メランコリア

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戦後70年 ニッポンの肖像-日本人と象徴天皇-

2015-06-18 13:54:38 | テレビ・動画配信
戦後70年 ニッポンの肖像-日本人と象徴天皇-
第1回は見逃してしまったから、第2回から内容抜粋メモ。

【第2回 平和を願い続けて】


「もはや戦後ではない」「明日は今日より豊かになる」と言われた時代。

天皇が忘れてはならないと誓う4つの日
 

 

「“象徴”とは、どうあるべきか、いつも私の念頭を離れず、
 そののぞましいあり方を求めて今日に至っている」


婚約による「ミッチーブーム」で日本中が沸いた。皇室は経済の豊かさの象徴でもあった。


「東京オリンピック」で、国内外に“奇跡の復興”を示した。

一方、「沖縄」には「ベトナム戦争」に爆撃機を送り続ける米軍基地が残り、
「祖国復帰」「基地をなくそう」という運動が広がっていた。

 

【ブログ内関連記事】
『写真が語るベトナム戦争』(あすなろ書房)
もっと沖縄を知りたい(後編)@あさイチ

家族全員を沖縄戦で亡くした新垣さん。こんなに墓碑がたくさんあるんだね/驚
 

平和の礎

沖縄戦では18万人が死亡。住民の4人に1人。「ナパーム弾」の様子も出た。
 




皇太子は、沖縄での展覧会訪問前にたくさんの本を読んで勉強したという。



1972 沖縄復帰記念式典
沖縄は、戦後27年ぶりに復帰したが、基地のほとんどは残されたまま。
 

最初に訪問された「ひめゆりの塔」では、反対する地元の青年が火炎ビンを投げつけた。
 



「どうしてあの戦争は起きたのか、ずっと考えていたのではないか? 語り継ぐことを自分に課しているのでは」


「GNPが世界第2位」となった日本
戦後生まれの若者が人口の半数になった。

戦後初、昭和天皇はヨーロッパを訪問した。


 

各地で歓迎される一方、オランダでは激しい反発を受けた。
戦時中、多くの兵士や民間人が捕虜になり亡くなったため。

 

 

 




4年後 アメリカ訪問


「アメリカ人はパールハーバーを忘れてはいない」という世論が起こり、
政府は、訪米前にアメリカのメディアにインタビューを許可した。

 
「相互理解が不十分だった。今後は話し合いで平和的に進めたい」

全米6都市で歓迎された。
晩餐会でのスピーチにおいて「一番大事なのは、戦争をどう表現するかだった」。

 

「昭和天皇の名前で宣戦布告された戦争を、本当の意味で終わらせる。昭和天皇でなければ出来ないことを成し遂げた」


1978 国交正常化した中国を訪問
 
指導者と初対面した


1984 かつて日本の植民地だった韓国を訪問
 
大統領と初の会談が行われた

1985 当時の中曽根首相が靖国神社を公式参拝
 

靖国神社は、明治天皇が建て、日本のために戦死した者を祀っているが、
「東京裁判」で裁かれた14人のA級戦犯も合祀しているため批判も多い。

 

昭和天皇の歌を指導していた岡野弘彦さん
 

中曽根元首相

「国民的にも大事な仕事だった。遺族もそれを願っていた。だが、それを実行することはとても難しい問題だった」

1975年以来、昭和天皇は参拝していない。


昭和天皇は沖縄訪問も果たせなかった。
国体の開会式に出席する予定が、入院で中止となり、急遽、皇太子が訪問。

 

 
本当に住宅スレスレを爆撃機が飛ぶんだなあ

 




1988 戦没者追悼式
 
国民の前に見せた最後の姿

 

 
「『サンフランシスコ平和条約』のために靖国参拝ができなかった」

「昭和天皇の前半生は戦争の時代、後半生は平和の時代。どちらも戦った天皇だった。“象徴”となったゆえに背負うものが大きくなった」



平成~冷戦終結
今上天皇は55歳で即位。昭和天皇との大きな違いは、国民との距離の近さだった。

1991 雲仙普賢岳噴火
被災地を訪問の際、膝をついて話しかけることは昭和時代には考えられないことだった。


1992 マレーシア訪問


1992 中国を訪問
抗議活動もあった。スピーチでは「中国国民に与えた深い悲しみ」と語った。

 

 

 



2005 サイパンを訪問


2011 東日本大震災被災地を訪問


2014 沖縄の訪問を果たす



“象徴”の中立性を作り上げた今上天皇
「“天皇が忘れてはならないと誓う4つの日”とは、いずれも非戦闘員が大勢亡くなった日
 過去→現在→未来を常に試行錯誤されている。
 今上天皇は、『日本国憲法』の申し子でもあるため、未来の方向性を模索しているのではないか」


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大河ドラマ『花燃ゆ』 第24回「母になるために」

2015-06-18 12:46:24 | ドラマ
大河ドラマ『花燃ゆ』
脚本:大島里美、宮村優子
出演:井上真央、大沢たかお、原田泰造、優香、長塚京三、檀ふみ、内藤剛志、北大路欣也、
高良健吾、東出昌大、瀬戸康史、劇団ひとり、佐藤隆太、要潤 ほか


第24回「母になるために」あらすじ(ネタバレあり
前原に奇兵隊の飯炊きを頼まれる文。フサやスミらも合流し、トシとも再会する。
落ち延びた七卿の三条実美は、京を懐かしみ「八橋が食べたい」などと言う。

その頃、長州藩は、真っ二つに分かれて議論していた。

「進発派」処分の撤回を求めて上洛しようとする。
「割拠派」長州で実力を蓄え、時を待とうとする。

来島又兵衛は、久坂と周布に責任をとらせようと詰め寄る


伊之助の次男・久米次郎を養子に出す条件として、「父としての務めを果してくれ」と言う。
文になにも言わず、京へ発つ久坂に、「まだケンカもしとらんのに。いつも、なぜにそげに勝手な・・・」

伊之助「口には出さんが、久坂は誰より悔しいはず。京では上洛禁止令が出ている。
    お前の顔を見たら決心が鈍ると思ったのだろう」


高杉晋作は「進発派」だが、周布から「進発派」の来島を止めろと命令される。
その頃、奇兵隊のほかにも「諸隊」が活動をはじめていた。

 
「諸隊」の中でも有力な「遊撃隊」の隊長・来島(スクールウォーズだっ

吉田稔麿「高杉さんに説得はムリじゃ。京に行きませんか?」

稔麿は、妹フサに別れを告げる。
「もしオレに何かあったら、お前が婿をとって家を継いでくれ」と武士の証明書?を渡す。



三条実美「鴨川のせせらぎが聞こえんと眠れん。ここは京とはまるで違う。戻らな。たとえ戦の炎で焼こうとも」
(郷愁を覚えながら、そこを戦場にしようって、なんて矛盾・・・




京では、久坂が、長州藩士を取り締まる「新選組」の沖田総司(賀来賢人/『花子とアン』の吉太郎さんだ!)と出くわす。

沖田「ひときわ背の高い美男子は久坂」

そこに高杉らが現れ、銃で脅して逃げる。

高杉「上っ面の進発派も、割拠派もムダじゃ。時を見極め、オレたちが立つ! 藩も朝廷もオレが動かす!」
(脱藩してきたって言ったけど、後の説明だと、久坂に意見を求めるために港を出たのを誤解されたってゆってたね

入江「私は、そのための人を育てます」
吉田「私は、表舞台には向いていない。京をかけ巡り、情報を集めます」
久坂「オレは・・・」
吉田「久坂さんは、どげな武士より武士じゃ!」


久坂が京に行く前、手を振り払ってしまったことを悔やみ、伊之助に話す文。
文「久米次郎を養子にするのもイヤなんです。あの人がおらんくなることを認めてしまうようで」

伊之助「久坂と寅次郎は似ているが、1つだけ大きく違うのは、久坂には守る者がある。
    そげな男の志こそ、より強くて熱い。そのために養子を引き受けた。久坂に生きてもらうためだ。
    父になった久坂、母になったお前を見てみたい。兄として」

久米次郎を養子に出すことに断固反対している寿のもとに文が来て、改めて養子に欲しいと頼む。

寿「篤太郎(長男)は旦那様に似て賢いが、久米次郎に甘えられて、私は初めて母として嬉しかった。
  実は、文が産まれる前、ツヤという妹がいたが、幼くして亡くなったため、父母は文を一層大事に育てた。
  私はずっと自分の居場所を探していたんです

文「初めて光が見えたんです。生きるためと兄上に言われて。寅兄を失って、あげな思いはもうイヤや。
  いつか久坂と久米次郎と3人で暮らす夢を見てしまいました。必ず立派に育て上げます。
  どうか久米次郎の母にならしてつかあさい」

寿「強い母になる人が、こげな事で泣いては困ります」



文が行った後、伊之助は寿に言う。
「言うてくれ。今みたいに抱えていることはみな。オレだってお前が必要なんじゃ」


久坂から文に手紙と、京の着物が届く。
「オレはもう逃げん。お前からも、己からも。お前と久米次郎を守るために」


周布は伊之助に「お前は高杉脱藩の責任をとって長崎へ行け」と藩令を告げられる。
高杉は戻り次第、野山獄行き(また出た!

椋梨が「高杉、小田村、久坂らに政を任せていたら長州は滅びる」と言うのを聞く文。



 

 


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