メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『怖れを手放す』(星和書店) (その1)

2015-02-08 12:15:54 | 
『怖れを手放す』(星和書店)
水島広子/著

『愛とは、怖れを手ばなすこと』(サンマーク文庫)を読んで、そこに書いてあった
「アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン」に興味を持ち、本書に基づいてやるということなので、読んでみた。

実際の「入門ワークショップ」を行っている、その記録ということで会話形式の本になっている。
数人の参加者が本書のために協力して、プライベートなことも話されていて、自分も一緒に参加している気持ちになって読んでみた。
進行しているのは著者であり、「アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン」を立ち上げた水島広子さん。


【内容抜粋メモ】

入門ワークショップの位置づけ
「アティテューディナル・ヒーリング(以下AH)」において最も大切な「聴く」トレーニングに入ります。
基本的な考え方は、少なくとも自分の快適さには、自分で責任を持つということです。

ワークショップには、他にも「ボランティア・トレーニング」「ファシリテーター・トレーニング」、
「サポートグループ」に参加することもできます。

これは皆さまのためではなく、自分のためにやっています。
「人のため」という気持ちになると、AHと違うものに変わったときです。


チェックイン(自己紹介)
名前は本名でも、なんでもいい。話すのは「たった今の気持ち」を手短かに。


ジョイニング(つながりの儀式)
これは手をつなぐ儀式で、集まりの最初と最後に必ずやることだが、日本人には抵抗がある方が多いため、
ジェリー(AHの創始者ジェラルド・G・ジャンポルスキー)が「文化によって選択肢があっていいじゃないか」ということでやめた。


輪の真ん中にティッシュを置く
個人的な話をしているうちに泣く方も多いが、他の方にティッシュを渡さないでほしい。
一般社会では善意の行為で、それはそれでいいが、AHでは「それぞれのプロセスをとても大切にする」ところ。
ティッシュを渡すと、人によっては「早く泣き止んでほしい」ととられる場合もあるから。
同様に、体をさすってあげたりするのもやらないで欲しい。あまり触れず、そのままにしておいてほしい。


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AHのガイドライン(指針)
ガイドラインはグループが機能するための枠組みとして考えられた。「ルール」ではないことに注目してほしい
そして、「完璧にやろう」とは絶対に思わないでほしい。「完璧主義」も怖れの代表選手の1つだから。


ガイドライン1:グループの目的はすごく簡単。こころの平和の選択を実践すること。

「世界平和のため」とか「社会貢献のため」とかとは書いてない。
結果として世界平和につながると思いますが、自分が責任をとるということが、こころの平和につながるというのを感じてほしい。

「こころの平和の実践」か「こころの平和の選択の実践」か
「こころの平和を実践する」と言うと、結果への執着が生まれて、視点が未来にいってしまう。「実践」を「練習」と訳してもいい。

完璧な理解を目指さない
今日の目標は6割程度の理解です。


ガイドライン2:グループの中では「聴くこと」に集中し、評価を下さず、自分の話をすることを実践します。

私たちは人の話を毎日聴いていますが、相手の話だけを聴いていることはまずなくて、必ず同時に自分の考えを聴いている。
他人と同じようにできる自分と、できない自分に評価を下しながらとか。

過去のデータベースや、未来を通して現在を見ない
未来と過去は実は同じものを意味する。「あの仕事やらなきゃ」は未来。
「これはこうすべきだ」「また同じ話かは、頭が過去のデータベースを通して現在を見ている。

相手が変わらなくても、自分の聴く姿勢は変えることができる。
思いがよぎった時、「あ、またデータベースに行っちゃった。現在、現在」と戻ってくればいい。
開かれたこころで人の話を聴くというのは、雑音を静めて聴く、現在の音だけを聴くこと。

自分に対する評価を手放す
AHのもう1つポイントは「人」という時は、必ずセットで「自分」が出てきます。
「すべての人が」と書いてある時も、必ず「自分」がそこに入っていることを忘れないでほしい。

AHは正しく理解して実践している限り、辛くなることはあり得ない構造になっている。
辛くなったら、AHが合わないとか、自分がダメだではなく、単にどこか読み違えたり、読み落としたりしているということ。
私たちは想像以上に自分に評価を下して生きている。


ガイドライン3:グループに参加するのは自分を癒やすためで、人にアドバイスしたり、人の信念や行動を変えるためではない。

AHの環境では、アドバイスはしないでください。
悩みを話してアドバイスが返ってくることで傷つく。批判されているように感じたりすることがあります。
アドバイスって「現状が良くないから変える」という行為。だから「現状否定」が前提になる。
すると「そんなの言われなくても分かっている」というのもけっこう多い(私もよくやるな


ガイドライン4:自分自身の体験に基づいて話します。自分の感情を思いきってさらけ出すことで、互いに共通の体験を見出し、人とのつながりを感じやすくなります。

ぜひご自分の気持ちを話してほしい。さらけ出せとは書いてありません。それは自分で選んでください。
いっぱいさら出せば、たぶんいっぱいつながりを感じて帰れます。
その違いは、見ているほかの方にも分かってもらえると思います。


ガイドライン5:自分を含めてグループの一人ひとりをかけがえのない存在として尊重します。
大切なのは、そのプロセスで、自分がどう評価するかではないと認めます。

これは実践するのが一番難しい。辛い話を聴いた時、「可哀想だから早くラクになってほしい」というのも
実は自分が相手のプロセスに対して下している評価だと気づいてください。

人のプロセスを評価するのを止めるのは、そのうちできますが、もっと難しいのは自分のプロセスに評価を下すのを手放すこと。
自分はまだここで何度もぐずぐずしている必要があるかもしれない、それが自分のプロセスだから、
早い&遅い、しつこいなど評価を下さないこと。


ガイドライン6:それぞれの人が自分のこころの声に耳を澄ませるよう、互いに支え合います。
「こんなことをしたら嫌われる」など「頭の声」は毎日、何種類も聞こえるけれど、
こころの声は、その頭の声がすべて静かになった時に聞こえてくる本当の声だから何種類もあったりしない。
そんなの聴いたことがないとしてもフシギじゃない。
アドバイスをしないで、雑音を消せる環境を協力してつくることで、自分のこころの声を聴けるようにしていく。


ガイドライン7:年齢、経験に関係なく生徒と教師の役割は入れ替わる。
「年長者だからと威張ってないで、若者の意見も聞きなさい」と読む人が多いかもしれない。
これを読んで、あまり気分がよくないと思ったら読み違えていると思ってください。

「怖れの綱引き」から手を離す
先生が先生であり続けると辛くなる時がある。失敗した時などは「隠蔽する」「相手のせいにする」など。
そういうのも、「自分は正しくなければいけない」という反応パターン。
これは「先生役が辛くなったら生徒になろう」という簡単なこと。

自分はこれから何を学べるのかと考えれば、見え方がだいぶ変わる。
「困っています。助けてください」「教えてください」と表現するのです。
言われたほうは嫌な気はしないですよね。

子どもは、親からの「助けて」などのメッセージにすごく優しい。ここまでかと思うくらい助けてくれたりする
ジェリーは「ファシリテーター」としての能力は高くない。自分でアドバイスをしてしまうし、AHが乱れたりする
すると「私のこころが全然平和でなくなった。みんな1分間目をつぶって静寂の時をもってくれないか」とお願いするんです。

「生徒役」が辛い時
「先生が頼りない」とか。なぜそうなるかというと、「自分がちゃんとしないと攻撃される」と思っているから。
「あんた先生なんだからちゃんとしてよ」ではなく、自分もそこに主体的に参加している気持ちになるとすごくラクになれる。

こうして役を変えるだけでも随分見え方が変わる。


ガイドライン8:「ランプのかさではなく、光だけを見る」よう、相手に自分のこころを完全に向けるよう実践します。
それぞれの人を全体で見て、外見、気分、行動など、その時の状況で判断しないようにします。

「あの人の洋服シワシワとか、人はランプのかさみたいなところばかり見がち。
その人の本質のほうを見ましょう。


ガイドライン9:平和と葛藤のどちらを選ぶか、怖れにとらわれるか手放すかは、常に自分で選択できる。
これは「選択してくれ」と言ってはいません。


ガイドライン10:グループで話したことはすべて秘密厳守です。



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AHの中心となる考え方

アティテューディナル・ヒーリングとは、「こころの姿勢(アティテュード)」を自ら選ぶことによる「癒やし(ヒーリング)」のこと。
健康は「こころの平和」と定義され、そのために「怖れ」を手放すプロセスがアティテューディナル・ヒーリングである。

自分が攻撃された場合
「あなたは、どうしてなんでもネガティブにとらえるんだ」と言われて生きてきた人もいると思います。

では、例えば私が「どうぞなんでも話してください」と言ったのに「えー!全然違いますよ」と怒ったら、どう感じますか?
a:また自分が間違えていたんだと、自分を責める。
b:変なところに来ちゃったと思う。
c:仮病をつかって帰るかも。

生き物というのは攻撃されたら、「反撃」するか「逃げる」かなんです。
「質問する」という形の反撃もあるし、「壁を作る」ことで逃げる人もいる。
どちらも、“自分のこころが平和ではなかった”ということです。


怒っている人は、困っている人
どうして私が怒ってしまったと思いますか?

a:自分が心地よくないから。→思った通りに進めないから
b:思い入れが強すぎて。→期待に応えられない
c:予定通りいかなくて、軌道修正しようという焦り
d:何かあって不機嫌だった

今度は自分の過去を思い出してください。
人を感情的に怒ってしまった、批判的なことを言ってしまった時。
親子の場合は典型的ですね。「せっかくやってあげてるのに」とか。
上司の場合「君、報告がないじゃないか」→報告があれば、ちゃんと対処できたのに


相手が困っていると分かると・・・
次に、怒っている私の胸に「私は今困っています。助けてください」と本心が出ていていたとしたらどうですか?

a:なにか協力してあげなきゃと思う。
b:矛盾があって当然。人間的だと思う。

ここで気づくのは「自分のこころがとても平和で無傷な状態だ」ということです。
反撃して勝っている時でも、自分は傷ついているんです。自分の問題になっている。

これがAHの「とらえ方の違い」です。
最初は攻撃されて反撃か逃げるか、次は攻撃そのものがなく、ただ困った人が騒いでいただけの話。だから自分は傷つかない。

これは、いわゆる「前向き思考」とは違います。
「前向き思考」は、攻撃として認めていて「痛いけど、私は大丈夫」てちょっとムリがある。


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「アティテューディナル・ヒーリング」という言葉の意味
いちばん正確に日本語に訳すと「こころの姿勢をみずから選ぶことによる癒やし」になる。


中心となる考え方1:こころの姿勢は「ポカポカとした温かいこころ(愛)」と「怖れ」の2つしかない。私たちの本質は愛である。
「怖れ」にはいろんなものがあります。「怒り」「自責」「罪悪感」「べき思考」

こころのあり方を決めるのはなにか
「怖れ」というのは、「自分のこころのあり方は、外側の世界で決められている」と信じていること。
つまり、自分が幸せになるために人が優しくしてくれなければいけない、外側が平和でなければいけない。
「温かいこころ」のほうは、自分そのものが完全なので、外から何かしてもらわなくても自分はポカポカとしていられる

本質はみな愛なのだけど、生まれてから「怖れ」が積み重ねられて、垢のようにどんどんこびりついていく。
例えば「勉強ができない子はダメだ」「人を出し抜かなければ生きられない」など。

でも、例えば、極限の状況では怖れがふき飛ぶ。目の前に死にそうな人がいて、人命救助している時などは
「あの仕事、締め切りが・・・」より、「この人に助かってほしい!」と愛がむき出しになる。


ものごとの見え方は、自分の頭の中を映し出す鏡
逆に、どう見えるかによって、自分の頭の中がどっちになっているかも分かる。鏡として使える。
「攻撃」に見えたら「怖れ」になってる、「困ってるな」と思ったら「愛」になってると気づける。


中心となる考え方2:私たちは選択することができるvs自動操縦
私たちが「選択」という時、選択肢がいろいろあって、うまく選べるかなと思うが、
AHでは「自動操縦」ではないという意味。

私たちは実際には自動操縦になってしまう。酷いことをされたら「一生許さないと思いながら生きる自動操縦状態。
「ゆるす」ことはAHの中核的テーマですが、難しい。
許せないでいると、例えば体の具合が悪くなったり、こころの病気になったり、人間関係が歪んだり、自分にあまりよくないことが起こります。
「許せば相手がいい気になって、続けるのでは?」「お仕置きにならないのでは?」などいろんなことがあって許せない。
これをジェリーいわく「相手の死を願いながら、自分も毒を飲み続けている現象」


ゆるすということ
AHでいう「ゆるし」は過去をすべて水に流すことではない。
自分が不適切なことをされた、辛かったと全部そのまま覚えていていい。
でも、それとともに思い出される、ドロドロした、自分を傷つける嫌な感情は手放せる。
「ゆるしましょう」「大目にみましょう」とは違います。
繰り返し「ゆるさない」と思うことで、自分を傷つけるのはもうやめましょうということ。
どちらでもいいけど、自分で選んでいると意識するだけでも見え方がまったく変わります。


中心となる考え方3:自分のこころの声を聴く。
既出。

中心となる考え方4:完全に「今」に生きる。
AHでは「人の話を聴く」=「自分が現在にいる手段」。「聴いてあげる」ではなく「自分のために聴く」。
自分が人の話を聴くことが「自分への贈り物」となる


中心となる考え方5:自分の選択に自覚と責任を持つ。
「あなたが辛いのはあなたの責任でしょ」と言われて嫌な感じがしませんか。
でも、それは読み間違えだと私も気づいたんです。これこそ「自分のプロセスの尊重」に関係している。

「今こんな選び方しかできない自分」を責めたら、自分に評価を下すことだから。
「人からされたのに」とまだ思っている、という自分をただ尊重すればよくて、それに辛さを感じる必要はない。
「また評価している」と気づけばいい。


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アティテューディナル・ヒーリングのサポートモデル(スター)


スター1:現在への集中
「現在」に集中することが、こころの平和を選ぶ第一歩。

スター2:受容
「受容」とは、現実をあるがまま受け入れること。
こころの平和を選びたければ、受容を選ぶということになる。

スター3:人間性と全体性の認識
ゆるせないと思うのは「人間的なことと認識すること」「人として当然の反応として認めること」。
AHは「怒り」や「ゆるせない気持ち」を手放すプロセスだが、その前には、まずちゃんと認めることが必要。
ゆるせない感情にしがみついている自分を意識して手放す。

これをしないと、「ゆるせない自分をゆるせない」「そんな自分は変だ」と「怖れ」をさらに複雑にし、手放しにくくなる。
AHは、怒らない人をつくるのではなく、怒っていることに気づいて、それが自分のこころの平和になるんだろうか?
と意識して考えられるようにするためのもの。


全体性の認識
簡単に言えば「視野を広げる」、スピリチュアルに言えばもっと広くとれます。
酷いことをされたばかりで、今は一生許せないと思っているが、時間が経てば自分も変わってくるだろうと
全体を見渡すと、「ゆるせない自分をゆるせない」とはならない。
だから、人間性と全体性どちらの認識も、現実をゆるしやすくするといえる。


スター4:自分に対して正直
単純に、自分に対してウソをついているか、本当かということ。
「理解していないけど、分かったフリをしておこう」とかしていると、こころが平和にならないのは分かりますよね。
みんなに合わせて「いい人」を演じていてもこころは平和になりません。
納得していないガイドラインを無理矢理守ってもこころは平和になりません。


スター5:選択
選択するという姿勢を選ぶことです。


スター6:つながり
AHでとても重要な概念の1つです。つながるコミュニケーションにしようと考えています。

内的つながり
自分とのつながりという意味。自分とのコミュニケーションを見直す機会にもなる。
私たちは人とのコミュニケーションはちゃんとやっても、「私なんていいんですなどと、自分とつながらないコミュニケーションをすることが多い。
本質的には、こころの声を聴くという意味になります。

外的つながり
今日、ここにいる皆さんとのつながりをその1と考えると、その2もあります。
「大きな何か」を人によっては、運命、宿命、必然、自然、あるいは神さまととらえる人もいます。
「ジタバタするのをやめて流れに身を任せてみたら気が楽になった」というのはそれを選んだということになる。
「自分はこういうことを学ぶために病になったんだ」と分かるととても楽になる。
AHは、スピリチュアル度を自分の好きなように選べるので、「そんなもの絶対ない」という人は、その1だけでも十分です。

つながりの意味
ここで言っているのは、いわゆる「ニコニコ喋る」みたいなつながりではなく、要は相手の本質とつながるという意味です。


その2につづく・・・

コメント

『怖れを手放す』(星和書店) (その2)

2015-02-08 12:14:54 | 
『怖れを手放す』(星和書店)
水島広子/著

その1からのつづき。
内容的には、復習の意味で繰り返しも多い。

【内容抜粋メモ】

アティテューディナル・ヒーリングの原則~12の柱
原則なので、いちばん大切です。原則の定義は別に決まっていないからです。
ですから、皆さんにはこれから一生をかけてご自分なりの定義を考えていただきたいのです。

原則1:私たちの本質はあたたかいこころ(愛)

原則2:健康とは、こころの平和(やすらぎ)、癒やしとは、怖れを手放すこと。

原則3:与えることは、受け取ること
これを読んで「ギヴ&テイク」と思わないでほしい。
私たちは人に与えるこころの姿勢そのものを、自分でも受け取っているという意味です。
与えていることそのものが「気持ちいい」という感じです。

相手がお礼を言わないと頭にきたり、「こんなにやってあげたのに評価されない」とすごく気になります。
相手を攻撃している時は、自分も同時に攻撃しているので、こころが平和にならないのです。

そう考えると「燃え尽きる」という現象も、燃え尽きるような働き方をする時は、
「これを断ったらプロではない」「嫌われるのでは」、完璧主義の人は「自分がゆるせない」と思ってムリをします(したした
単に働いている仕事量以上にボロボロになります。

原則4:私たちは、過去も未来も手放すことができる
「手放すべき」ではなく、その気になればできると書いてあります。

原則5:存在する時間は「今」だけ。それぞれの瞬間は与えるためにある
私たちには「与えるモード」の時と、「受け取るモード」の時があります。
「ここで親切にすれば、この人は私を愛してくれる」みたいな。これは一見「与えている」ように見えて「受け取る」ほうに目がいっています。
一方、与えるのは「今」でないとできないので、与えるほうに意識を向けていれば「今」にいられます。

原則6:私たちは評価を下すのではなく、ゆるすことによって、自分や他人を愛することができるようになる。

四つの組み合わせ
自分をゆるすことで自分を愛せる
他人をゆるすことで他人を愛せる
自分をゆるすことで他人を愛せる
他人をゆるすことで自分を愛せる


原則7:私たちは、あら捜しをするのではなく、愛を見つける人になることができる

原則8:私たちは、外で何が起こっていようと、こころの平和を選ぶことができる。
外で起こっていることと、こころの平和が直接関わっているわけではない、ということを言っているので、
外で起こっていることを変える自由もあるということは忘れないでください。
変えたいことは変えればいいし、やりたいことはやればいい。
ただ、こころの平和は自動操縦的に決まるわけではないことです。

原則9:私たちは互いに生徒であり教師である

原則10:私たちは、自分たちを分断された存在ではなく1つの命としてとらえることができる
これは「私たちは、人生を断片ではなく、全体としてとらえることができる」と訳すこともできます。

原則11:愛は永遠のものなので、変化を怖れる必要はない

「死」への怖れ
アメリカ・サウサリートのセンターでは「死を怖れる必要はない」というバージョンを使っています。
死後の世界を信じていない人にも関係があります。
ジェリーがセンターをつくったきっかけの1つに、致命的な病をもった子どもたちの観察があります。

小児がんの子どもが一番知りたかったのは「人間って死ぬとどうなるんだろう?」ということでした。
でも、周りの大人たちは「かわいそうな質問にしか聞こえず、聞くのが辛く、その子を避けるようになってしまった。
最終的には、掃除のおばさんに「天国があって、神さまがいるんだよ」という答えが得られました。

答えが得られない間、その子は本当に寂しい思いを続けました。
その子が学んだのは、人は本当の気持ちを話すと、離れていくということでした。
なぜかというと、まさに死への怖れ、大人たちの過去のデータベースなんです。
単なる質問として聴くことができなかった。
これは、「生」の質、死ぬ前の「人生の質」にも大きな影響を与えているということです。


原則12:どんな人も、愛を差し伸べているか、助けを求めているか、のどちらかととらえることができる
これは原則の中でも人気、実用度ナンバーワン。今日から使えるAHです


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「聴く」姿勢を身につけるためのトレーニング

全体のすすめかた
あくまでも「聴く」ほうがメイン。話す方は練習の場を提供する役割です。
自分の話、気持ちを中心に話すこと。

1人の持ち時間は5分間。状況説明をすると足りないので、細かい状況説明はしないでほしい。
自分を主語にする。「ウチの家族はこう思っていると思う」ではなく、「自分はこういう気持ちになる」という話し方。
気持ちが出るという意味では、悩みごとが話しやすいのでお勧めです。
カッコつけて話さず、自分に評価を下さずに話してください。
5分経つとタイマーが鳴り、カードを1枚引いて、声に出して読み、それについて感想を簡単にお話しください。

相手の「現在」にとどまる
過去や未来にさまよう頭を現在に引きも戻しながら聞くこと。
相手をちゃんと見て聴くことをお勧めします。見ないで聴くと、頭の中で自分の考えがまた回り始めるので。
目をつぶって聴く方もいますが、相手を見て聴いたほうがいいです。

「あ、私も同じことがあった」「この人って・・・」と出てきたら、「また過去のデータベースに入ってしまった」と思って、
「現在、現在」とただ戻る。自分を責める時間はありません。

「問題」として聴かない
話している方の本質は愛で、プロセスがあって、たまたま今の小道具として悩みがあるだけですから。
「問題」として聴くと、「問題さん」が主役で、その人はそれを持っているだけの人みたいになります。
そこはかとない安心感をもって聴くと聴きやすいかもしれません。

今日は、聴き終わった後のコメントは一切禁止します。どんなに賢いアドバイスを思いついても言えないので考えないでくださいw

話す順番は決めません。準備ができた方から順番に話してください。
心配性の方は早めに話したほうがいいですね。


例:Tさん
私は派遣社員で、自分の分野と全然違う翻訳をしています。もともとは料理人なんです。
私が離婚をしたりした時に、物質的なもの、金銭的なものをすべて失った。
まだやっぱり整理がつかない。すごくやりたいことがあるけど、その扉を開けるのがものすごく怖いなと思って1年ほどいる状態。

引いたカード:私は見ている世界の被害者ではない。私が見ているのは、私のこころの反映です・・・

(全員話し終えて

相手の現在が聴けた時、どんな感じだったか?
a:私は男だが、女性の病気の話にしても、やはり私なんですよね。

自分と相手の境い目がない、「自分」がなくなった感じがしませんでしたか?
日ごろいかに自分を感じて生きているかということかもしれませんが。

b:評価せず、つながっている気持ちを受けた。

状況説明より、気持ちを話している時につながりを感じませんでしたか?


愛をもって聴くと、愛を受け取る
常識だと辛い話を聴くと、辛くならなきゃいけないのに、なぜか温かい、いい気持ちになってしまう
「問題」として聴かずに、愛の姿勢で聴くことが、愛を与えていたということ。

「共感」と「共鳴」
「共鳴」
辛いと思った人は、相手の辛さに引っかかって、「自分もそうだった」と過去のデータベースに入ってしまった。
「問題」として聴いて、ずっと「共鳴」していると、すごく疲れる

「共感」
相手の現在にいながらできる。「人の話を聴くって案外いいな」と感じられる。

c:日ごろは意識しないが、今日は「全身が耳」という感じ。


「聴く」ためのトレーニング
d:過去の自分の経験にすぐ結びつけちゃう。

何度も過去に行ってしまったと意識できることが素晴らしい。

e:ニックネームだけで参加していることは安心感がある。

今日は実はすごく聴きやすい工夫が何重にもしてある。
まったく知らない人だから、相手についてのデータベースがない。
けれども、状況説明になると、どうしてもデータベースに入ってしまう。
5分に区切ったのも「この話いつまで続くんだろう」という恐怖感がない。
コメントがないから、聴きやすい。

でも、日常の場合、家族などはとくにデータベースがいっぱいあるから、脇に置かなければならないものもたくさんある。
だから、人の話をよく聴きたければ、まずはこういう雰囲気をつくって聴くと、相手が話しやすくなる、自分も聴きやすい。
「今から20分間、余計なことを言わずに、なんでも聴いてあげるから、気持ちを話して」と言って聴くだけでも、ずいぶん関係性が変わると思います。


アドバイスがないことによる安心感
例えばコメントがあると事前に分かっていたら、違う話をしただろう、話し方も変えただろうと思います。

f:構える姿勢で話して、うまく伝わらなかったんじゃないかと思いました。

「ちょっと危険だから少し防御しなきゃ」と、本当にさらけ出して自分のプロセスを進めることができなくなる。

g:自分は営業なので、話す時はプレゼンという形になる。ある程度のレジュメがあるけど、
  フリートークだと、質疑応答があるのが染み付いてしまっているので、難しかった。

人が喜んでくれてるか、場違いな話をしてないか、確認しながら話している=自分に下す評価
(仕事には必要な要素もあるから、プライベートと分けるってことなのかなぁ?

h:シーンとしているのが、「受け入れられている」という証明みたいな感じ。

i:ヘヴィな話だと、絶対に引かれるから、いつも自分のプライバシーは言わないけど、ここでは安心して言えた。

「共鳴」されると、話し手にとって辛い時がある。「申し訳ない」とか「私ってそんなにおかしいの?」とか。

j:あたたかい目で見られていたので、決して恥ずかしいことじゃない。逆にそれを自分が受け入れたので、リラックスできた。

後になってから、本当の素直な気持ちが出たりすることも多いですね。


「カード」による気づき

k:「これは私にくれたメッセージなのかな」とフシギな感覚が何度もあった。

あのカードをただペラペラ読んでいても、こんなにこころに沁みない。
さらけ出して話した後だから沁みる。ぜひまたカードを活用してみてください。


「ランプのかさ」ではなく光だけを見る
相手の話だけを聴けた時は、どんな顔で喋っていたとか、あまり覚えていない。
とてもいい雰囲気は覚えていて、細かいことはよく覚えていないと思う。

l:外見でその人のイメージが自分なりにできているが、話を聴くことで、その人のあたたかいこころが伝わった。


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入門ワークショップ後のステップアップ~頭で理解しないようにする

「サポートグループ」
今日、体験したグループの「コメント付き」の形になります。アドバイスは禁止です。
今日のグループのことを何度も繰り返していくのが「サポートグループ」です。大体いつも2時間です。

「ボランティア・トレーニング」
誰でも参加でき、これには宿題がある。
1.パトリシア・ロビンソンの「アティテューディナル・ヒーリングの原則のひとつの定義」を一度は読むこと。
2.今日使ったカードを毎日の生活の中で使ってみること。

実際には、これから毎日トレーニングしないと、こころの筋力はついていきません。
思い出す回数が多いほど訓練になる。

“こころの平和を求めるなら、他人とのコミュニケーションが、人とのつながりの感覚を増すものであることが重要。
 こころの平和を得るには、考えること、言うこと、することに一貫性があることが必要”

もう一度「入門ワークショップ」に参加も可能
くれぐれも注意してほしいのは、完璧主義的に何度も受けること。
仮に全部暗記しても、自分が人との間であたたかさを体験していかないと分からない。


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入門ワークショップの終わりに

Q:カードの使い方を教えてほしい

A:カードには、毎日使う「基本のカード」があって、それを毎日読み、さらにもう1枚、その日の分を読む構造。
  皆さん、いろいろな形で使われています。1日に何枚も読みたくなるが、1枚をじっくり読む形がいいと思う。

Q:AHは宗教か?

A:これが宗教的に見えるという人はたしかにいる。でも、それは違う。
  ジェリーが創設した時の基礎になった本があるが、そこから宗教的なものをいっさい排除したものがAH。
  ここには、神というような言葉は出てこない。
  ジェリーの本の中に「神」という言葉が出てきたら、それは「自分の中のこころの平和」「自分のこころの声」と思ってほしい。


・参加の感想(省略)

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「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」パトリシア・ロビンソン

私たちは今日、非常に大きな問題に直面しています。
私たちは常に外部の刺激を浴びせられ、こころの平和を見つけるのは、健康のために欠かせません。

序文 ジェラルド・G・ジャンポルスキー
パッツィは、センターが1975年に初めてスタートした時からいました。共同創始者の一人です。
パッツィと私がイギリスにいた時、友人がエナトゥウィグという有名な超能力者とアポイントメントをとってくれた。
エナは「AHが世界中の人を助けるのが見える」と言ったが、私は全然信じなかった。
パッツィが昔書いたこの文章が読めることを幸せに思う。


[本文]
AHは、自分、他人、世界を裁くことなく見られるようになるためのスピリチュアルな道です。
目標は行動を変えるのではなく、変化のための最も強力な手段、つまり「こころのあり方」を変えることなのです。
AHは、私たちの人生における創造的な力になります。

私たちの本質は愛で、愛は永遠
愛は、経験することだけができるもの。愛はエネルギー、不変、永遠。
科学者が「生命力」と呼ぶもの。

大切なのは「負の感情」のために愛を感じられないと認識すること。
「怖れ」は「エゴ」の仕業です。愛は分かち合うためにある。

センターに9年も背中の痛みに苦しむ女性が来て、私たちは約10名のグループ参加者に
「30秒ほどこの女性に愛を送ってもらえないか」と頼み、
今度はその女性に「グループ参加者に同じことをしてくれないか」と頼んだ。
ミーティングの終わりに女性は「この1時間、背中の痛みがすっかり消えていた」と言った。

このミーティングで起こったことは、見たり測定したりはできない。
私の目標は彼女の痛みをとることではなかった。
ただその時に集中し、愛を送り、結果については心配しないということ。
人の気持ちはハッキリと送ることができる。他の人はそれを深いレベルで感じることができる。


健康とはこころの平和。癒やしとは怖れを手放すこと
こころの平和を得るには、まずそれをただ一つの目標とすること。
私たちにはいろいろな感情があり、すべて怖れに関連している。「怒り」「嫉妬」「罪悪感」「落ち込みなど。

こころは私たちが持っている最強の手段で、変化に向けての意識・意欲を持つことが必要。
真実を裁くことなく教えてくれる声。次のステップは「感情を体験する」こと。

怒りを感じた時、それを感じ、認め、優しくすること。
「怒り」は当然の気持ちで「悪い」というレッテルを貼って否定することはない。
本当に自分の怒りを知って初めて、変えられる。これは一瞬でできる。

センターに来た女性で、9歳の娘が重症の白血病を抱えていた。
彼女はジェリーと会ってものの受け止め方を理解し、ボランティアとして同じ体験をもつ大勢の親を助けた。
「あなたはこころの平和を選べる」という意味でなく、どんな状況でも「親たちのために彼女がいた」ということなのです。


与えることと、受け取ることは同じ
世の中には「与える人」はたくさんいるが、普通、受け取り方を学ぶのに苦労する。
「受け取る人」は、与え方をよく知らない。

「与える人」は、相手を「操作」しながら助けている。相手が期待に応えないと失望する。
「受け取る人」は、次々と要求を出して、満足できない。
どちらも、自分を満たすものを外側に探していて、自分の内側には空虚感を抱えている。

AHは、条件も、エゴもなく、期待もせず、境界線もない。
他人と一体化する感覚を持ち始めると、自分のことは忘れ、気にしなくなります。

グループでは「自意識」を忘れることができます。
助けられているほうの人はほぼ自動的に怖れや不安を手放し、他の人と一体化でき、癒やしが起こります。


私たちは過去も未来も手放すことができる
過去は学習のためにあります。経験には価値があり、成長の糧になります。私たちがそういう見方を選択すれば、ですが。
でも、過去に浸るのは私たちの為になりません。「こうならよかったのに」などは邪魔になるだけ。
つまり、こころがしっかりと目覚めて生き生きしているように訓練が必要。

もちろん「計画を立てる」のは大切。どう区別するかというと、意識が現在に留まっているか。
私たちは未来の予見はできません。何が起こるか、起こらないかに浸るのは生産的ではない。
未来に向けての自分の意思を決めておくこと、実現に向けてさらなるステップを踏むことだけなのです。

過去の考えで役に立たないもの、苦痛をもたらすものは、選んで変えられるということ。
そのためには、それに気づき、手放すための意識的な選択をすることが重要。


あるのは今このときだけ。すべての瞬間は与えるためにある
私たちはすぐに、過去のことを考えたり、将来への不安を膨らませてしまう。
私たちが現在に留まれば、すべての出来事に一番良い形で対応できる。

私たちは外で起こることをコントロールできない。それをすると平和な気持ちにはなれない。
でも、自分の考えをコントロールすることならできる。
「受け取ろうとする気持ち」から「与えようとする気持ち」に変えると、外で起こることに明らかな変化に気づくようになる。

ある青年がグループで「米ソの関係が良くならないのはどれほどアメリカに責任があるか」と演説した時のこと。
子どもたちに質問はないかと聞くと、彼らは一人ずつ「ロシア人がいかに親切だったか」を伝えた。
「今回の旅でロシア人から受けたもてなしの話をアメリカ人が聞いたら戦争はなくなるだろう」と言ったのです。
演説した青年は、明らかに柔らかい表情に変わり「来てくれて本当にありがとう」と言った。


私たちは評価を下すのではなくゆるすことで、自分や他人を愛することができるようになる
私たちは他人に評価を下す時は、いつも、自分自身にも評価を下している。
「ゆるし」は、誤ったものの受け止め方を明らかにするための手段です。
つまり、こころを乱す原因となる「信念へのしがみつきを止める」という選択です。

「攻撃」を例に挙げると、『奇跡についてのコース』(AHのもとになっている本。未翻訳)には、
その人は攻撃ではなく、助けを求めているか、愛を必要としているという見方をするというもの。
人間関係において、これは最も難しい原則の場合が多い。

受け止め方を変えれば、自分を「防御」する必要もなくなる。
「自分はこれでいいんだ」と思える時は、他人の振る舞いは問題にならなくなる。


私たちは、あら捜しをするのでなく、愛を見つけることができる
他人の欠点を見つけるのは簡単です。他人が変わってくれれば、自分はもっと幸せになれるのにというのも1つの幻想です。
私たちが幸せになるためには、誰も変わる必要はありません。自分の幸せを作り出すのは、自分の仕事なのです。

私たちが他人の欠点を捜すのは、自分の中に、同じ欠点や、欠点になる怖れのあるものを見たくないから。
他人を批判するのは、自分の内側の問題の表れということが多い。

曇った日は、「悪い」日ではなく、単なる曇った日になる。
自分の光を輝き出させるほど、他人の中に光を見ることができる。


私たちは、外で何が起ころうと、こころの平和を選ぶことができる
こころの平和を選びたければ、「世間」の言う通りに行動する必要がないということが分かるようになる。
私たちは、「世間」がどれほど「正当な怒り」を守り、しがみつきをサポートしているかを知っています。

私たちは、ロボットのように行動する必要はない。
本質的に、誰も私たちを「幸せにしたり」「悲しく・寂しくさせたり」「怒らせたり」できないのです。
他人の振る舞いを変えようとすることは、操作であり、長い目で見ると決してうまくいかないのです。


私たちは互いに生徒であり、教師である
学びには序列はなく、おそらく子どもたちが一番の教師だと分かります(うん、そうだと思う
自分を知ろうとするプロセスを分かち合うことで学ぶことができる。
そして、学び成長するための人間関係を築くことができるのです。

階層のある、垂直構造ではなく「水平」なのです。
生徒と教師の役割を入れ替えることが、全体によい結果をもたらすことにつながる。
「間違い」「愚か」などと判断されないことが保障されています。


私たちは自分たちを分断された存在ではなく、一つの命としてとらえることができる
「分断」の感覚は、自分が傷つかないよう守るために築いた障壁の一つです。
大きな全体に気づければ、他の人たちが苦しんでいる葛藤に巻き込まれる必要はない。
私たちがやるべきことは、それぞれの状況に対して、これまでとは違う見方をし、
意味のないパターンにはまらないよう集中しつづけることなのです。
状況が起こるたび、こころを再訓練することで、意識をより高度の気づきにもっていきます。
私たちの焦点は広がり、変化し、ものごとを違う形で見られるようになるのです。


愛は永遠なので、死を怖れる必要はない
ある愛は続き、新たな形に入るだけだと考えれば、死への怖れを消すことができます。


どんな人も、愛を差し伸べているか、助けを求めているかの、どちらかととらえることができる
この原則は、人間関係の中で利用できる並外れたツールです。
何らかの理由で自分が攻撃されていると感じる場合には、防御するか、逃げるか、攻撃し返すかをしがち。
これは、自分を傷つけずに守る「条件反射」です。

ストレスが起こる瞬間に私たちに起こる反応について他人のせいにしない、ということ。
私たちが「自己防衛」をしなくなると、エネルギーに変化が起こり、「攻撃者」はそれを感じます。
新たな力動の余裕ができ、切迫感は続かなくなる。

まず、自分の考えの「パターン」について完全な責任をとることを選びます。
しっかりとした意識を持って、「今」に生きることは肝心です。
私たちは何が起きても対処できます。それが感情的、身体的、スピリチュアルな痛みであっても。

難しい状況になったら、私たちはただちに問題の焦点を変えることができると認識すること。
AHは、「やる気」「自覚」「率直さ」「実践」を必要とします。それだけです。
私たちに起こることはすべて、学びのため。そこから学びが決して止まらないよう、改めて選ぶことができるのです。


AHセンター 誕生からの歴史
ジェリーはカリフォルニア州で開業している、いろんなよいところを取り入れるタイプの精神科医でした。
「バイオフィードバック」「催眠療法」「リラクゼーション」など。専門は、学習障害を持つ子どもたちでした。

私の息子が失読症で苦しんでいた時、ジェリーに紹介されました。
私は1950年代にバークレーで心理学を学んでいましたが、今度は自分についての気づきを深めるものとして見るようになった。
人間の成長には限界がないことに気づいていった。

ジェリーは『奇跡についてのコース』という本を紹介され、深く感動した。
そして、地元の私立学校の低学年の健康な子どもたちを対象にした実験に参加を依頼し、快く受けてもらえた。
大人が1対1で子どもに対応し、指に装置をつけ、想像を働かせることで手の温度を上げ下げできるようにした。
これが目の前で難なく実際にできるのを見てワクワクした。

野球をしているブラッド少年は、緊張して試合にならない問題を抱えていた。
私たちは、彼にボールを高く打っている姿をイメージするようにした。
翌週、ホームランを打ったと報告があった。

実験の追跡調査をしてみたら、その効果は長く続いていた。

その後「癌の子どもたちと一緒に実験する」誘いを受けた。ジェリーは当時、死をとても怖れていた。
6名の子どもが選ばれた。

私と、ジェリー、パット、グロリアは、最初の集まりをもち、夕食の後、1分間ほど手を握った。これは今でも行われている習慣
私たちは順番に自分が怖れていることを私した。私は緑内障で失明することを怖れていた。
死についても話した。互いに打ち明けはじめると、私たちには何の違いもないと気づいた。

子どもたちは、とても怖いテーマについて、私よりはるかに直接的なやりかたで物事に対処していた。
深く気持ちを打ち明け合うことの何かが、他のなによりも人々をつなぐのです。
私たちが合意したのは、皆に役に立っている限りは続けようということ。

次第に、子どもたちが紹介されてくるようになった。
自分たちが対処しなければならない問題(「注射」「化学療法」その結果髪を失うことの心理的な影響など)について
別の対処をするようになった。

7歳のブライアンは、耳の癌でした。病院に行くと必ず全体が混乱する騒ぎが起きた。
職員はブライアンをとても怖れるようになった。1日のスケジュールが遅れてしまうから
私たちは、自分の気持ちを知るため「サイコドラマ形式」を使って4人が参加した。
「医師」と「患者」あとの2人は、それぞれの後ろに立って、「医師」と「患者」がウソをつくたび、
意識を思い出させる役をする。例:「これは痛くないよ」など(ウソなんだ・・・

これは、私たちが自分の本当の気持ちを早く知ることができる効果的な方法だった。
子どもたちとやったことで、他にとても重要だったのは、自分の気持ちを「絵に描く」よう励ましたことだった。
これは期待した以上のものを与えてくれた。これらの絵が他の子どもたち、医師、家族の役に立つと分かった。

私たちの本が完成しようとしていた時、グレッグ少年が亡くなった。
グレッグは「死というのは、天国に行って、そこにいる魂と一緒になることだと思う」と言った。
「多くの魂がこの世に下りてきて、誰かの守護天使になる。自分もそうなりたいんだ」と決めたのです。

死にかかっている子どもを、他の子どもが見舞うのは先例のないことでした。
ばい菌が伝染ると怖れられていたからです。
しかし、職員は、この方針を無視し、グレッグは亡くなる瞬間まで勇気について私たちに教えてくれました。
彼は偉大な教師でした。

グレッグの父は出版の仕事をしていたので、『雲のむこうに虹がある』が完成。
その後、『フィル・ドナヒュー・ショー』(アメリカで大人気だったテレビ番組)に出演を依頼され、
ジェリー、パット、私たちはシカゴに行き、大変な成功を収めた。

パット・テイラーは「私たちはサービスを有料にしようとは思いません・・・でも、寄付は決してお断りしません」と言った。
これがきっかけで寄付が殺到した。
私たちはまったくのボランティア組織だったため、法的にNPOになった。

最初から緑内障をもつ大人のグループもあった。
今(1987年)、センターには18の大人のグループがある。
「乳がん」「慢性疾患」「エイズ」「摂食行動」「パーソン・トゥー・パーソン(人間関係でAHを実行したい人)」。
3つは致命的な病の人たちのもので、4つは高齢者のもの(老人ホームで行われている)。

米国内には71のセンターができ、世界中にも広がった。
私たちは、年に4回、40~50人を対象に広範なトレーニングをしている。

AHの概念、原則は大昔からあるが、現在では分かりにくくなっている。
私たちは、「社会の法律」ではなく「愛の法律」を教えようとしています。


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【あとがき 水島広子】
ワークショップの醍醐味は、自らのデリケートな部分をさらけ出すことによってつながりを感じる部分にある。
私の本職は精神科医です。社会基盤を整えれば人のこころがもっと健康になるのではないかと考えて国会議員になったこともある。
でも、それらを支える根底に、AHが根付けば、何をするにもつきものの「怖れ」を違った角度から見れ、
病気になろうと、社会的に困窮しようと、人生をまったく別からとらえる選択肢があると気づけた。
(水島広子さんは、衆議院銀としては「児童虐待防止法の抜本改正」などを実現した。


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【感想メモ】
これまで、「人が死後の世界に持っていけるのは、富や名声などじゃなく経験だけだ」「人生は経験だ」と信じてきたので、
知識を学ぶことと、データベースに戻らないことは矛盾しないか?と最初は疑問に思った。
経験して、学ぶこと=たくさんのデータベースになって、「過去に囚われる」ほうに入るのか?と。

例えば、医者と患者の関係とか。
患者の話を聞いて、医者は、これまでのデータベースに基づいて診断・治療してるわけだし。
シャーロック・ホームズなんて、顔相やら、着ている服などを見て、一瞬でその人を的確に判断してるよね。まあ、小説だけど

たとえば「名言」類は?
それに、そもそもこの本を読んだ知識は?

これらをいったん頭から離して、人の話を聴く時は、それらのデータベースにこだわらずに聴くことだけに集中するって意味かな?
たしかに、データベースは便利で、自分を守る鎧になるもんね。

私は、子どもの頃からずっと母の愚痴を繰り返し聴かされるのが苦痛だった。本当に疲れるし
プラス、自分の本音、とくに「負の感情(怒りなど)」を話すことが出来なかった。
話すより前に、怒りや不満を無意識に無意識化してた。

それを「人間の本質は愛。自分のココロが今、平穏かどうか」だけを考えて、
アドバイスも、評価もなし(相手へも、自分へも)に話を聴けたら、さぞかしラクだろう。

それには訓練が必要だな。それも人間同士の。
私は、人の話を理解するのに時間がかかるし、完璧主義者だから学んだことを全部メモりたくなるしw
これも「怖れ」かな。現在じゃなく「忘れてしまったらイヤだ」っていう過去&未来になってるから。
私は、人の話の先を読んで、次どう返そうかと考えていたり、アドバイスも多々してきたし。
でも、そんな自分への悪い評価も要らないってことか。ひとつのプロセスなんだと。

集中して、意識しつつ、評価しないって難しいぞ。
「共感」はできるけど、「共鳴」(相手の感情や、周囲の状況に引っ張られること。同情も含む)は辛いの区別も、話を聴きながらだと難しい。

「聴く」ときは「今に集中して共感」し、「話す」ときは、相手のコメント、評価を気にしない+自分にも評価しない。
→傷つかずにすむ+穏やかなココロでいることを選ぶことができる

これまでの私と比べると、
「聴く」ときは、共鳴して相手の感情に引っ張られ、過去&未来のデータベースと照らし合わせて、アドバイスや評価をしていたから、疲れて、自己嫌悪のループになる
「話す」ときは、さらけ出しているつもりでも、否定されないよう+分かって欲しいと願って、防御して、結局理解してもらえないと絶望していた

人の話をそのまま聴く×評価せずに話すだけで、ぽかぽかと温かい感覚が持てる=愛ってことか?


その瞬間ごとに選ぶ=過去のイヤなことを忘れること?
そこから何か学んで成長してるのでは? 自分が辛くならなきゃ、それは成長になるのか。
何度も思い出しては不快になってループすることを手放せば、たしかにラクになる。生産的じゃないし。
それは相手のプロセスで、自分のものではないと切り離してとらえる。

身近で起こる困った状況に心身ごと巻き込まれないことが私の課題か。
→自分のことと結びつけてループしつづける+体調を崩している状態だから。

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