争は、独裁者が支配する国だけ起こるものではない
「民主主義」を発明した古代ギリシャも、絶えず戦争をしていた
古代ギリシャ軍は、武装した市民である「市民兵」の集まりだった。
民主主義都市は、実は好戦的な共同体でもあったのだ。
民主主義
1人1人が権力を持ち、支配されることなく、集団で暮らす方法。
当時のギリシャのアテネでは、軍の重要な地位を除いて、役職はすべて市民のくじ引きで決めていた。
**********************一体何を「戦争」と呼ぶのか?
「人間対人間の戦争はない。戦争はつねに国対国だ」
(ルソー。ホッブズに反対し、国家ができる以前の自然状態に戦争はなかった、
文明によってヒトは堕落し、社会には争いと不平等が生じるようになったと説く)
戦争は自然からは起こらない。社会・文化と強く関わっている。
ヒトは個人では戦争をしない。
銃で相手を殺しても、個人の名においてではなく、国、民族など、自分が属している集団の一員として戦っている。
戦争とは、社会によって組織された、集団の暴力なのだ。
**********************戦争と文明
人類が進化するにつれ、戦争はどう変わったのだろう?
「進歩」とは、よりよく変わること。にも関わらず、科学の進歩に伴って、被害はますます拡大している。
科学が進歩しても、それとともに道徳も進歩するわけではないのだ。
科学は医療を発展させたが、同時に、兵器をさらに精密に、恐ろしいものにした。
ヒトは「印刷技術」を発明させた同時期に「火薬」を発明し、「抗生物質」を作ったのと同時期に「原子爆弾」を作った。
「飛行機」の発明によって、災害被害者を救うこともできるが、爆弾を落とすこともできるのだ。
『花子とアン』のブラックバーン校長の言葉を思い出すね。
戦争は文明と深く結びついている。文明が進歩しても、残虐行為はなくならない。
戦争と文明は切っても切れない関係にある。
ヒトは社会的であり、なおかつ社会的でない。
この性質を、カントは「社会的でない社会性」と表現した。
そして、それこそが、良くも悪くも、人間を人間にしているものなのだ。
「集団を離れて一人になりたがる、この非社会的な性質こそが、才能を花開かせてくれるものなのだ。
ヒトは理想郷の羊飼いの羊くらい穏やかになったら、羊が人生に意味を求めないと同様、
ヒトも人生に意味を求めようとはしない」 (そうかなあ・・・
(カント。近代にもっとも大きな影響を与えた哲学者の一人。
戦争が起こらないよう、全国家が共和制をとり、常備軍を廃止することを訴えた)
ヒトは一人で生きることはない。
その集団の中で、自分の価値を認めてもらうために、かならず競争・対立が起こる
では、殺人までエスカレートしないためには、どうしたらいいのか?
**********************戦争が限りない暴力である理由は、戦争中にヒトを殺しても罪にならないから
戦争には規則が存在する。
ジュネーブ条約
・兵士以外の一般市民を攻撃しない。
・傷ついた兵士、捕虜を殺してはいけない。敬意をもって扱うこと。
これに違反すると「戦争犯罪」となる。しかし、ルールは守られないことがある。
戦争犯罪(上記以外に
・禁止兵器を使うこと
・都市の無差別攻撃
・侵略戦争
・一般市民の大量虐殺
・政治思想、人種、宗教の違いで迫害すること
**********************では、正しい戦争と、正しくない戦争があるのか?
人々を苦しめず、死者を出さない戦争などない。
にも関わらず、大きな疑問がある。
どうしても戦争をしなくてはならないという場合はあるのではないか?
攻撃を受けたり、攻撃を受けている無力なヒトを救うため、
強大な悪に立ち向かうため、戦争しか方法がない状況。
そこには、暴力と「人権」に関する大きな問題がある。
人権
誰もがヒトとして生まれながらに持っている権利。
力に裏打ちされていない正義は、ときに無力だからだ。
しかし、敵の兵士も悪人などではなく、私たちと同じ人間なのだ。
『ガリバー旅行記』でスウィフトは、小人の国リリパットが、隣国ブレフスキュと、数世紀に渡って血で血を洗う戦争をしている理由をこう書いている。
「この戦争が起きたきっかけは、ゆで卵の食べ方にあった・・・」
この物語りは、どうしても正当化することのできない戦争を描いている。
バカバカしさの裏で、他人の違いを受け入れないココロの狭さと、それが及ぼした甚大な被害について痛烈に批判している。
ナチスドイツのユダヤ人大虐殺
しかし、逆に、なにがあっても戦争を避けようとする平和主義態度が過ちになる状況もある。
ヒトラー政権を止めるために起こした戦争は、「正しい戦争」とは言えないだろうか?
この問いに対しても、ハッキリした答えは存在しないのだ。
**********************現存する最古の戦争の物語り「トロイア戦争」
詩人ホメロスは『イリアス』の中で、ギリシャ人と、トロイア人の行いを、勝者・敗者の区別なく描いた。
ホメロスは、両者ともに暴力に苦しめられる様を見せてくれる。
アキレスは、友を殺したヘクトールを殺し、遺体を戦車でひきずり回した。
しかし、トロイアの王が「息子の遺体を返して欲しい」と頼むと、老父の悲しみに心を打たれ、願いを聞く。
しばしば獰猛な獣のように言われるアキレスだが、敵を憐れみ、敬う心を持っていた。
けっして勝者が絶対的に強いわけでも、敗者が絶対的に弱いわけでもないのだ。
なぜなら、勝者も、敗者も、みな同じ人間なのだから。
「『イリアス』は戦争の残酷さを、誤魔化すことなく、まっすぐに描いている。
勝者も敗者も、讃えられることもなく、馬鹿にされることもなく、憎まれることもない。
戦士らは、ともに野獣やモノのように描かれ、読者は賞賛する気も、軽蔑する気も起こらない。
感じるのはただ、戦争によってヒトがそんな姿に変えられてしまったのだという悲しみだけだ」
(シモーヌ・ヴェイユ)