メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 下 1901-2006年』(あすなろ書房)vol.1

2016-02-06 15:39:14 | 
『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 下 1901-2006年』(あすなろ書房)
ハワード・ジン/著 レベッカ・ステフォフ/編著 鳥見真生/訳

学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 上(1492-1901年)(あすなろ書房)

上巻では、コロンブスがアメリカ大陸に足の乗せた瞬間から
ネイティヴ・アメリカンの大虐殺が始まり、
その後も“インディアン”“黒人”“女性”たちへの「人種差別」が受け継がれていったことを学んだ。

下巻では、アメリカがどれだけ巧みに国民を騙しながら戦争を生み出していったかが語られてゆく。
「第二次世界大戦」と、未だに暗い影を残す「ベトナム戦争」を経てなお、
“愛国心”と“資本主義”が戦争を支持していることに驚く。

国はもはや政治家ではなく、巨大企業に乗っとられ、貧困の格差、戦争は永久になくならないのでは?と思われるが、
1970年代に湧き上がった「ストライキ」「シットイン」など、最初は勇気ある少数の行動が、やがて全国に広がり、
国、政治家、大企業に頼らずとも、自助力、結び合い、助け合うことで、大きな力と戦う歴史からなにか学べるかもしれない。

けれども、アメリカも、その下にある日本も、まだまだ「お金」「数%の富裕層」の力、歪んだ歴史書の中にいる。
この2冊の本が、子どもたちの教育に普通に取り入れられるようになれば、なにか変わるだろうか?



【内容抜粋メモ】(誤字脱字、メモに誤りがあったらすみません/謝

アメリカスペイン戦争後、無政府主義&女性解放論者エマ・ゴールドマンいわく
この戦争の原因は砂糖の値段だった。アメリカ人の命、血、金は、アメリカの資本家の利権を守るために使われていたのだ」

『野生の呼び声』を書いたジャック・ロンドンは、『ジャングル』の中で、シカゴの生肉業界のショッキングな実態を曝露し、
アメリカ政府は生肉業界を規制する法を定めた(また今の日本とリンクした

「マックレイカー」と呼ばれるジャーナリスト、作家らも政治の腐敗ぶりを暴いた。

企業は、さらに生産性をあげ、金儲けするため、工程をいくつもの単純作業に分ける「分業」を編み出した。
これなら職人を雇わずに済み、機械同様、ヒトも交換可能となり、個性、人間性は奪われた。

NYの大勢の移民は「スウェットショップ」(縫製工場、搾取の象徴)で「出来高払い」で働いていた。
1909 女子工員がストに入った。そこで火事が起き、雇用主により違法に施錠されていたため、若い女性工員146人が死んだ。

「労働運動」はますます盛んになり、メンバーは熟練労働者の白人男性で、黒人は加入できなかった。

「AFL(アメリカ労働総同盟)」は“グーン”という用心棒軍団にガードさせ、批判的な組合員を痛めつけていた。

新しいタイプの「IWW(世界産業労働組合)」が結成された。組合員は“ウォブリー”と呼ばれ、暴力には暴力で応じた。
「労働者が1人殺されたら警官を1人殺す」と言った。

IWW組織者の多くは無職者か、季節労働者だった。ジョー・ヒルもその1人。
貧困者を見て見ぬふりをする教会に対して、歌った。

♪働きなさい 祈りなさい 干草を糧にして
 死んだら食べられますとも 天国でパイを

ヒルは食料品店の店主を殺した罪で逮捕された。証拠はなかったが、銃殺刑となった。

「アナルコ・サンディカリズム」は、経済システムを停止させて権力を握ろうというものだった。



アメリカの「社会主義」は、ユダヤ人、ドイツ系民からスタートした。
1901 アメリカ社会党が生まれた。

多くの女性は社会の変革より「参政権」を得ることに関心があった。

社会主義者のヘレン・ケラーは、言った。
「この国の民主主義は名ばかりです。似たり寄ったりの候補者2人のどちらかから選ぶしかないのだから」

貧しい黒人女性は言った。
「職場で辛い目に遭い、家では黒人の男から虐待されています。奴隷扱いなのです!」

1905 W.E.B.デュボイスにより「ナイアガラ運動」がはじまり、
5年後、「NAACP(全米黒人地位向上協会)」が結成されるが、白人手動だった。

歴史書でいう20C初頭の「革新主義時代」
理由は、食品や医薬品の安全確保などの新しい法が制定されたから。

第26代ローズベルト大統領は「トラスト破壊者」として名を売っていた。
みな変化を嫌い、権力・資産の現状維持を気にかける「保守派」だった。

社会党は躍進。

1913 コロラドの炭坑ストは暴力的な「階級闘争」となった。
州知事は鎮圧のために州兵を出し、ロックフェラー家が費用を負担
1914 ストに参加していた女性と子ども13人の死体が見つかる。当局側は誰も罪に問われなかった。


************第一次世界大戦(1914~1918)はアメリカを潤わせた

第一次世界大戦は、ドイツvsフランス+イギリス連合軍の戦い。
社会主義者はこの戦争を「帝国主義戦争」と呼んだ。
フランスとドイツが、東欧、中東の勢力範囲をめぐって戦い、開戦後3ヶ月で、イギリス陸軍兵士の大半が死んだが、
国民に正確な死傷者数は知らされなかった。

毎日1000人単位で死んだのに「西部戦線異状なし」と言われ、
後に作家レマルクは小説に書いた(映画化もされたね

1917 アメリカが参戦 北大西洋の航行権問題が理由。
イギリスのルシタニア号が沈没し1200人が死んだ。客船と主張されたが実は武装していて、弾薬輸送中だった。

ヨーロッパでの戦争は、アメリカ経済を潤わせた。連邦議会はドイツに宣戦布告
志願者が足りず、議会は男性を強制的に入隊させる「徴兵制」を認める。

「スパイ法」が制定され、戦争反対者を弾圧、投獄した。
社会主義者チャールズ・シェンクは言論・出版の自由を主張したが、最高裁は有罪とした。

社会主義のリーダー、ユージン・デブスの事件も最高裁にもちこまれた。
「有史以来、戦争は征服と掠奪が目的だった。支配階級はつねに宣戦布告をし、実戦に駆り出されるのはいつも支配されている者なのだ」
デブスは禁固10年を宣告された。

出版界も政府と組んで、ひと役買った。
男たちは「アメリカ自警団」に入り、戦争反対演説を阻止した。
「広報委員会」は、互いに隣人の様子を監視させた。
司法省は「アメリカ護国連盟」の後ろ盾となった。メンバーは銀行家、産業界のリーダー。

なぜここまでしたのか? 理由は国民が戦争を拒否したから。「徴兵忌避者」が33万人以上もいた。

IWWはこう書いた。
「アメリカの資本家よ、我々は諸君のために戦うつもりはない! これは事業家のための戦争ではないのか」
IWWメンバーは有罪とされ、事実上潰された。

1918 終戦 5万人以上のアメリカ兵が死んだ。
議会は「エイリアン(移民)は国外追放できる」という法を制定した。

NYのFBIにアンドレア・サルセドという無政府主義者が2ヶ月監禁され、死体で見つかり自殺とされた。
その後、友人も逮捕された。映画『死刑台のメロディ』の題材とされた


************狂乱の1920年代、大恐慌

1919 インフルエンザが世界中で猛威を奮った。シアトルの造船所労働者がストに入る。
参加者たちは、各家庭に牛乳を届けたりして5日間平和に続いたが、当局は39人のIWWメンバーを投獄した。

「ゼネスト」
ゼネラル・ストライキ(general strike)とは、労働者が団結して行う労働争議の一形態で、
一企業や組織によるストライキではなく全国的な規模で行われるストライキのこと。

当局側は「ゼネスト」に脅かされた。時代は、王を退位させた「ロシア革命(1917)」など変革の時を迎えていた。

1920年代は、“ジャズエイジ”と呼ばれ、繁栄の時代と思われている。
しかし、富の大部分はピラミッドの頂点にいる少数者に限られた。

移民が増え、白人は優遇されたが、東欧のラテン系、スラブ系、ユダヤ系には厳しい入国制限が課せられた。

「KKK(クー・クラックス・クラン)」が復活。

1920 ついに女性は参政権を勝ち取ったが、上流・中産階級に限られ、変わらない政党を支持し続けた。

国内に「共産党」が成立。
株価はかつてない高値になった。

1929 株式市場が大暴落
銀行も投資していたため、人々は預金をおろせなくなり、かつてない経済危機となる。
5000以上の銀行が閉鎖され、何千という会社が倒産。
国内には何百万トンの食料があったが、輸送して売っても利益にならないため放置され、飢餓となり、空き家が増えた。

シカゴでは、ボロをまとい、頬のこけた500人の生徒が、学校給食を求めて行進した。
第一次世界大戦の退役軍人は、職、金も失った。
大統領フーバーは彼らを排除せよと軍に命じた。

1932 フランクリン・D.ローズベルト大統領が「ニューディール(新規まき直し)」政策を打ち出す。
「全国産業復興法」を定めるが、2年後、裁判所は憲法違反とした。

人々は「自助行為」に出るしかなかった。
漁師、農家、材木業者の間で、物々交換が行われた(近隣での助け合いが一番いいんじゃない?
人々は、必要なものは自分たちで賄えると気づいた。

「座り込みストライキ」など、アメリカ最大のストライキが決行された。
スト委員会は、娯楽、勉強会、郵便サービス、衛生管理の部門を作った。

政府は労働運動に介入しはじめた。「全国労働関係委員会」
労働者の反抗エネルギーを、労使間の団体交渉へ振り向けようとし、
州政府は、ストやスト破りが出ないよう監視するピケ行為をしにくくさせる法律を成立。

1930年代後半 大恐慌の最悪の時期が過ぎ、
1938 1週間の労働時間は40時間に制限、児童労働が禁止され、低所得者向けの公営住宅を建設。
だが、黒人は、小作農、農場労働者、家事使用人、季節労働者のため、「ニューディール」政策から何も得られなかった。

詩人ラングストン・ヒューズ「アメリカをふたたびアメリカたらしめよ」
“ここは食うか食われるかの国 強きが弱きをくじくところ”

「ニューディール」政策では、芸術分野に資金が投入され、労働者階級が初めて演劇を観た。
支援は1939年で打ち切られた。

ヨーロッパではヒトラーが勢力を拡大し、日本は中国を侵略していた。


************第二次世界大戦

第一次世界大戦からわずか20年後、第二次世界大戦がはじまった
第二次世界大戦はアメリカにとって時に“最も人気の高い戦争”と言われる。

ドイツとイタリアは同盟「枢軸国」と呼ばれる対抗したのが「連合国」。
日本は「スズ」「ゴム」「石油」を求めて中国に攻め入った。

1941 「真珠湾攻撃」をきっかけにアメリカは参戦。ヨーロッパでの参戦の口実となった
イギリス、ロシアが連合軍に入った時のアメリカの最大の目標は何だったのか?
アメリカの政府高官はフランス政府に対し、帝国の地位を戦後に回復できるよう密かに約束していた。

イタリア、ドイツは軍事目標ではなく「民間人」を攻撃した。
ローズベルトは非難したが、1000機以上の連合軍は、ドイツの都市を爆撃した

戦時中の新聞見出しは、部隊の動きに関するものだけ。
その陰で、外交官、事業家は、戦後はアメリカが世界一の経済大国になれるよう画策した。

詩人アーチボルト・マクリーシュ
“我々が築こうとしている平和は、石油、金、通商のための平和のようだ”

ドイツは600万人のユダヤ人、数百万人の少数民族、反対者を抹殺「ホロコースト」
ヒトラーは、白人のドイツ民族を「アーリア人」「ノルディック」と呼び、他より優れていると主張。「民族的優位性」

アメリカはこの間、悲運の人々を救わなかった。
アメリカの軍隊でも、黒人と白人は隔離されていた。
「血液銀行」をつくった黒人医師チャールズ・ドリューは、血液の分離保存をやめさせようとして解雇された。

黒人系新聞より:
“ドイツ兵だろうと 日本兵だろうと 恐れるものはここにある それはアメリカだ!”

国内では日本人への悪感情が急激に高まり、“強制収容所に入れろ”と下院議員が発言。
当時、西海岸に1万1000人の日系がいて、3/4はアメリカで生まれたアメリカ市民だった。
日系アメリカ人は、捕虜のように内陸部の仮設の建物に送られ、3年以上も隔離された。

1945 ドイツが降伏
日本も降伏しようとしたが、天皇制を維持することを条件にした。
もし、アメリカがこれに同意していたら、日本は戦いをやめただろう。

1945.8 広島と長崎に原爆投下 日本降伏
もし、日本がソ連に降伏していたら、ソ連が戦後の日本を支配したはずだ。

愛国心に沸く中で、断固、戦争に反対したのは社会主義労働者党だった。
約35万人が徴兵を忌避、入隊しても戦いを拒否。史上最大のストが起きた。

軍需物資会社が莫大な利益を上げ、、農産物の価格も上がった。
世界最大の複合企業の1つ「ゼネラル・エレクトリック社」社長は、
“企業と軍は、永続的な戦争経済をつくるべき”と主張した。


************冷戦

ソ連アメリカはライバル関係にあった。ソ連は戦禍から復興、軍は勢いを回復。
アメリカ政府は「共産主義」の恐ろしさを強調した。
中国は世界一人口の多い「共産主義国家」となったため、アメリカ人の恐怖はさらに煽られた。

「保守派」と「リベラル」
「リベラル」は、進歩や変革を支持する。
政府は冷戦への支持のため、「保守派」と「リベラル」の団結をもくろむ。

国連(戦時中に創設され、アメリカが幅をきかせていた)は、韓国への援助を求め、
アメリカ軍は国連運として北朝鮮を攻撃したため、中国が北朝鮮に味方をして参戦
3年間の戦争で、200万人が死に、国土は荒れ果てたが、2国の国境線は変わらなかった。

赤狩り
中国では「共産党政権」が生まれ、アジア、アフリカの植民地はヨーロッパからの独立を求め革命を起こした。
これらはすべて「共産主義」の陰謀としてアメリカ国民に知らされた。

共産主義者、国家への反逆者は裁判をへずに強制収容所に入れられる法を作る。
ジュリアス、エセルのローゼンバーグ夫妻はスパイとして処刑された。


************立ち上がる黒人、公民権運動

黒人の詩人クロード・マッケイ
“死ぬしかないにしろ あっさり殺されたりはしない”

共産党に入り、体制に抵抗する黒人もいた。
1930年代 共産主義者らは貧困者を援助する委員会をつくり、組織者が逮捕された。

世界中の非白人から“アメリカは人種差別の国だ”と糾弾された。
1946 トルーマンは軍隊に人種隔離をやめる命を出した。10年かかって撤廃された。
公立学校では、黒人の児童はまだ隔離されていた。

1955 アラバマ州で、43歳の黒人婦人ローザ・パークスは、バスの“白人用”の席に座って逮捕された。
その後、市バスに対して「乗車ボイッコット」をし、徒歩か、クルマの相乗りをして対抗。

ボイッコットを支援した牧師マーティン・ルーサー・キングの自宅には散弾銃が撃ち込まれた。
キングは「非暴力の実践」を説いた。
「シットイン(座り込み)デモンストレーション」が広がる。

「フリーダム・ライド(自由のための乗車運動)」は、ワシントンDCからニューオリンズ行きのバスに乗り、
放火され、鉄パイプで襲いかかられても警察は動かなかった。

「SNCC(学生非暴力調整委員会)」の青年らが協力し、白人暴徒から攻撃を受けて逮捕され、ニュースは全世界に伝わった。
彼らは「ミシシッピ夏期計画」を実行。南部に来て、黒人投票権、不平等反対に参加してほしいと訴えた。

1963 キング率いるワシントンDCへの行進は「私には夢がある!」という演説で有名。
戦闘的な黒人活動家マルコムXはこれを批判した。
“白人は行進に紛れ込んで乗っ取り、まるでサーカスのようだった。”

1965 より強力な投票権法が制定

黒人の教会には爆弾が投げ込まれ、子どもらが死んだ。
1965年までに黒人の半分は北部に移った。

「ブラック・パワー」をスローガンにしたリーダーはマルコムXだった。
1965、演説の最中に撃たれて死亡。彼の自伝は大勢に読まれ、死後のほうが影響力が増した。

1967 史上最悪の都市暴動がスラム街で発生。83人が死んだ。

1976 FBIはキング牧師の暗殺を計画していた、と上院報告書に書かれていた。
1968 キング牧師は腕のいい狙撃犯に射殺された。
(だんだん『X-FILES』ぽくなってきたな

政府は、非戦闘的な黒人グループの指導者をホワイトハウスに招待し、宣伝効果を上げた。
しかし、スラム街の黒人の貧困、失業、犯罪、麻薬、暴力の解決にはならなかった。


************アメリカ最初の敗北「ベトナム戦争」

世界史上もっとも裕福で強力な国が、10年間ほどもかけて、小さな農業国の革命を挫折させようとした。
最先端の軍事技術組織された生身の人間との戦いで勝利したのは人間だった。

「ベトナム戦争」は、かつてない規模の「反戦運動」を生んだ。

アジアの天然資源はだれのもの?
第二次世界大戦以前、ベトナムを支配していたのはフランス。
第二次世界大戦中は日本、終戦時にはついに解放されたと祝典が開催された。

まもなくイギリスとアメリカは、フランス支配に戻そうとし、抵抗されたため
1946 「インドシナ戦争」勃発 “ベトミン(共産主義組織)”フランス
アメリカはフランスを支援。目的は「天然ゴム」「スズ」「石油」

『写真が語るベトナム戦争』(あすなろ書房)

和平協定で、ベトナムは南北に分割(なんでも分けちゃうね)ベトミンは北部にとどまるが、
アメリカは南北統一を阻むべく、ゴ・ディン・ディエムに南ベトナム政府を作らせ、アメリカ影響下に置く。

1958 南ベトナムでゲリラ攻撃始まる「ベトコン」(北ベトナムの共産主義政権から支援されていた←この辺が何度読んでも分からない

1960 アメリカは数千人の顧問を送り、すでに戦争を始めていた
CIAは役に立たないディエム政権を倒すようベトナム人将軍をそそのかし、ディエムと弟を処刑。
その3週間後、ジョン・F.ケネディが暗殺される。

魚雷の発射を受けたというウソによりアメリカは北ベトナムへの空爆を開始
南ベトナムの村々を「ナパーム爆弾」で破壊。

1968 米軍歩兵中隊はソンミ村ミライ地区で赤ん坊、女性、老人を含め村人全員を溝に入れて、射殺した。
この件は隠蔽されたが、漏れ出し裁判となった。
近くからは450~500人が埋められた墓穴も見つかる。
カリー中尉は終身刑となったが、3年間自宅軟禁されただけ。


アメリカのラオス爆撃
1968 4万人のアメリカ兵が死に、25万人以上が負傷。
「LBJ、LBJ、今日はいったい何人の若者を殺した?」と反戦デモが起こった。
※LBJ=リンドン・B.ジョンソン

国民ははじめからベトナムへの軍事介入に反対だった。

キング牧師
“貧しいアメリカ人に代わって語る。この戦争を終わらせる主導権は我々にあるべきなのです”

退役軍人ロン・コビックは『7月4日に生まれて』を出版、後に映画化された

1968.10.1は全国的反戦デーとなる。

『セールスマンの死』を書いたアーサー・ミラーはホワイトハウスの招待を断った。
女性歌手アーサ・キットは招待を受け「戦争には反対だ」と言って周囲を驚かせた。

1971 『ペンダゴン・ペーパーズ』が外部に流れ、『NYタイムズ』に掲載された。
リチャード・ニクソンは掲載差し止めを求めたが自身の「ウォーターゲート事件」が発覚する。

1975 終戦 ベトナムは社会主義共和国として統一


************女性解放運動、インディアン

ボブ・ディランは1960年代に♪時代は変わる と歌った。
人々は体制を信頼しなくなった。政府、学校、企業、とくに製薬業界という大きな権力を。
言われたことを鵜呑みにしなくなった。
自分で自分のことを決めるには「自由」が必要だと気づき、生き方、働き方、教育、芸術について新たな試みが始まる。


女性解放運動
社会は女性を「妻」「母」「家政婦」として見ていた。

1964 ミシシッピの公民権運動家は「自由の家」で共同生活をしていたが、
そこで女性は男性運動家に対してストを決行。

1966 「全国女性機構」が結成
彼女らは「ミス・アメリカ」に抗議し、ブラジャー、つけまつげ、かつらを「自由の屑入れ」に投げ込んだ。
「男女平等権修正条項」の成立を目指した。

シャーリー・チザム:
“法律は、女性のために何もしてくれない。我々自身で変えなければならないのだ”

これらの活動は「ウーマンリブ」「フェミニズム」と呼ばれた。
中産階級の主婦ベティ・フリーダンは『フェミニン・ミスティーク』を書いた。
「ミスティーク」とは、女性は母や妻の立場に100%満足しているという社会のイメージのこと。

ジョニー・ティルモンは“家事、育児にも賃金を支払うべきだ”と訴えた。

女性に対する社会的支配は、国がしているのではなく、家庭内で行われている。
もし女性が自身を解き放ち、男女が共感しあったら、より大きな体制に抵抗しうるのではないだろうか?


アルカトラズ島を占拠したインディアン

『ノーザンライツ』(新潮社) vol.2

20Cはじめに30万人まで減ったインディアンは、1960年は80万人に増えた。
半分は保留地に住み、半分は各地に散らばっていた。
公民権運動が活発化すると、部族に地域を譲るという昔結んだ条約の問題を政府につきつけた。

インディアンはシットインならぬ「フィッシュイン(強行出漁)」を行った。

1969 “ザ・ロック”と呼ばれ嫌悪されていたアルカトラズ島の使われていない連邦刑務所をインディアンが占拠した。
リーダーはモホーク族のリチャード・オークスら。11月には50部族から600人が暮らした。
半年後、連邦軍が排除して事件は終わる

ニューメキシコのナバホ族は、“土地を返せ”と声をあげ、インディアン文化の復興にも乗り出した。
インディアン史に関する本が次々出版され、生徒たちも動き出した。

1973 サウスダコタ州で「アメリカン・インディアン・ムーブメント」が起こる。
数時間でFBI、連邦法執行官、警察官が包囲し、撃ち合いがはじまり、インディアン120人を逮捕


性の解放など
ゲイ、レズビアンなどは、以前ほど隠さず、差別と戦う団体を作る。
教育現場では、生徒、親、教師が伝統的な教育方針に疑問を抱く。
身体に障害のあるものは、差別から守る法を働きかけた。

1962 レイチェル・カーソンは『沈黙の春』で、化学製品が汚染していると書きベストセラーとなり、
「環境保護運動」のさきがけとなる

「シエラクラブ」「ウィルダネス・ソサイエティ」「アース・ファースト!」などの自然保護団体への参加者が増加。
政府は、水質浄化法、大気浄化法、絶滅危惧種保護法を制定したが、優先的に施行されなかった。
ロナルド・レーガンは、「EPA(環境保護局)」の予算をカットした。


************激動の1970年代

「政府は、自己の利益を追求する少数の巨大企業によって動かされていると思うか?」

「ウォーターゲート事件」
この質問に1972年、回答者の半数が「YES」と答えた。
「ウォーターゲート事件」は初めて大統領を辞任へ追い込んだ政治スキャンダルだった。

ニクソンは2期目を勝ち取ろうと、1972年の大統領選に向けて支持を集めた。
6月、ワシントンDCで5人の男が不法侵入容疑で逮捕された。
彼らはニクソン政権、CIAにもつながっていると発覚。

その他、選挙運動に関わる書類の窃盗、報道機関への虚偽情報の流布、巨大企業の莫大な献金
国務長官ヘンリー・キッシンジャーは政府役人の電話を盗聴、ニクソンの50万ドル以上の違法な税金控除etc...

ある企業家“我々はただ、違う選手が出る同じ試合を見るだけだ”
政治顧問“腐ったリンゴは捨てなければならないが、リンゴ箱(体制)は救うべきだ”

大統領が代わろうと、共和党から民主党になろうと、体制は変わりなく機能しつづけてきた。
ホワイトハウスに対して大きな影響力を持つのは企業だというのは真実だ。


FBIとCIAの秘密工作
「ウォーターゲート事件」の捜査過程で、ベトナムの隣国カンボジアへの秘密軍事作戦が明るみにされた。

キッシンジャー:
“地上のどこであろうと、アメリカはいつでも行動を起こすべきだ。
 それこそ、世界大国でありつづけるという決意表明なのだ”

アメリカ戦闘機は、カンボジアの船を爆撃し、アメリカ人乗員まで攻撃した
なぜフォードは、カンボジア本土攻撃を命じたのか?
答えは、ベトナムに敗れても、強国アメリカはいまだ健在だと世界に示すため。

大統領は軍事行動の前に連邦議会と協議が必要という法は「マヤグエース号事件」で無視された。

「ウォーターゲート事件」のせいで、FBIとCIAのイメージも悪化した。
調査機関はさらに卑劣な秘密工作を暴いた。

CIAは、キューバのカストロ暗殺計画をしていた。
チリ政府の転覆を画策。
「ブラックパンサー党」の黒人活動家フレッド・ハンプトンの暗殺計画etc...

新聞、テレビは、こうした情報にあまり触れなかった。

1975 世論調査で「大統領と連邦議会を信頼している」と答えたのはわずか13%だった。

1976 アメリカ独立200年の節目で大規模な祝賀行事が予定されていたが、式典はさほど盛り上がらなかった。



コメント

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 下 1901-2006年』(あすなろ書房)vol.2

2016-02-06 15:38:14 | 
『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 下 1901-2006年』(あすなろ書房)
ハワード・ジン/著 レベッカ・ステフォフ/編著 鳥見真生/訳

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 下 1901-2006年』(あすなろ書房)vol.1


************1980年代、不信感は払拭されたか?

マリアン・ライト・エデルマン(児童防衛基金を創設)は、
子どもの健康対策事業から8800万ドルの予算を削られたため、「セーフティネットの穴」について伝えたかった。

大勢が、自分は将来家族を養えるか? 貧困層にすべり落ちるのでは? 環境汚染の懸念も生まれた。

共和党、民主党の二大政党は、歴史家リチャード・ホフスタッターが『アメリカの政治的伝統』と呼んだものにしがみついていた。
それは「資本主義」と「国家主義」だ。

民主党のジミー・カーターはほんの少し、リベラル側に向けた。
公民権運動家の黒人アンドリュー・ヤングを国連大使に任命したのだ。
また、「アパルトヘイト」を廃止するよう勧告した。

『ネルソン・マンデラ』(鈴木出版)

南アフリカが無秩序になると、設置してあるレーダーシステムによってアメリカの権益が脅かされるため。
(このレーダーは、多数の国の航空機、人工衛星の監視に必要)

南アフリカは、工業分野で不可欠なダイヤモンド産出国でもある。

カーターは、ベトナム戦争後の復興支援に反対し、イランなどの圧制への軍事物資の援助もしていた。
巨額の軍事予算は維持したまま「貧しい児童の牛乳のお代わりを有料にすれば、1年間に2500ドル節約できる」と発表した。


レーガン政権下、富裕者と貧困者の格差が拡大
レーガンとブッシュはよく似ていた。貧困層の援助をカットし、軍事予算をアップ
連邦裁判所には右寄りの判事を選び、体制側に有利な法解釈をする保守派を任命して死刑を復活させた。

100万人以上の児童が、無料の給食を受けられなくなった。

ある母親は新聞に書いた。
“この国には、職探しに役立たない職業紹介所、まともな政治をしない政府、
 働きたい者に仕事を提供しない経済システムがあるように感じられます。”

「福祉」という言葉は政治的な意図で使われるため、1992の世論調査では「福祉に多額が支払われている」という回答が44%あった。

1980年代の企業のトップ役員は、工場労働者の平均サラリーの40倍の報酬を得ていて、1989年には93倍にまで拡大していた。
(93倍って・・・何
下層階級(黒人、ヒスパニック、女性、若者)が深刻な経済打撃を受けた。


ソ連崩壊、「湾岸戦争」

「ベルリンの壁崩壊」
1989 たった一夜で共産主義政府の旧体制は崩壊した。


1991「ソ連崩壊」
アメリカは、それまで自国をソビエトの脅威から守るために数兆ドルを税金として徴収し、軍を展開してきた。
その脅威が消えた。軍事力はまだ不可欠だと証明するため、4年間に2つの戦争をした

1989 中央アメリカのパナマに対して。市民居住区への爆撃で数千人が死んだ

1990 イラクがクウェートに侵攻。“イラクの核爆弾製造を阻むため”と説明して開戦

1991 数ヶ月後、イラクの独裁者サダム・フセインの危険性を説き、ペルシャ湾岸に50万の兵を送った。「湾岸戦争」
戦況情報は軍と政府が厳重に統制。

この戦争の目玉は「スマート爆弾」という空対地ミサイル。軍事目標だけを狙い撃ちすると謳ったが、
実際は女性、子どもを含む何千人のイラク市民が死んだ。戦争は6週間しか続かなかった。
戦後、飢餓、病気で、さらに何千人の子どもが死んだ。

黒人詩人ジューン・ジョーダンは戦争で勝つ喜びをこう語った。
“クラック(高純度のコカイン)が一瞬グッと来るのと同じ。快感は長く続かない”


************反戦と労働運動

1960 「ピードモント平和活動」工場から出された有毒物質で父を亡くしたリンダ・スタウトが起こした。

「フード・ナット・ボムズ(爆弾ではなく食料を)」
1990 活動家キース・マクヘンリーは繰り返し逮捕された。貧しい人々に無料で食料を配る許可を得なかったため。

「核兵器反対運動」
1970年代からあった。1980年代には女性が主導的となり、2000人の女性がペンタゴンまで行進した。
“社会的責任をになう医師団”が結成される。

1981 55日間、ラッシュアワー時に主要道路を封鎖。
軍事費のための福祉の予算カットに国民は気づいていた。財源は「銃」に使われていた。

マリアン・ライト・エデルマン
“最大の犠牲者は子どもたちです”

1982 NYセントラルパークでの大衆集会はかつてない規模だった。

メキシコ人、「ラティーノ」(ラテンアメリカ人)の子孫も声をあげた。
「ラティーノ」はアメリカ総人口の12%を占め、黒人と同じ割合となり、音楽、芸術などに影響を与えている。

チャールズ・ハットーはミライ地区での虐殺に加わった元兵士だった。

“時には自分で判断しろ、国のことは忘れて、自分の良心に従えと、私は知りませんでした。
 ベトナムへ行く前に誰かに教えてもらっていたらと思います。戦争は人の心をメチャメチャにします。”

「湾岸戦争」の抵抗・抗議活動は、開戦の数ヶ月前からあった。
開戦後、メディアには“愛国的”な意見があふれ、大多数のアメリカ人は戦争を支持した。

大学生パトリシア・ビッグズはプラカードに「教えてほしい、戦争ではなく平和を」と書いた。

“この戦争は経済の問題だと思うのです。イラクに関係しているのは、巨大な石油会社です。
 私たちは、金儲けのために、国民の命を危険にさらしています。”


コロンブスをめぐる問題
1992年はコロンブスのアメリカ大陸到着から500年目。
インディアンは声をあげようと決意した。

体制側の知識人は、“アメリカの歴史は、無人の荒野へのヨーロッパ文明の展開である”と考えていた。
インディアンは、従来の歴史観を変えるため、
“コロンブスはインディアンを虐殺し、黒人は自由を否定され、女性は不平等な扱いに苦しんできた”と言った。

1990年代 アメリカの政界は、とんでもなく裕福な企業に牛耳られ、マスメディアも所有された。



************世界最大の武器輸出国アメリカ

ノーベル平和賞を受けたジョゼ・ラモス・ホルタは語った。

“21歳の妹が空爆で死に、17歳の弟がベル社のヘリコプターに攻撃されて死に、
 別の弟もアメリカ製のライフル銃で処刑された。
 なぜ、アメリカはそこで戦争をしていないのに、アメリカ製の武器が、地球の反対側にいる人々の命を奪ったのか?

答えは、アメリカがインドネシアに軍事援助をしていたからだ。
アメリカは、20C終わり、世界最大の武器輸出国になった。

アイゼンハワー:
“すべての軍艦、ロケット弾は、飢えている、凍えている人々からの、盗みの結果だ”

1990 ビル・クリントンが大統領だった8年間も同じだった。
「新しい世紀には、新しい政府が必要だ」という公約は守られず、選挙に勝つことに関心があった。
福祉財源のカット+軍備増強を訴えた

1996 共和党、民主党は「犯罪法案」を可決。死刑を増やした。
大統領はみな、権力にとどまる手段として、国民の怒りの矛先を、アメリカに敵対的な外国に向け、
アメリカの社会体制の欠陥に気づかれないようにしてきた。


世界一“裕福な国”アメリカ
1995 1%の「スーパー富裕層」に1兆ドル以上の収入が入ったが、これは国の財貨の40%にあたる。
反面、健康保険に加入していない人は4000万人もいる。他国よりアメリカの赤ん坊は病気、栄養不良で大勢死んでいる。

これを解決するには2つの財源から資金を引き出すことが必要。1つは「軍事費」
それは、世界各地の「アメリカの軍事基地の閉鎖」を意味する。
しかし、軍事予算は上がる一方で、年間約3000億ドルになった

もう1つは「スーパー富裕層」への課税。「富裕税」があれば改善する。
クリントンはほんのわずか引き上げた。
クリントン政権が終わる頃、200万人以上が増やされた刑務所に入っていた。
アメリカは、中国を除いて、囚人が全人口に占める割合は世界一だろう。


健康保険制度
世論調査では、国民全員のための「健康保険制度」に賛成だった。
みんなが結束していたら、富を再分配する経済体制が作られていたかもしれない。

ハーバード大学での抗議活動は、共通点のないグループでも、力を合わせれば目標を達成できる好例だ。
用務員らの劣悪な労働条件に対して、学生とキャンパス労働者が協同して最低生活賃金を獲得する運動だ。
マット・デイモン、ベン・アフレック(父がこの大学の貧しい下働きだった)も賛同した。

1999 シアトルでの抗議集会では巨大な多国籍企業が生活を圧迫していることを知らせようとしていた。
「WTO(世界貿易機関)」の最終目標は、「自由貿易協定」を通じて、世界中に資本主義の原理を広めることだった。

数百人が逮捕されても、抗議運動は続き、ニュースは世界中に報じられた。


************アメリカと“テロ”

2000 共和党候補はジョージ・W.ブッシュ、民主党はアル・ゴア。

マクドナルドの店長で、低賃金をわずかに超える給料の女性は言った。
「私たちはどちらにも関心がない。変わりっこないもの、私たちの人生は」
投票日には、有権者の半分は投票所に行かなかった。2人の違いが分からなかったから。

ブッシュは、石油業界と深く結びついていることで知られていた。
ゴアも大企業から援助を受けていた。

実は、ラルフ・ネーダーという3人目の候補者もいた。
彼は医療、教育、環境保護計画を用意していたが、全国放送のテレビ討論から締め出された。


疑惑だらけのフロリダの一般投票
一般投票では、ゴアがブッシュより何十万票も上回った。
フロリダ州知事はブッシュの弟だった。フロリダではブッシュが勝ったと宣言した。
再集計を求めたが、アメリカ司法の頂点、アメリカ合衆国連邦最高裁判所の9人のうち4人の判事は
再集計すべきだと言ったが、残りの保守派は再集計を中止。


2001.9.11
選挙から9ヶ月後、ハイジャックされた民間機が世界貿易センターと、ペンタゴンにつっこんだ。
アメリカの富と権力のシンボルである建物を攻撃したのは、中東、大半がサウジアラビア出身の19人の男たち。
彼らは、敵国に致命的な一撃を与えて、喜んで死んでいった。

政府は、これは過激なイスラム教徒オサマ・ビン・ラディンが指揮したと断定し、アフガニスタン空爆を決意
ブッシュは彼を捕捉か殺害して、“アルカイダ”(戦闘的イスラム組織)を壊滅させるつもりだったが、
5ヶ月経っても彼は捕まらなかった。

テロリズムを力でくじくことはできない。
歴史で明らかなように、国家が軍事力でテロ行為に反応すれば、さらに多くのテロを招くのだ。

アフガニスタンは1979年、ソ連侵攻を受け、内戦、アメリカ空爆で荒廃した。
空爆では1000人以上の民間人が犠牲となった。

連邦議会は「愛国者法」というテロ防止法を可決。
疑わしいという理由だけで、イスラム教徒1000人以上が拘束された。
ある男性は、ジムに行き、ブッシュを批判したらFBIに尋問された。

遺族の中には、大統領にこう手紙を書いた。
「暴力に対して暴力で報いないで欲しい。私の家族も私自身も、そうした怒りの言葉に慰められないことを
 政治家のみなさんにハッキリ申し上げたい。」

遺族の中には、アメリカの空爆で愛する人を失ったアフガニスタン人の遺族に会いに現地に行く者もいた。
テロを止めるには、彼らの不満に耳を傾けなければならないのだ。

サウジアラビアには以前、アメリカ軍が駐留し、その国にはイスラム教の第一の聖地メッカがあった。
アメリカは10年間、イラクが他国と交易できないようにし、医薬品や食料不足で何十万人の子どもが死んだ。
こうした問題を解決するには、アメリカが各国に置いた軍事基地を撤収し、政治的、経済的干渉を止めればいいのだ。

元アメリカ将校ロバート・ボウマンはこう書いた。

「我々が憎まれるのは、アメリカが、第三世界(そこには多国籍企業が切望してやまない資源がある)の人々に
 そうしたものを与えないからだ。アメリカが蒔いた憎悪という種は、テロという形で戻ってきた」


************世界で2番目の石油埋蔵国イラク

9.11以来、アメリカは「テロとの戦い」を“任務”にするようになり、またイラクとの戦争を始める
アメリカ指導者は、アフガニスタン侵攻のおかげで、「タリバン」を追い出し、女性は解放されたと主張し、
民間人数千人が死に、何十万人が家を失ったことを正当化しようとしたが、
アフガニスタンの女性はそんな事実はないという。

タリバンに代わり政権を握ったのは「北部同盟」
彼らはカブールをはじめに残虐行為を繰り返していた。

侵攻から16ヶ月後、支援物資を運ぶスコットランド人は言う。
“ここには、世界でもっとも多くの「地雷」が埋められている。子どもの25%は5歳まで生きられない。”

『地雷のない世界へ はたらく地雷探知犬』(講談社)

アメリカの暴力は、逆に中東の人々の怒りを買い、さらなるテロリストをつくり出した。


イラクの大量破壊兵器疑惑は石油のためのウソ
9.11にイラクが関与している証拠はまったくないまま、ブッシュらは“イラクは核爆弾製造を計画している”と国民に思わせようとした。
国連チームは、イラク全土を数百回、査察しても、「大量破壊兵器」は見つからなかった。
政府は、イラクの少数民族クルド人5000人を毒ガスで虐殺したというフセインの過去の行為を明らかにした。
その1988年当時、アメリカは非難の声を上げていない。

1980「カーター・ドクトリン」で、アメリカはいかなる手段でも中東の石油の利益を死守する立場にあると主張。
2002 ブッシュ政権は、アメリカは単独でイラクに軍事行動を起こすと宣言。これは『国連憲章』違反だ。

「イラクの自由作戦」と呼ばれた大規模な攻撃で数百人のアメリカ兵が死に、イラクの一般市民が数千人死んだ。
サダム・フセインを逮捕した後も、イラクとの武力衝突はおさまらず、アメリカ軍は何千人ものイラク人を捕虜にした上、
「拷問」している写真が公表された。拷問はアメリカ国防長官の承認が得られていた。

彼らは、国際法で定められる「戦争捕虜」としてでなく「違法敵性戦闘員」と呼ばれ、基地に拘置され、拷問され、中には自殺者も出た。

2006 アメリカ兵の戦死者は2500人以上、イラク人は数十万人が死んだ。
政府は、戦死者の棺、手足を失った帰還兵の姿を国民の目から隠そうとした。


息子を戦死させられたシンディ・シーハンは、テキサス州のブッシュの牧場近くにキャンプを張り、泊まりこんだ。
「真実を語ってください。私の息子は石油のために殺されたのだと」

入隊したディエドラ・コブは、自らを「良心的兵役拒否者」と呼んだ。
「たとえ多くが死んでも、最後は善が現れるはずだと信じていたが、そこにこそ私の誤りがあった。戦争に終わりはないのだ」

三等軍曹ケビン・ベンダーマン
「頭からその光景を追い払うことができない。爆撃された村、共同墓所に投げ入れられた死体を食らう犬
 8、9歳の少女がひどい火傷で火ぶくれとなった片方の腕、その泣き叫ぶ声が忘れられない」


軍は、新兵獲得のため、ティーンエージャーに目をつけ、ハイスクールのカフェテリアにいる学生に近づいた。
反戦運動グループも学校を訪問し、違う話を聞かせた。

CBSテレビの人気報道番組「60ミニッツ」のコメンテーター、アンディ・ルーニーは、
5月30日の「メモリアル・デー」に、自分は第二次世界大戦の帰還兵だと打ち明け、
「せめて、この日をこれから死ぬかもしれない若者の命を救う方法を考える日にしたい」と語った。

保守的なユタ州の市長ロッキー・アンダーソが、ブッシュを「戦争好きで、嘘つきの、人権を踏みにじる大統領」と呼んだ時、
数千人の人々から歓声があがった。



************「ハリケーン・カトリーナ」が教えたアメリカ

ブッシュ政権は、とくに不法にアメリカに来たメキシコ移民に対する怒りを広めた。
彼らはアメリカ経済を下支えしていたが、アメリカ人から仕事を奪っているという考えが広まった。

連邦議会はカルフォルニアとアリゾナの国境線沿いに750マイルのフェンスを建てたが、
そこは、かつて1840年代にアメリカがメキシコから奪い取った土地だった。

2005 大規模なデモが起きた。「不法な人間などいない」

2005.8 「ハリケーン・カトリーナ」がニューオリンズを襲った。
世界中が驚いたのは、アメリカ政府がなかなか救出しないことだった。
新聞の写真には、貧しい黒人が写っていて、世界の人々はアメリカに対する思い込みに気づいた。
アメリカ政府は、桁外れな金を戦争と帝国の建設にそそぎこむことに夢中だと分かった。

2006 中間選挙の最重要課題は、泥沼化したイラク戦争、それに垂れ流される軍事費について。


************アメリカの未来

「なぜこうした本を書こうと思ったのか?」とよく聞かれる。
私は従来と違う歴史書を書きたいと思った。

『アメリカ合衆国憲法』を作ったのは、特権階級の55人の白人男性で、
彼らは自分たちの既得権を守る、強力な中央政府を作ろうとした。

歴史についての教育、書物がいかにねじ曲げられてきたか、歴史研究をはじめるまで気づかなかった。

白人のもっている歴史観とは、
「そうえば昔はインディアンがいたのに、いつのまにかいなくなった」
「黒人は奴隷の時はよく見たけど、解放されたら見えなくなった」
彼らが大量虐殺されたことが語られることはほとんどなかった。

私は本書のタイトルを『People's History(民衆のアメリカ史)』とした。
たいていの歴史書には、危険に見舞われた時、私たちは救済者に頼らざるを得ないと書かれている。
私たちの役割は、4年に1度、投票所に行くことだ、と。

だが、自身の力で抵抗したこともあった。
体制側(政治家、軍の幹部、大企業のトップでなる社交クラブ)は、変革の過去などなかったことにしたいと思っている。

本当に社会を変えてきたのは、黒人、女性、インディアン、若者、労働者だった。
だが、歴史書には、政府の指導者にだけスポットが当てられる。

私たちは、“公平で、ムダを出さない経済”を作り直さなければならない。
変革は、賞や罰という従来のシステムでなく、人と人との協力で実現しなければならない。
重要な決定は、同等の立場で働く、少人数のグループで下すのが良いだろう。
選択次第で結果も変わるのだと心にとめておきたい。


19Cの詩人パーシー・シェリー

まどろみから覚めたライオンのように 立ちあがりなさい
打ち負かされることのない数をもって!
その体を縛る鎖を 大地へとふり捨てなさい
眠っている間に身を濡らしていた露を ふり払うがごとくに
お前たちは多く 彼らは少ないのだから!


************

【訳者あとがき(2009)内容抜粋メモ】
現代の私たち日本人は、アメリカ発の情報にどっぷりと浸かって暮らしている。
アメリカン・イングリッシュを学び、アメリカは“自由と平等の民主国家”だと教えられてきた。
だが、ここに描かれているアメリカは、“差別”“貧困”“戦争”の国だ。

著者ハワード・ジンは、オーストリア・ハンガリー出身の父と、東シベリア出身の母との間に、
1922年、ユダヤ系移民の貧しい労働者階級の子として、NYで生まれた。
若き日の海軍造船所での労働、組合活動、第二次世界大戦の従軍体験がある。
除隊後は、アトランタの黒人女子専門のカレッジで歴史学教授になり、1963年、公民権運動を理由に解雇された。

本書は2006年で終わっているが、その2年後、初の黒人大統領バラク・オバマが選ばれた(何が変わったのかねえ

本書をぜひ若い人たちに読んでもらいたい。
アメリカの歴史が分かれば、国際情勢、日本の現状、政治経済について自分の意見を持てるようになるだろう。

なお、「インディアン」という呼称は、近年、国際的に蔑称ではないという認識があり、原著の通りにした。



コメント

全日本フィギュアスケート選手権2015 Both Side

2016-02-06 14:55:25 | フィギュアスケート
全日本フィギュアスケート選手権2015 Both Side

たくさんたまってる予録を見ていきます。
これまでに観た映像は割愛。

全日本のFPが終わった後の特番か。
どんどん選手のプライベートまでつっこんでくるなあ。
今回は、彼らを支える人々のコメントまで撮ってた。


【大会前日練習】

宇野くんが4回転サルコウを軽々と跳んだのを見た羽生くんら。リンクの緊張感が一気に高まる。


都築章一郎(77):日本フィギュアスケーティングインストラクター協会 元理事長

指導歴50年以上。ワオ!まさかの佐野さんの若き頃! 長久保さんまで教えたって!!

 



Q:先生にとって全日本とは?
私の人生って感じですね。(ここに来たのは十数年ぶりで)ああ、懐かしいなあ・・・

Q:長久保さんについて
長久保コーチは高校生の時に会って、今は白髪頭だけどw
練習嫌いでね、もう大変だったんですよ(羽生くんと一緒?!w

長久保さん→都築さん
思い出すでしょ、言うこと聞かない奴はダメだって。
都築先生のお弟子さんの中で一番言うこと聞かなかったのは誰ですか?w

今回都築コーチが全日本に送り込むのは最年少の青木祐奈(13)。
「天真爛漫で困ってますけどねw まだまだ子どもですからねえ」

ゆづくんもスケートの基礎を叩き込まれた(お尻や頭をつつかれてるw
 

今の練習風景を見て:
もうかなり達観しているというか、確信的なものを彼は持っていますよね。自信もってやってます。
これが風格というものでしょうね(ベタ誉めじゃん!

「ゆづー」と呼ばれて「あ!都築先生!」

 


「ありがとうございます」「頑張った」「頑張った、頑張った」「驚いた」「頑張れよ」「頑張ります」
「先生も頑張って、祐奈ちゃんをしっかり見てあげてください」

都築:
それぞれ緊張してやっていますけど、新旧の選手たちを見て、どういう大会になるのか楽しみですね。

 

オーサーコーチ:

通常はどこかで少し調子が落ちます。彼にとっては今がその時期。でもわずかな低下です。

SP後のインタビューで気もそぞろの羽生くん。
インタビューを中断し、モニター前へ行き宇野くんの演技を真剣に観て拍手を送る。

 


コンポーネンツはこうして確認できるのか

演技構成点が9点台でも:
まだまだあの演技でも課題が見つかったので、今あの演技をして自分が満足していないことがいいことだと思います。

(ちょい先輩だけど、“ユヅ君”て呼んでるんだね。もうすでに同じ土俵で闘ってるよ



【女子SP】

西野友毬:
 



5種類の3回転を跳ぶスケーターとして注目される天才少女だった。
オリンピックの夢は、体の成長による変化によって遠ざかった。


また苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで、その繰り返しですね、ずっと(真央ちゃんもそうなのかなあ
親もみんな“もういいんじゃない”みたいな辞める方向でいってたんですけど。

樋口豊コーチ(66)だけがそれをつなぎとめた。
「素敵な選手の一人だから、チャンピオンになれなくても、小さい時からやってきたことを
 成し遂げるような形のほうが、違う世界へ出て行くにあたっても自信になるだろうし」



西野:
樋口先生がいなかったら、たぶん今ここでスケートをしていない。
自分が楽しんで、笑って終わってこれたら恩返しになるんじゃないかな。

8度目の全日本にしてラスト。SPは失敗に終わり、号泣。
 
樋口「迷っちゃった、ちょっと跳ぶ前に」

真央ちゃんもSP5位。
「やっぱり自分の思うようにはいかないっていうのが、今一番思っていることです」

佐藤久美子(浅田真央コーチ)
 

学ばないといけないから。こんなにちっちゃくなっちゃってるから。
ここから立ち上がって、自分の実力を発揮できる精神力を取り戻してくれたら、
これからの人生に何か役に立つんじゃないかなって思います。
もったいないもん、あんなに魅力のある子が。

(コーチが口を揃えて言うのは、選手のこれからの人生も見通してのことなんだな。有り難い・・・
 スケートだけが人生じゃない。まだまだ先がある。人生そのものが勉強。


【男子FP】

無良祟人:
 
「昌磨がんばれ!」

父:

でも戦い続けなければならないのは分かっていますから、その中でチャンスはきっと訪れるので、
自分が努力しないと、チャンスは来ないと思っています。きっと彼もそう思っていると思います。


宇野昌磨:

「1回目パンクして“クソ!”、最後も1回やって、もう1回パンクしました」(ハッキリゆうコだねww

先輩の日野くんから意見が出る


日野「オレはルッツのところで4回転をやれば良かったと思った」
宇野「やろうと思ったんですよ」


日野「4回転やって、最後にアクセル+フリップでいいじゃん」
宇野「あ~」
日野「なんでそんなにルッツを無理矢理入れようとするの?」
宇野「いやでも、点数はそっちのほうが高いんで。でもそしたら、4トゥーループ、ハーフループ、フリップやるんで」
日野「出来たことある?」
宇野「ありますけど」

何気ない会話のようでも、切磋琢磨して、ライバル心もあり、向上心もありで、こうして同じチームとして進んでいくんだね。


FPを終え、キス&クライで「ヘタクソだ!」と声を上げる羽生くん。
羽生「めっちゃ悔しい。練習したい!」
仲間「少し休め」w


小塚祟彦:
Q:フィニッシュの時にフキダシがつきそうだったんだけど、どんな?

「よく頑張ったなとw」

いい大会だなと思って。日本人として最高の順位を競う大会。いい雰囲気が漂っている。
みんなで戦って、みんなで作り上げた全日本で、すごくいい大会だったなと思います。
12回出て、ほんとにいろんなことが起こって、



【女子FP】

西野友毬のラストプログラムは第一滑走。

コーチ「エレガントに楽しんで」(ステキな声かけ

笑顔でノーミス演技。これは嬉し泣きだ。


コーチ:

これからは新しい人生だし、スケートで苦労したことが次の人生に活きれば良い。
だんだん寂しいかなって気はします。


西野:

ここ来る前に先生を泣かせたいねって話していた。本当に泣かせちゃったから良かったです。
思い残しはないです。楽しく滑れた。あんなに楽しく滑れたのは、なかなか何本かに入る感じです。

青木祐奈:
 

ショート9位からの挑戦は、FP16位という結果に終わり、涙のインタビューとなった。
「いつもはあんまり緊張しないんですけど、やっぱり全日本っていう舞台では緊張と不安が大きくて
 それに勝てなかった部分はあります」

(そういうと、同じ“悔しさ”でもゆづくんの悔し涙って見たことない。全部前向きな闘争心に昇華させてる感じ

コーチ:
世界一を争う大会になりましたからね、この全日本が。ある意味、世界選手権をやるような感じ(なるほど
13歳でこういう大会を経験したことは、彼女の財産になると思っています。
全日本に参加できるところまで努力したわけですから、もっともっと彼女は努力していくようにいなると思っています。


[最終グループ]

“世界へと通じる入り口。そんな意識が生み出す落とし穴。心の強さを試される大会”かあ・・・

本郷理華の目にも涙

「たくさん練習してきたので、それが出し切れなかったのが今一番悔しいと思っています」

長久保:
やっと階段を登り始めたところで、いったん踊り場まで行っちゃったんで、
そこから2階まで行くためには、まだ階段を登らなければならない。
負けたのが一番悔しいんだろうと思いますけど、逆に言うと欲が出てきているから失敗しやすくなるんで、
ただ、いいほうの“貪欲”だと思う。

(百戦錬磨を乗り越えてきたコーチの眼と、10代、20代の女の子の眼との差だなあ


浅田真央:
 

久美子コーチ:
まだ力を出しきってない。
それだけは絶対にやりきって欲しいなっていうのが私たちの願いなんです。
だって力がないわけじゃないんだから。

真央:

1つ1つ乗り越えてきてるので、目の前にあるものをこなしていって、自分が出来るところまでやりたいなって。
自分ができないって思ったら、そこで悔いがないと思いますし、自分がやりたいと思ったらやる。
あとは“自分に勝つ”というのをテーマにしていきたいなと思います。


[世界選手権代表発表]


浅田真央は2大会ぶり9度目
宮原知子、本郷理華は2大会連続2度目

本郷:

フリーでは悔しい気持ちのほうが強いんですけど、せっかく世界選手権の代表に選んでいただいたので、
この悔しさを晴らせるようしっかり練習を頑張りたいと思うので、応援よろしくお願いします。

 

オーサー:
最高のパフォーマンスを世界選手権で出すことが重要です。
ユヅルが万全の準備をしてくれると信じています。
ボストンでは再び魅力的な瞬間が訪れるでしょう。




[収録後インタビュー]
 

 
荒川さんに「大丈夫」て頭なでられてた


[オールジャパンメダリスト・オン・アイス]
 
正座してる姿可愛かったね


[大会翌日の午前中]
4回転ルッツに挑戦する羽生くん、4回転の新コンビネーションジャンプに挑戦する宇野くん、無良くんは4×4に挑戦してた!

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