メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

ジュール・ヴェルヌ

2015-02-13 14:34:12 | 
ヴェルヌを知ったのはいつだったか。
ヴェルヌのお陰で冒険ものにハマったのか、それとも『ロビンソン・クルーソー』などの名作シリーズから知ったのか?

1冊ごとにとてもぶ厚いけれども、いったん読み始めたら止まらない
嵐の中を気球で飛び立つシーン、ノーチラス号の謎の多いネモ艦長、無人島での暮らし、、、
何冊かはネモ艦長つながりだから、全部読みたくなる。

昔、ディズニーランドのアトラクションにも、ヴェルヌもチラっと出てきて、
タイムマシンで未来を見たから、その後のSF小説に影響しているという件があった。

それほど、ヴェルヌ作品の中には、本当に未来を見て来たのでは?と思えるような、
現代科学の産物がいろいろと出てくるのもフシギ。

ヴェルヌの本は、エドゥアール・リウーほかの挿絵も大好き。
リアルなモノクロ線画で、作品の大冒険を読みながら、ちょっと分かりにくい時代背景や、雰囲気が挿絵で分かるし、
同時にそこから、自分の中で想像も膨らんで、一緒に冒険してハラハラドキドキさせてくれる。

だから、ヴェルヌを読んだ感想メモには、真似て描いたつたないイラストが入っていることが多いw
以下は、読んだ当時の感想メモの転記(読んだ時期は出版順ではないので前後しています


『地底旅行』(1864)

『海底二万海里』(1870)

『八十日間世界一周』(1873)(映画で鑑賞・未読

『神秘の島』(1875)

『十五少年漂流記』(『二年間の休暇』)(1888)

ヴェルヌ全集 9 『月世界旅行』 集英社

創元推理文庫 『月世界へ行く』 東京創元社

少年少女ベルヌ科学名作全集 10 『悪魔の発明』 学習研究社




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『地底旅行』(1864) ジュール・ヴェルヌ著(偕成社)

2015-02-13 14:11:19 | 
『地底旅行』(1864) ジュール・ヴェルヌ著(偕成社)
石川湧/訳 エドゥアール・リウー/挿絵
原題『地球の中心への旅』1864年初版、1993年第1刷、1997年第11刷


またまた大スケール、ミステリアス、大興奮の驚異の旅
無限に駆け巡るヴェルヌの驚くべき想像力の豊かさ、思わず納得させられる豊富な知識、
そして怒涛の如く一挙に読み手を引き込んで放さない文章力。

今作は、空、海底、無人島の旅にも劣らぬ地底の世界。地球の中心への旅。
今でも地核とマグマ、高熱の世界という説が常識とされているけれども、
以前、極から偶然、地底の別世界を見たという人も現れて、まんざら虚構だとも決めつけられないところがヴェルヌの魅力。
ちなみに、その話では、本書と違って、地底世界には巨人がいて、地上よりも高度な文明社会を築いていたそうな。

まるで地質学者のパラダイス。どんどん世紀、地球の生命の歴史を遡っていく様子は『ジェラシックパーク』。
目前で恐竜たちの大迫力ある戦いを見たり、漆黒の闇に迷ってしまったり、
旅に疑問を抱き続け、戸惑う甥の心境も、ついに火山噴火から押し出される。

クライマックスまでハラハラドキドキの連続。一気に2日で読みきってしまった。
地底世界はあるか? ないか? 本気で考えたくなるロマンあふれる傑作。



あらすじ(ネタバレ注意
風変わりで、いつも生徒に口たらずを笑われているマッドドクターそのままのリデンブロック教授は、
幾何学的文字、ルーン文字で書かれた掘り出し物の本に大興奮する。
そこから暗号の記された古い羊皮紙が落ち、食事も忘れて解読にかかる。

両親を早くに亡くして教授の助手をしている甥アクセルは、偶然裏から読むと

「大胆な旅行者よ。7月1日以前にスカルタリスの影がかすめるスネフェルスのヨクルの噴火口に下りよ。
 しからば汝は地球の中心に到達すべし。余はそれをなせり」アルネ・サクヌッセンム

甥の悪い予感通り、即、地底への大冒険旅行に出かけると言い出す教授。
元孤児の養女で、婚約者のグラウベン嬢までが勧める。
「学者の甥にふさわし旅行よ。男はなにか立派な仕事をして人に優れるのがいいんだわ」

悪夢にうなされながら、とうとう船でアイスランドに向かい、途中、尖塔にのぼって高所訓練まで受ける。
アイスランドで泊めてくれた主人にアルネのことを聞くと、異端者だと迫害され、著作をすべて焼かれたという
秘密厳守と言いつつ、興奮して自ら喋ってしまう教授が可笑しい。

後々、命の恩人にまでなる最高の案内人で、力強く、無口で、頼りになる男ハンスに連れられて、
馬でアイスランドを渡り、貧しい宿屋を転々として、とうとうスネッフェルス死火山に登る。

火口にはアルネの石刻み文字が
3人は火口の底へロープで下り、翌日から地底への旅を開始する。



水中でも引火しやすい気体中でも安全に光を放つルームコルフ装置で照らしながら行くと、二手に分かれていて、運を天に任せて右へ行く。
途中から登りとなり、水が欠乏。その道は行き止まり。朦朧とするアクセルに教授は最後の水を飲ませる。

「分かるかね? 最後の水だ。私はそれを飲みたい欲望に20回も100回も抵抗したのだ。
 いや、お前のためにとっておいたのだよ、アクセル」

分かれ道まで戻り、左を行き、アクセルは歩けなくなり万事休すが、ハンスは岩の奥に流れる激流を探し当て、
岩を削って鉄分を含んだ熱湯を飲み、「ハンス川」と名付けて、道しるべとする。

1mごとに数度上昇する「地熱説」はくだかれ、32度で、もう3000mもの深淵。
大気は濃いため、酸素は十分、音伝導がよく、遠くの音もよく聞こえる。
気圧も地表が最大で、地球の中心は無重力だという。ゆっくり下るので体を徐々に慣れてゆく。


外界の刺激が少ないため、言葉少なくなり、アクセルは小川道を外れて迷ってしまう
ライトも壊れ、極限状態でパニックを起こす。
4日間もそんな状態で、とうとう教授の声が聞こえ、声の届く時間で距離を計算し、同じ広間にたどり着いて再会する。

着いたのは海!
「リデンブロック海」と名付け、植物の化石で筏を作り、翌日出発。
巨大化したキノコの森、堆積岩のつらなるだけの不気味な岸壁、
天井も岩だろうが白い光を帯びた空に雲がかかったニセモノの空。

港は「グラウベン港」と名付けて航海を開始。
地底の深さは計り知れない。しかも位置は大西洋の真下。
化石でしか見られない原始の魚が釣れたり、半分朦朧と熱くなった頭でどんどん進む。


恐竜時代から植物時代、海に包まれた時代から、地球になるまでのガス星雲にまで遡るアクセルの想像に飲みこまれていく。
魚竜と首長竜との戦い
巨大ワニとネッシーみたいな絵が互いに首を咬んでいる様子が凄い。




潮を吹く巨大クジラに見えたのは、実は間欠泉を上げる島で「アクセル島」と名付ける。
次は嵐。天地創造シーンに居合わせたような大波、大轟音、電気の放出、磁気を帯びた青い玉は何だったのか!?
暗礁に乗り上げ、北の岸に着いたと思って羅針盤を見たら南。絶望的にも出発点に戻っていた!

「自然は私に陰謀を企んでいる。負けんぞ。人間が勝つか、自然が勝つか、今に分かる!」

筏に乗る前あたりを探検したお陰で、300年前の人骨を発見!
白人で大きさも形も現代人と同じ。思わず架空の生徒に演説をうつ教授。

その奥では巨大象マストドンの群れと戦う巨人族を見て、逃げる2人。
ローマ神話の引用が印象的。

「恐ろしき獣の群れの番人にして、みずからはなお恐ろしき姿なり!」

その上、錆びた短剣と、トンネルの入り口にアルネのサインを発見!
が、その前は巨大岩でふさがれ、興奮したアクセルは、火薬で吹き飛ばす計画を思いつく
爆発が大きすぎて海水が流れ込み、筏ごと急降下!

食糧も1日分を残してすべて流されて絶体絶命。
唯一のチャンスは噴火口を通り、筏ごと登り、一緒に押し出されること。
どこでも、どんな状況でも、先を読み、冷静で学者根性を失わない教授の決心で、最後の食事をとり、炉の中のような暑さを抜け、
ついに出たのは、なんと地中海に浮かぶ諸島の活火山の火口だった。


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早く、他の作品にも触れてみたい。
映画と原作がかなりかけ離れているケースも十分考えられるから、原作を読めば新たな発見と感動があるかも。
タイトルの中では、月旅行や、砂漠のが面白そう。

やっぱり旅シリーズが一番だと思うけど、それ以外のヴェルヌの小説も面白いのかな?
彼ほどミステリアスな旅を実現させてくれる人はいないからね。


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『臨場 劇場版』(2012)

2015-02-13 13:45:18 | 映画
『臨場 劇場版』(2012)
原作:横山秀夫 監督:橋本一 脚本:尾西兼一
出演:
【警視庁刑事部鑑識課】
倉石義男(検視官):内野聖陽
倉石雪絵(倉石の亡妻):京野ことみ(写真)
小坂留美(検視官心得):松下由樹
永嶋武文(検視補助官):平山浩行

【警視庁刑事部】
立原真澄(捜査一課 管理官):高嶋政伸

【神奈川県警察】
仲根達郎(刑事部捜査一課 管理官):段田安則

浦部翔太(浦部の息子):外波山流太
浦部謙作(地域課 駐在所勤務):平田満

【通り魔事件の関係者】
関本好美(被害者):前田希美
関本直子(好美の母親):若村麻由美

波多野進(通り魔事件の犯人):柄本佑

安永泰三(横浜医大法医学教室教授・倉石の恩師):長塚京三
高村則夫(波多野の弁護人):菅原大吉
加古川有三(波多野の精神鑑定を行った精神科医):デビット伊東
ほか

trailer

ドラマ版を観てないけど、劇場版がテレビでOAされたので観てみた。
内野聖陽さんと言えば、ドラマ『JIN~仁』の坂本龍馬役のイメージしかなくて、
その後、現代劇を観た時に違和感を感じたまま
このシリーズでも熱い男を演じているのね。セリフ回しに若干、昭和な雰囲気を感じたのは私だけ?w

ドラマ『JIN~仁』全11話(2009)
内野聖陽さんがゲスト@あさイチ

 

検視官は、変死体の状況捜査をする鑑識課の警官。
哲さんが『ATARU』で演ってた鑑識課・科捜研とどう違うのか、なんで同じ警察官なのに捜査に加わっちゃいけないのか、
組織ってフシギなことがたくさんあるんだ。

story(ネタバレ注意
平和な街中にバスが突っ込み、中から血まみれの男・ハタノが出てきて無差別殺人を起こす。
バス内で2名、外で2名が死亡。
しかし、刑法39条によって無罪となり、警察内の病院に送られた。
被害者ヨシミの母ナオコは「人を殺して、なぜ無罪なんですか? おかしいじゃないですか?」とハタノを激しく憎む。




2年後。
精神科医・加古川の変死体を見た検視官・倉石は、弁護士・高村の遺体検死結果との共通点を見つける。
(コンパスを使って傷の確認とかしても、現場検証はしちゃいけないの?

2人とも刃物による出血多量死。推定時刻は昨夜6~8時と出たが、肝臓の温度(!)からは8~10時と推定。
動脈を狙って刺していて、素人の犯行とは思えない。

この2人が2年前の事件に関わっていたことが分かり、東京と神奈川の合同捜査となるが、なかなか足並みが揃わない。
被害者の3回忌合同法要に倉石も出席すると、ナオコが追ってくる。

「2年経ってもまだ分からないんです。娘があすこに行く理由がない。
 みんな事件のことをなかったかのように忘れている。
 私の育て方が間違っていたのか、と思うと生きるのが辛い。そんなことの繰り返し。

 それもみんなアイツのせい。アイツは今も生きている。責任能力って何ですか?
 なぜアイツは保護されて生きてるんですか? 病気なら人を殺してもいいんですか?
 結局、みんな分かってくれないんです。教えて下さいヨシミの最期の声を。
 私が生きていけるような言葉をちょうだい

ナオコら被害者家族の復讐殺人では?と疑う神奈川県警察・仲根達郎刑事に
倉石「死体を細工するような人間が遺族にいるワケないだろ? 2人に恨みを持つ人間が他にいるのでは?」

8年前、女性が殺され、浦部翔太という容疑者が逮捕され、仲根の執拗な取調べで自白し、
公判中に拘置所で首吊り自殺した。その後、真犯人が逮捕され、翔太は無実と分かった。
彼の父・謙作は警官で、事件後も辞めずに、町の交番勤務を続けていた。倉石が訪ねると、

謙作「警官を続けているのは、息子の精神鑑定を許した自分への罰だ」と言う。


ハタノがヨシミの墓参りをしたいと申し出て、それを受諾した夫にもあたるナオコ。夫婦仲も最悪に。

倉石は、恩師で、横浜医大法医学教室教授・安永泰三を訪ねる。
彼は外科医だった頃、忙しかったため、妻がこころの病に罹っていたのを知りながら助けられなかった。
妻は手首を切って自死。妊娠していたことが後で分かった。
「私は死にたくない!」という叫びを聞いてあげられなかった後悔に今も苛まれている。



倉石が倒れて緊急入院し、かけつけた小坂(倉石の部下)らは、
以前から気になっていた被害者のスーツのシミがお茶ではないと気づく。


行動を監視していた浦部が消えた。
「これから(墓参りに外出する)ハタノを殺す。40年間沈黙してきた私の復讐だ」

 

倉石も病院を飛び出し、浦部に撃たれて負傷したハタノが逃げ込んだ教会に向かう。
そこには安永もいた。

安永は末期がんで余命半年と告げられていた。倉石も同じ病。

安永「私は残りの人生をどうするか、この歳になっても分からない。
   あの裁判の時、ハタノが笑ったのを見た。アイツは正気だったんじゃないか。「詐病」=病気のふりをすること。
   加古川に聞きに行くと“精神鑑定などは十人十色だと思っています”、弁護士も同様に軽い態度。
  (加古川は有名事件をスクラップして集めていて)2人は自分の利益、権威、金銭を優先していたんだ

倉石「オレのとは違うなあ。もの言わぬ死者の声に静かに耳を傾けると教えてくれたのはあんたのお陰だ。
   だが今は死ぬのが怖くてあがいてるくだらねえ男にしか見えねえ。
   オレはあの世からお迎えが来るまで精一杯生き続ける。罵られようが関係ねえ。
   ユキエ(亡くなった妻)とまた会えたら、お前の分まで生きたぞ、どうだ!って言う」


倉石はナオコに会う。
「オレは人を救うことなんてできるワケがねえ。ただ、この町のどこかに娘さんの最期の言葉が残されているのかもしれねえなあ」




************************************

小坂「人はそんなにカンタンに人殺しができるものじゃありません」てセリフがあった。

以前、母と一緒にこういった悲惨なニュースを見ていた時、
母が「もし自分の子どもがこんな目に遭ったら、絶対、犯人を殺してやる」って断言してて、背筋が寒くなった

私には子どもがいないから実際の気持ちは想像できない。
でも、子どもを産んだ母親の気持ち、一生懸命育てた父親の気持ちってそんなに強い憎しみに変わるものか?

私は、たとえなにかの犠牲者側になっても復讐してくれなんて絶対望まない。
体はなくなっても、魂は生き続けて、命は巡り、死後の世界も、現世に負けず劣らず素晴らしいと信じているから。

死への恐怖は人それぞれ。
その時になってみなきゃ自分にも分からない。
残された側の喪失感は想像を絶するけれども、
唯一分かるのは、復讐心は誰もハッピーになれないってことだな。


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AH入門ワークショップ

2015-02-13 11:32:48 | 日記
最近読んだ『怖れを手放す』に載ってた入門ワークショップに行ってみた。
当然、他人のプライベートな話は守秘義務があるから書かないけど、
ワークがどんな感じだったか、自分の感想メモとして書いておこうと思う。
進行の順序やらは本に書いてあった通り。

『怖れを手放す』(星和書店) (その1)
『怖れを手放す』(星和書店) (その2)
『愛とは、怖れを手ばなすこと』(サンマーク文庫)

普段、用事のない麻布十番。
「駅から8分」とはいえ、こういう表記って短く書いてあることが多いから、
時間が余ったらランチの場所を探したりして時間を潰せばいっかと思っていたら、
けっこう早く着いてしまった←すでに完璧主義を発揮

コーヒーショップでちょっと腹ごしらえをして、会場となるビルに行ったら、
けっこう狭くて、急な階段を上がったところの3階。


【午前の部】
部屋の中は、ちょっとした植木が置いてあるベランダがあったり、窓が多くて、
円形に並べられたイスがあり、奥はいろいろな飲み物が自由に飲める

スタッフさん(ファシリテーター)は2人。
1人はお茶の番をしてるけど、やっぱり何か学んだり、様子を見たりしてるのかなあ?
もう1人は、円の中に加わって、10時~16時まで、説明をして、進行係を務める。

今回集まったのは全員女性。意外と珍しいことだという。首からニックネームの札をさげて座る。
午前中は、『怖れを手放す』の本に書いてある原則を読んだりして、質問もできるし、より理解を深める時間。
午後からは、早速、AHの本題である「話を聴く」レッスン

途中、11時20分くらいで1回休憩(10分ほど)が入って、ランチは12時30分から1時間。
その間、守秘義務を守り+評価やアドバイスをしないっていう原則にのっとって、話した内容に触れないって約束事を守るんだけど、
なんだか裁判員制度みたいで、何を喋っていいのか、喋っちゃいけないのか分からなくて、皆苦笑

あらかじめ目をつけてた和食屋さんの話をしたら、皆そこにしようってことになって、みんなでランチになった。
こうして、女性グループで食事するのってどれだけぶり???
いろんな和洋惣菜を選べて、混ぜご飯、鶏のスープがついたランチセットは美味しかったv


【午後の部】
話したくなった人から、1人5分ずつ自由に話していく。
自分で話す時は泣いてしまい、5分て長いのでは?と思っていたのに、実際は「え、もう?!」てほど短く感じた/驚

話した後に1枚カードを引いて、そこに書かれているAHの言葉を読んで思ったことを言う。
私は「世界をバラバラなものとして見ない~」だっけ?
みんな1つだと普段は思っているのに意外だった。逆説的ななにか???

みんな1回ずつ話して1周終わり。

今回は、キャンセルされた方が3人いて、いつも10人でやるから、2回話す人が3人必要とのこと。
「2回目のほうが正直に話せたという方が多いので、ぜひ」と言うので、2回話してみた。

今度引いたカードは「怖れるものは何もない」だったっけ? じゃあ、まだ怖れを抱いて生活してるってことか?
みんなリンク度が高かったようだけど、私はピンと来なかったなあ。
理解度が低いのか?と思ったが、それも自分への評価だとすると・・・考えるほど頭が混乱してくる


でも、今日は「聴く」ほうがメインの練習。
相手の話を聴きながら、アドバイスもせず、評価もコメントもしない。
頭の中で「こうすればいいのに」「自分と同じだ」とかも考えずに人の話を聴くって難しい。

「アドバイス」っていうのは傷つくこともある。
本にもある通り「こうすればいい」は、「現状否定」が前提のため。
悩んですでに十分傷ついているのに、相談したらさらに否定された感じがして余計悲しくなる
それは自分でも経験があるから分かる。

だけど、私は正直、他の人の悩み事を聴くのが辛くて、苦しくなって、発作が出るかと思った
いろんな立場の人が集まって、共通の部分もあるからつい共感したり同情してしまうのは人の自然な感情。
でも、「この人は大丈夫っていう“そこはかとない安心感で聴く”」っていうのが出来ない。

どれも映画みたいに映像が浮かんできて、たて続けに悲しい映画を観ている感じで、
手に汗をかいて、何度かクスリを飲もうか、いったん退室しようかと思いながら、なんとか最後まで聴いた。
AHは、実践するのはかなり難しいなあ。いや、これが今の自分のプロセスってことなのか。

「まあ、今日は60%の実感を目指して、くれぐれも完璧主義にならないでください」とは言われたものの、
「こんなんでいいんだろうか?」て自分にも何度も評価を下していることにも気づいたし、
周囲や自分の中のたくさんの「怖れ」にも気づいた。

自分の中の「怖れ」に気づくこと自体が、もう十分に怖いじゃないか?!
それを「自分は内外の刺激によって傷つかない」と思い込もうとしても、
思いっきり話に引きずられている自分がいる。これが私の課題なのかなあ・・・


でも、皆それぞれ得たものがあったようで、穏やかな雰囲気のままワークは終了

なんと、この日はジェリーさん(AH創設者。今年で90歳)のお誕生日ということで、
みんなで写真を撮って、送ろうってことになって、お祝いした。Happy Birthday!!!


そのまま残っている人もいたり、早く帰る人もいて、私も外に出たら、
いつもなら重い話をした後は、ぐったり疲れるのに、体感的な疲れはない感じ。
でも、最近、人と話すこと自体少ないから、疲れてるだろうと思って、
家に帰ってゆっくり半身浴をして、早めに寝た

AHの目指す「ぽかぽかした温かい気持ち」になれたかどうかも、まだよく分からない。
これから、何度も実践して、時間が経てば、それなりに実感するものなのかなぁ?


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