■『大工よ 屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-』(新潮文庫)
J・D・サリンジャー/著 野崎孝、井上謙治/訳
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
前回、サリンジャー選集4『九つの物語 大工たちよ、屋根の梁を高く上げよ』(荒地出版社)には
「シーモア-序章-」が収録されていないことに気づいた。
昔、読んだかもしれないけれども、収録されている本書を借り直してみたら、読んだ記憶は全然よみがえってこなかった
「大工よ 屋根の梁を高く上げよ」と今作は、サリンジャーいわく、バディが書いているという設定。
敬愛し、神のごとく崇拝していた兄シーモア亡き後、彼のことを徹底的に語っている。
「この上ない幸せな気分」だとして、シーモアを語るのに、自分が平常心ではないことを強調し、
親愛なる読者についてきてもらうか、もしくは途中で読むのをやめるチャンスを何度も与えるとまで言っている。
読後、サリンジャーは、この序章ですでにシーモアを語り尽くしてしまったように思えた。
シーモアとグラース家を知る上でとても興味深いけれども、なにせ、自称、一番近くにいて、
2人は似ているとさえ言われていたバディゆえに、一筋縄ではいかない。
1つのエピソードを話すにも、1000もの言葉を駆使して、意識的に遠回りし、寄り道し、
時には、親愛なる読者のために、一般的に分かりやすく説明しようと試みようともするが、
彼にとって“普通に”シーモアを語ることなど不可能に思われるくらい、読んでいると1行ごとに迷宮に入ってしまう。
一体何について話しているのか、話そうと試みているのか理解するだけでも、
数行ごとに集中し直して読み返さなければならなかったが、ファンにとっては甘美な苦痛とも言える。
短篇だと思っていたら、想像より長い。もっともだとも思う。
これを読んだからといって、シーモアの性格、自死の理由は永久に分からない。
そのほうがいいとも思った。
【内容抜粋メモ】(この内容を一貫してまとめることは、私の脳みそでは到底ムリなので、断片的なメモに留める
これを書いているバディは40代。9ヶ国語がペラペラ、そのうち4ヶ国語は死語。
冒頭に「俳優たちと・・・」から始まるカフカの引用と、「それは(比喩的に言えば)・・・」はキェルケゴールの引用文がある。
彼らは病める、適応性不良の独身者。p114
「鳥は、あらゆる生物の中で、もっとも清純な心に近いように見えた」p110
シーモアは11歳の時、6時間45分にわたってフロイト学者の一団に調べられた。
現代では、病みながらも不思議と多作な詩人や画家についてもっとも多く言われていることは、
明らかに「古典的な」ノイローゼ患者で、奇矯さを棄てようとする変わり者だということ。
わが家の傑物が存命中、私は彼を鷹のように見張っていた。
彼は苦痛だけでなく、救いを求めて悲鳴をあげたが、どこが痛むのか言葉で知らせることは拒んだ。
あれほどの量の苦痛はどこから生じるのだろうか? その原因は何か?p117
精神分析家の中で唯一無二の偉大な詩人はフロイトだったことは間違いない。
真の芸術家たる賢者、美を生みだす力を持つ愚者は、主として自らの神聖なる人間的良心の目くるめく形象や
色彩によって目がくらみ、死に至るということだ。p118
シーモアは31歳の時、妻とフロリダに旅行滞在中、自殺した。
彼は私たちにとっていっさいの“ほんもの”だった。
彼が自殺を計画しようとしまいと、彼はいつも私と気が合って、一緒にうろつき回った唯一の人間であり~
私の最初の計画はシーモアについての短篇小説を書き「シーモア第一部」と名づけることだった。p120
彼の言語生活に関して。
時に何週間もほとんど口をきかないか、そうでなければとめどもなく喋り続けるかのどちらかだった。
彼が霊感を受けた饒舌家だときっぱりと言っておく。p123
直接、シーモアに関する2つの短篇小説を書いて出版した。
あれを書いたのは、死からまだ2ヶ月しか経っておらず、私自身ヨーロッパの戦場から帰ったばかりだった。
遠くに離れている家族の何人かは、私が文章を発表するたびに、いつも些細な誤りを拾い出す。
1948年から、私は兄の死まで、軍隊の内外で、184編の短詩を書いた1冊のルーズリーフの上に腰をおろしてきた。p127
(シーモアが書いたもので、10年以上も出版すべきか悩んでいる
※衒学:学問や知識をひけらかすこと。
※パラグラフ:1 文章の節または段落。 2 新聞・雑誌などの短い記事。
バディは森の奥深くの質素な小屋で独り暮らしをしているが、
家族などからの郵便に威圧される一種の文学的自閉症患者だという。
第一級の詩は、優れた、通常効き目の早い熱療法の一形式なのである。p130
シーモアは思春期の大部分、成人してからずっと、はじめは中国、やがて日本の詩に深く惹かれた。
それは特に耳に快く響く。p131
両親は正式に寄席演芸界を引退しようとして記念パーティを開いた。
客が来た時、私たちはまだ眠っていたが、シーモアはほとんどすべての客に各自のコートを間違えずに持ってきた。p133
かの偉大な一茶は、嬉々として庭に一輪の大輪の牡丹があると助言してくれる。
それ以上でも以下でもない
私に真の詩人は素材を選ばないという確信を与える。p134
タンリは93歳の時、自分の富が身を滅ぼしそうだと打ち明けた。
シーモアが正式に詩を書き始めたのは11歳の時。p135
あの詩はあまりに非西欧的、あまりに蓮の花的だからだ。
自分の詩には現実を反映するものは何ひとつない、と彼は言った。p137
詩人の役目は書かねばならぬものを書くのではなく、むしろ書かねばならぬことを、
年老いた司書たちを人間的に可能なかぎり1人でも多く引きつけるように意図した文体で書くという
責務を果たすか否かにかかっている場合に、書くであろうと思われることを書くことだ、と信じている。
シーモアは死の前、3年以上、老匠が味わうもっとも深い満足すら味わっていたに違いない。
日本古来の3行、17音節の俳句を愛し、彼自身も俳句を詠んだ。
私がその中から好きな詩があるとすれば、最後の2編だ。p141
試作する人間でユダヤの血をひいている者は自分の手と奇妙に親密な関係をもって暮らしている。p143
私は幼い頃から30代を過ぎるまで、1日に少なくとも25万語は読んでいた。p144
シーモアは自殺した日の午後、ホテルの部屋の備え付け吸い取り紙に、古典様式の俳句を書いている。p146
本当に非消耗品的ともいうべき詩人はせいぜい3、4人しかいない。p147
真の芸術家はあらゆるものを失っても(たとえ賞賛されなくなっても)生きるものだと私は気づいている。p148
多くの人々は、個人的になにかけばけばしい「欠陥」を持つ芸術家や詩人に対して、
熱狂的反応を示すことは、議論の余地がないほど真実であるようにみえる。p153
グラース病は、腰と下腹部の病理的痙攣で、40歳以下の人間が近づくのを見ると急に駆け出し、反対側の道路に渡ったりするのだ。p155
わが家の連中は、歌ったり、踊ったり、おかしな冗談を言う。p156
曽祖父の1人ゾゾは、非常に有名な巡業サーカスの道化師だった。p157
楽屋裏でベシー(母)の双生児の妹が栄養失調で倒れたことがあった。
ゾーイーとフラニーが生まれ、長期にわたったギャラガー&グラースの巡業は正式に終わりを告げた。p158
死んだ弟のウォルトも、ずっと職業的な意味でのダンサーだった。p159
バディは2ヵ月半、急性肝炎で寝込み、いったん文章を中断していたことを明かす。p162
シーモアは11歳の時、放送中、聖書の中で一番気に入っている言葉は「ウォッチ!(見守れ)」だと言った。
私は、新しい短篇小説を書くたびシーモアに見てもらうのが習慣だった。p165
シーモアのバディの作品への評論の抜粋:
お前は彼(登場人物)が使う“畜生”という言葉をぜんぶ非難している。
誰かが「こんちくしょう」と言う時、それは卑俗な形をとった一種の祈りに他ならないのじゃないかな。
神には冒とくということが分からないと僕は思う。そんなものは牧師たちの発明した小うるさい言葉だ。p167
シーモアからのもっとも長い手紙:
僕たちの間にある皮膜はとても薄い。
お前と僕のどっちが言った言葉か絶えず気にすることがそれほど重要だろうか?p172
お前の小説について、あまり僕の意見に頼るのは良いとは思えない。
首吊りから救うほとんど唯一のものは、罪とは知識の不完全な形だということだ。
不完全だというだけで、知識が役に立たないということにはならない。p173
徴兵の登録にお前が「著述業」と記入した。今までこんなに美しい婉曲な言い方を聞いたことがない。
ものを書くのがお前の宗教である以上、お前が死んだ時、それが長編か短編かなど聞かれないだろう。
お前は心情を書き尽くすことに励んだか?
お前は作家になるずっと前から読者だった。
もしバディが好むものを選べるなら、どんな文章を一番読みたがっているか自分に問うてみることだ。
1人で書くということだけだ。p177
***********ここからバディはシーモアの肉体的特徴について延々と書き始める
床屋で彼の毛が飛び散って自分にかかるのを嫌がった時、彼はすぐにそのことで悩みはじめた。p180
19歳頃ごっそり抜けはじめるまで彼の髪は剛くて黒かった。
鼻も目立っていた。p182
読者は人数の多い家族についてどれだけ知っているだろうか?
年上の兄なら、弟妹たちの家庭教師や相談役を引き受けさせられると、監督者にならざるをえない。p183
シーモアは教壇に立って2年目、教える仕事で意欲を失わせるようなことは何かと尋ねたら、
1つだけあるとすれば、大学図書館の書物の余白にある鉛筆の書き込みを読むとぎょっとすることがあると言った。
私が恐れるのは、この本に出てくる「もう1人の人間」と違って、自殺して、
あとに残った「愛する家族全員」を途方に暮れさせるほど「わがまま」でなかったことを魅力的だと思うタイプの読者がいることだ。p186
(バディは記憶力もいい)
私はシーモアを鮮やかに思い出せる。頭がだいぶ禿げてきたり、下士官のシャツを着て、結跏趺坐で瞑想していたり。p188
ベシーにとってシーモアは「のっぽ」だった。p189
シーモアは真の俳優は重心が低くなければならないと堅く信じていた。p190
彼の表情はいつもあどけなかった。p191
耳は年老いた仏陀のように並外れて長く、耳たぶが厚かった。
(藪睨みの件は『ナインストーリーズ』の「テディ」にある)
彼と私が兄弟だと知る方法は1つ、鼻と顎を見ればいい。
顎はほとんどなかった。鼻は目立ち、ほとんど瓜二つ。p195
私たちは不器量だった。p197
シーモアはブー・ブーを無茶苦茶に可愛がっていた。家族以外の大抵の人たちも無茶苦茶に可愛がっていた。p198
1948年、私は彼について少なくとも12の短篇、スケッチを書いて、ぜんぶ燃やしてしまった
彼の手は非常にきれいだった。p200
「オール・オア・ナッシング」の散文作家や作家志望者には、非常に半陰陽的なところがあると私は堅く信じている。p201
私たちは活字になる時、今よりもっと臆病でなくなるのが不思議だ。
彼の肌は浅黒く、珍しいほどシミがなく、思春期もニキビひとつなく過ごした。p202
ベシーは本をほぼ読まないが、甥の誕生日にケイ・ニールセンの挿絵が入っている『太陽の東と月の西』を買った。
私には、彼女とかの有名なアイルランド人の運の好さが関係していると思う。p205
シーモアは素晴らしくきちんとした服を選んだが、一番厄介なのは、彼の買うものはすべてぴったり合ったことがないことだ。p206
第一級の詩の最終草稿を仕上げるには、逞しい神経の力ばかりでなく、正真正銘の肉体的スタミナがかなり必要だ。
私は兄のようにほとんど疲れを知らぬ男に出会ったことがない。
シーモアは12歳の頃から、何かに夢中になると、2晩、3晩、一睡もせずに続けたが、それで様子が変わることはなかった。p210
シーモアは運動家、ゲーム愛好家だった。
私自身、ずっと野球のファンだった。p211
私たちと一緒にラジオに出ていたカーティス・コールフィールド(まさかとドキっとしたが、ホールデンとは無関係のようだ)は、
太平洋のある上陸作戦で戦死してしまった。p212(でも、ホールデン兄弟を思い出させるじゃないか/驚
彼のテニスもそれに劣らず凄まじく、同様に酷かった。p214
フットボールでは、相手方にいたシーモアは、私が彼の方向に攻めて行くのを見ると、
まるで思いもよらぬ、途方もない、摂理による巡り会いとでもいうように嬉しくてたまらない様子をして見せたので私はまごついた。p216
彼はゲームによっては目を見張るほど上手かったのだ。p217
唯一の罪は形をふまないことだった。
ついに彼とは誰も、この私でさえ「ストゥープ・ボール」をしたがらなくなった。
「ストゥープ・ボール」道路のこちら側の建物の玄関にぶつけたボールが向う側の建物の壁とぶつかって返ってくればホームランになる遊び
彼はビー玉遊びも達人だった。p219
シーモア(12歳)はバディに「そうムキにならずに狙ってごらんよ。狙って当てたって、それは単なる運だよ」と言い、
バディは「狙えば、運じゃないじゃないか」と反撃した。p221
シーモアいわく「アイラ(友だち)のビー玉にぶつけたら“嬉しい”だろう。心ではそんなに期待してなかったからだよ。
だからそこには運がはたらいているはずなんだ」p222
私はどこまで読者のことを知ってるというのか?
私は互いに不必要に当惑することなく、どれだけのことを伝えられるというのか?p223
(バディは全身汗だくになって、3時間床で寝てしまっていた
シーモアが私のダヴェガの自転車だと気づいた。
シーモア15歳、私が13歳の時、ラジオを聞こうと居間に入ると、怒った両親と、泣いているウェーカーがいた。
理由は、今朝、ウェーカーとウォルトの双子兄弟は、誕生日プレゼントにずっと欲しかったおそろいの自転車をもらったが、
ウェーカーはそれを見知らぬ男の子にあげてしまったから。
理由は、その子は今まで一度も自転車を持ったことがなくて欲しかったからだという。
興味深く見つめていたシーモアは、数分でこの険悪な雰囲気を互いがキスしあうほどに仲直りさせた p226
「聖人ハ躊躇シテ以テ事ヲ興シ、毎(くら)キヲ以テ功ヲ成ス」
(聖人はためらいがちに事を興し、なるに任せて功を成す「荘子」)
(ビー玉の話に戻って)私は彼が、日本の弓の達人が的を狙わないようにという教えに近いものを感じた。
鋭敏な耳には、「禅」が急速にかなり汚れた流行語になりつつあり、皮相的であるにしても、大いに正当性を持っているように響く。
「皮相的」上っ面だけであること。表面だけしか捉えていないさま。
純粋な禅は私のような俗物が消えた後でもこの世に残る。
私たちの東洋哲学の根源は、新・旧約聖書、一元論的バラモン教、古代道教に根ざしていると言ったらおかしいだろうか?p227
大方の男性喫煙家は、吸殻が籠に入ろうが入るまいが構わないという時、初めて真の名人になる。p228
これは隠れたる事実だが、えいっ、ぶちまけてしまおう。
9つくらいの頃、私は自分が世界一足の速い子だと思っていた。p229
(ベシーにアイスを買ってくるよう頼まれ、必要以上に猛スピードで走っていたら、
シーモアが走ってきてセーターを掴んだ。
「一体どうしたっていうだ? 何があったんだ」
バディは暴言を吐いたっぽいが、シーモアは芯からホッとした様子で「あんまり脅かすなよ!」と言った。
私は意気阻喪もしなかった。1つは、私を追い越したのが彼だったから。
私は、どんな場合でも「結末」にくると、いつも心が挫ける。
あのチェーホフいじめのサマセット・モームが「発端」「展開」「結末」と呼んだものがあるというだけで、
私は子どもの頃からどれだけ短篇小説を破り捨てたか?
まだ1つ2つ肉体的特徴について追加したいことも残っているが、もう持ち時間がなくなったと強く感じている。p231
どんなつたない文章にせよ、何が善で、何が真実か意識しないわけにいかない。
あの恐るべき307番教室(バディが教鞭をとっている)に行くこと以上に重要なことは何もないということを。
あの教室にいる娘たちは、ブー・ブーやフラニーと同じように、私の妹でない娘は1人としていない。
かつてシーモアは、我々が一生の間にすることは、結局聖なる大地の小さな場所を
次から次へと渡って行くことだ、と言ったことがある。p232
[“原注”からのメモ]
外国語をいとも簡単に習得できるという私たち3人の生来の奇妙な性格。
優れた日本の短詩は、俳句、川柳も、R.H.ブライズの訳だと格別の満足感をもって読める。p234
極めて個人的な理由から、詩の正式の所有者である詩人の未亡人によって、ここでは、いかなる箇所を引用することも許されていない。p235
【あとがき~野崎孝~内容抜粋メモ】
サリンジャーの場合、「あとがき」を書くのは、いかにも気の進まない作業だ。
いわゆる「解説」はおろか、略歴も、原作にないものはいっさい付け加えてはならないというのが
サリンジャー自身からの強い要求だからである。(じゃあ、これを書いているのは説得したから?
サリンジャーがグラース家の連作の執筆を初めて口に出したのは『フラニーとズーイ』のジャケットにおいて。1961年。
同文でこの構想は古くからあり、すでに2編発表していると言明している。
おそらく「バナナフィッシュに最良の日」と「コネチカットのウィグリおじさん」。
しかし、上の2編と「小舟にて」では、まだグラースの姓を与えられていないし、
シーモアと血縁関係を結ぶに至るのは「大工たちよ、屋根の梁を高く上げよ」から。
いかにも異質な人間同士に見えるシーモアとミュリエルの夫婦の理由もそこで明かされる。
しかし、他にも大きな謎がある。シーモアの自殺をめぐる疑問だ。
『シーモア-序章-』は、この問題を解決しようとするサリンジャーの力業と言える。
「言葉」という甚だ不備な媒体を用いて読者と繋がるしかない作者の苦悩。
既往の方法では伝えがたいものであるほど、作者の苦悩は深まるばかりだ。
マイケル・クラークソンという、カナダのニュース雑誌の若手記者が、
ニュー・ハンプシャー州のコーニッシュを訪れ、サリンジャーの聖域に侵入し、
かつてなんぴとも果たさなかったこの有名な「隠者」との面談をやってのけたそう。
彼は探訪記として発表(『中央公論』1980年4月号に訳載)したが、
おそらく隠し撮りしたと思われる2枚の写真を見た私は、おぼろげな姿から
はしなくも(図らずも)連続テレビドラマでリチャード・キンブル博士を演じるデヴィッド・ジャンセンの俤を連想した。
『逃亡者』
*
サリンジャーで検索したら、こんなのもひっかかった。
ニコラス・ホルト主演のサリンジャー映画、ホイット・バーネット役にケビン・スペイシー
J・D・サリンジャーの伝記映画が2本競作へ
ニコラス・ホルトがサリンジャーに 「ライ麦畑でつかまえて」創作背景を描く新作
本書は昭和62年14刷発行のものだが、その巻末には、短大時代に推薦図書にリストアップされていた
いかにも名作中の名作が紹介されていて、欧米文学好きで、制覇癖のある私としては、気になった
タイトルだけ知っているものだとヘンリー・ミラーの『北回帰線』、
児童書として大好きなチェーホフの『桜の園・三人姉妹』などなど。
まだまだ世の中には読んでいない名作がたくさんある。今生で読みきれないのが残念至極。
J・D・サリンジャー/著 野崎孝、井上謙治/訳
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
前回、サリンジャー選集4『九つの物語 大工たちよ、屋根の梁を高く上げよ』(荒地出版社)には
「シーモア-序章-」が収録されていないことに気づいた。
昔、読んだかもしれないけれども、収録されている本書を借り直してみたら、読んだ記憶は全然よみがえってこなかった
「大工よ 屋根の梁を高く上げよ」と今作は、サリンジャーいわく、バディが書いているという設定。
敬愛し、神のごとく崇拝していた兄シーモア亡き後、彼のことを徹底的に語っている。
「この上ない幸せな気分」だとして、シーモアを語るのに、自分が平常心ではないことを強調し、
親愛なる読者についてきてもらうか、もしくは途中で読むのをやめるチャンスを何度も与えるとまで言っている。
読後、サリンジャーは、この序章ですでにシーモアを語り尽くしてしまったように思えた。
シーモアとグラース家を知る上でとても興味深いけれども、なにせ、自称、一番近くにいて、
2人は似ているとさえ言われていたバディゆえに、一筋縄ではいかない。
1つのエピソードを話すにも、1000もの言葉を駆使して、意識的に遠回りし、寄り道し、
時には、親愛なる読者のために、一般的に分かりやすく説明しようと試みようともするが、
彼にとって“普通に”シーモアを語ることなど不可能に思われるくらい、読んでいると1行ごとに迷宮に入ってしまう。
一体何について話しているのか、話そうと試みているのか理解するだけでも、
数行ごとに集中し直して読み返さなければならなかったが、ファンにとっては甘美な苦痛とも言える。
短篇だと思っていたら、想像より長い。もっともだとも思う。
これを読んだからといって、シーモアの性格、自死の理由は永久に分からない。
そのほうがいいとも思った。
【内容抜粋メモ】(この内容を一貫してまとめることは、私の脳みそでは到底ムリなので、断片的なメモに留める
これを書いているバディは40代。9ヶ国語がペラペラ、そのうち4ヶ国語は死語。
冒頭に「俳優たちと・・・」から始まるカフカの引用と、「それは(比喩的に言えば)・・・」はキェルケゴールの引用文がある。
彼らは病める、適応性不良の独身者。p114
「鳥は、あらゆる生物の中で、もっとも清純な心に近いように見えた」p110
シーモアは11歳の時、6時間45分にわたってフロイト学者の一団に調べられた。
現代では、病みながらも不思議と多作な詩人や画家についてもっとも多く言われていることは、
明らかに「古典的な」ノイローゼ患者で、奇矯さを棄てようとする変わり者だということ。
わが家の傑物が存命中、私は彼を鷹のように見張っていた。
彼は苦痛だけでなく、救いを求めて悲鳴をあげたが、どこが痛むのか言葉で知らせることは拒んだ。
あれほどの量の苦痛はどこから生じるのだろうか? その原因は何か?p117
精神分析家の中で唯一無二の偉大な詩人はフロイトだったことは間違いない。
真の芸術家たる賢者、美を生みだす力を持つ愚者は、主として自らの神聖なる人間的良心の目くるめく形象や
色彩によって目がくらみ、死に至るということだ。p118
シーモアは31歳の時、妻とフロリダに旅行滞在中、自殺した。
彼は私たちにとっていっさいの“ほんもの”だった。
彼が自殺を計画しようとしまいと、彼はいつも私と気が合って、一緒にうろつき回った唯一の人間であり~
私の最初の計画はシーモアについての短篇小説を書き「シーモア第一部」と名づけることだった。p120
彼の言語生活に関して。
時に何週間もほとんど口をきかないか、そうでなければとめどもなく喋り続けるかのどちらかだった。
彼が霊感を受けた饒舌家だときっぱりと言っておく。p123
直接、シーモアに関する2つの短篇小説を書いて出版した。
あれを書いたのは、死からまだ2ヶ月しか経っておらず、私自身ヨーロッパの戦場から帰ったばかりだった。
遠くに離れている家族の何人かは、私が文章を発表するたびに、いつも些細な誤りを拾い出す。
1948年から、私は兄の死まで、軍隊の内外で、184編の短詩を書いた1冊のルーズリーフの上に腰をおろしてきた。p127
(シーモアが書いたもので、10年以上も出版すべきか悩んでいる
※衒学:学問や知識をひけらかすこと。
※パラグラフ:1 文章の節または段落。 2 新聞・雑誌などの短い記事。
バディは森の奥深くの質素な小屋で独り暮らしをしているが、
家族などからの郵便に威圧される一種の文学的自閉症患者だという。
第一級の詩は、優れた、通常効き目の早い熱療法の一形式なのである。p130
シーモアは思春期の大部分、成人してからずっと、はじめは中国、やがて日本の詩に深く惹かれた。
それは特に耳に快く響く。p131
両親は正式に寄席演芸界を引退しようとして記念パーティを開いた。
客が来た時、私たちはまだ眠っていたが、シーモアはほとんどすべての客に各自のコートを間違えずに持ってきた。p133
かの偉大な一茶は、嬉々として庭に一輪の大輪の牡丹があると助言してくれる。
それ以上でも以下でもない
私に真の詩人は素材を選ばないという確信を与える。p134
タンリは93歳の時、自分の富が身を滅ぼしそうだと打ち明けた。
シーモアが正式に詩を書き始めたのは11歳の時。p135
あの詩はあまりに非西欧的、あまりに蓮の花的だからだ。
自分の詩には現実を反映するものは何ひとつない、と彼は言った。p137
詩人の役目は書かねばならぬものを書くのではなく、むしろ書かねばならぬことを、
年老いた司書たちを人間的に可能なかぎり1人でも多く引きつけるように意図した文体で書くという
責務を果たすか否かにかかっている場合に、書くであろうと思われることを書くことだ、と信じている。
シーモアは死の前、3年以上、老匠が味わうもっとも深い満足すら味わっていたに違いない。
日本古来の3行、17音節の俳句を愛し、彼自身も俳句を詠んだ。
私がその中から好きな詩があるとすれば、最後の2編だ。p141
試作する人間でユダヤの血をひいている者は自分の手と奇妙に親密な関係をもって暮らしている。p143
私は幼い頃から30代を過ぎるまで、1日に少なくとも25万語は読んでいた。p144
シーモアは自殺した日の午後、ホテルの部屋の備え付け吸い取り紙に、古典様式の俳句を書いている。p146
本当に非消耗品的ともいうべき詩人はせいぜい3、4人しかいない。p147
真の芸術家はあらゆるものを失っても(たとえ賞賛されなくなっても)生きるものだと私は気づいている。p148
多くの人々は、個人的になにかけばけばしい「欠陥」を持つ芸術家や詩人に対して、
熱狂的反応を示すことは、議論の余地がないほど真実であるようにみえる。p153
グラース病は、腰と下腹部の病理的痙攣で、40歳以下の人間が近づくのを見ると急に駆け出し、反対側の道路に渡ったりするのだ。p155
わが家の連中は、歌ったり、踊ったり、おかしな冗談を言う。p156
曽祖父の1人ゾゾは、非常に有名な巡業サーカスの道化師だった。p157
楽屋裏でベシー(母)の双生児の妹が栄養失調で倒れたことがあった。
ゾーイーとフラニーが生まれ、長期にわたったギャラガー&グラースの巡業は正式に終わりを告げた。p158
死んだ弟のウォルトも、ずっと職業的な意味でのダンサーだった。p159
バディは2ヵ月半、急性肝炎で寝込み、いったん文章を中断していたことを明かす。p162
シーモアは11歳の時、放送中、聖書の中で一番気に入っている言葉は「ウォッチ!(見守れ)」だと言った。
私は、新しい短篇小説を書くたびシーモアに見てもらうのが習慣だった。p165
シーモアのバディの作品への評論の抜粋:
お前は彼(登場人物)が使う“畜生”という言葉をぜんぶ非難している。
誰かが「こんちくしょう」と言う時、それは卑俗な形をとった一種の祈りに他ならないのじゃないかな。
神には冒とくということが分からないと僕は思う。そんなものは牧師たちの発明した小うるさい言葉だ。p167
シーモアからのもっとも長い手紙:
僕たちの間にある皮膜はとても薄い。
お前と僕のどっちが言った言葉か絶えず気にすることがそれほど重要だろうか?p172
お前の小説について、あまり僕の意見に頼るのは良いとは思えない。
首吊りから救うほとんど唯一のものは、罪とは知識の不完全な形だということだ。
不完全だというだけで、知識が役に立たないということにはならない。p173
徴兵の登録にお前が「著述業」と記入した。今までこんなに美しい婉曲な言い方を聞いたことがない。
ものを書くのがお前の宗教である以上、お前が死んだ時、それが長編か短編かなど聞かれないだろう。
お前は心情を書き尽くすことに励んだか?
お前は作家になるずっと前から読者だった。
もしバディが好むものを選べるなら、どんな文章を一番読みたがっているか自分に問うてみることだ。
1人で書くということだけだ。p177
***********ここからバディはシーモアの肉体的特徴について延々と書き始める
床屋で彼の毛が飛び散って自分にかかるのを嫌がった時、彼はすぐにそのことで悩みはじめた。p180
19歳頃ごっそり抜けはじめるまで彼の髪は剛くて黒かった。
鼻も目立っていた。p182
読者は人数の多い家族についてどれだけ知っているだろうか?
年上の兄なら、弟妹たちの家庭教師や相談役を引き受けさせられると、監督者にならざるをえない。p183
シーモアは教壇に立って2年目、教える仕事で意欲を失わせるようなことは何かと尋ねたら、
1つだけあるとすれば、大学図書館の書物の余白にある鉛筆の書き込みを読むとぎょっとすることがあると言った。
私が恐れるのは、この本に出てくる「もう1人の人間」と違って、自殺して、
あとに残った「愛する家族全員」を途方に暮れさせるほど「わがまま」でなかったことを魅力的だと思うタイプの読者がいることだ。p186
(バディは記憶力もいい)
私はシーモアを鮮やかに思い出せる。頭がだいぶ禿げてきたり、下士官のシャツを着て、結跏趺坐で瞑想していたり。p188
ベシーにとってシーモアは「のっぽ」だった。p189
シーモアは真の俳優は重心が低くなければならないと堅く信じていた。p190
彼の表情はいつもあどけなかった。p191
耳は年老いた仏陀のように並外れて長く、耳たぶが厚かった。
(藪睨みの件は『ナインストーリーズ』の「テディ」にある)
彼と私が兄弟だと知る方法は1つ、鼻と顎を見ればいい。
顎はほとんどなかった。鼻は目立ち、ほとんど瓜二つ。p195
私たちは不器量だった。p197
シーモアはブー・ブーを無茶苦茶に可愛がっていた。家族以外の大抵の人たちも無茶苦茶に可愛がっていた。p198
1948年、私は彼について少なくとも12の短篇、スケッチを書いて、ぜんぶ燃やしてしまった
彼の手は非常にきれいだった。p200
「オール・オア・ナッシング」の散文作家や作家志望者には、非常に半陰陽的なところがあると私は堅く信じている。p201
私たちは活字になる時、今よりもっと臆病でなくなるのが不思議だ。
彼の肌は浅黒く、珍しいほどシミがなく、思春期もニキビひとつなく過ごした。p202
ベシーは本をほぼ読まないが、甥の誕生日にケイ・ニールセンの挿絵が入っている『太陽の東と月の西』を買った。
私には、彼女とかの有名なアイルランド人の運の好さが関係していると思う。p205
シーモアは素晴らしくきちんとした服を選んだが、一番厄介なのは、彼の買うものはすべてぴったり合ったことがないことだ。p206
第一級の詩の最終草稿を仕上げるには、逞しい神経の力ばかりでなく、正真正銘の肉体的スタミナがかなり必要だ。
私は兄のようにほとんど疲れを知らぬ男に出会ったことがない。
シーモアは12歳の頃から、何かに夢中になると、2晩、3晩、一睡もせずに続けたが、それで様子が変わることはなかった。p210
シーモアは運動家、ゲーム愛好家だった。
私自身、ずっと野球のファンだった。p211
私たちと一緒にラジオに出ていたカーティス・コールフィールド(まさかとドキっとしたが、ホールデンとは無関係のようだ)は、
太平洋のある上陸作戦で戦死してしまった。p212(でも、ホールデン兄弟を思い出させるじゃないか/驚
彼のテニスもそれに劣らず凄まじく、同様に酷かった。p214
フットボールでは、相手方にいたシーモアは、私が彼の方向に攻めて行くのを見ると、
まるで思いもよらぬ、途方もない、摂理による巡り会いとでもいうように嬉しくてたまらない様子をして見せたので私はまごついた。p216
彼はゲームによっては目を見張るほど上手かったのだ。p217
唯一の罪は形をふまないことだった。
ついに彼とは誰も、この私でさえ「ストゥープ・ボール」をしたがらなくなった。
「ストゥープ・ボール」道路のこちら側の建物の玄関にぶつけたボールが向う側の建物の壁とぶつかって返ってくればホームランになる遊び
彼はビー玉遊びも達人だった。p219
シーモア(12歳)はバディに「そうムキにならずに狙ってごらんよ。狙って当てたって、それは単なる運だよ」と言い、
バディは「狙えば、運じゃないじゃないか」と反撃した。p221
シーモアいわく「アイラ(友だち)のビー玉にぶつけたら“嬉しい”だろう。心ではそんなに期待してなかったからだよ。
だからそこには運がはたらいているはずなんだ」p222
私はどこまで読者のことを知ってるというのか?
私は互いに不必要に当惑することなく、どれだけのことを伝えられるというのか?p223
(バディは全身汗だくになって、3時間床で寝てしまっていた
シーモアが私のダヴェガの自転車だと気づいた。
シーモア15歳、私が13歳の時、ラジオを聞こうと居間に入ると、怒った両親と、泣いているウェーカーがいた。
理由は、今朝、ウェーカーとウォルトの双子兄弟は、誕生日プレゼントにずっと欲しかったおそろいの自転車をもらったが、
ウェーカーはそれを見知らぬ男の子にあげてしまったから。
理由は、その子は今まで一度も自転車を持ったことがなくて欲しかったからだという。
興味深く見つめていたシーモアは、数分でこの険悪な雰囲気を互いがキスしあうほどに仲直りさせた p226
「聖人ハ躊躇シテ以テ事ヲ興シ、毎(くら)キヲ以テ功ヲ成ス」
(聖人はためらいがちに事を興し、なるに任せて功を成す「荘子」)
(ビー玉の話に戻って)私は彼が、日本の弓の達人が的を狙わないようにという教えに近いものを感じた。
鋭敏な耳には、「禅」が急速にかなり汚れた流行語になりつつあり、皮相的であるにしても、大いに正当性を持っているように響く。
「皮相的」上っ面だけであること。表面だけしか捉えていないさま。
純粋な禅は私のような俗物が消えた後でもこの世に残る。
私たちの東洋哲学の根源は、新・旧約聖書、一元論的バラモン教、古代道教に根ざしていると言ったらおかしいだろうか?p227
大方の男性喫煙家は、吸殻が籠に入ろうが入るまいが構わないという時、初めて真の名人になる。p228
これは隠れたる事実だが、えいっ、ぶちまけてしまおう。
9つくらいの頃、私は自分が世界一足の速い子だと思っていた。p229
(ベシーにアイスを買ってくるよう頼まれ、必要以上に猛スピードで走っていたら、
シーモアが走ってきてセーターを掴んだ。
「一体どうしたっていうだ? 何があったんだ」
バディは暴言を吐いたっぽいが、シーモアは芯からホッとした様子で「あんまり脅かすなよ!」と言った。
私は意気阻喪もしなかった。1つは、私を追い越したのが彼だったから。
私は、どんな場合でも「結末」にくると、いつも心が挫ける。
あのチェーホフいじめのサマセット・モームが「発端」「展開」「結末」と呼んだものがあるというだけで、
私は子どもの頃からどれだけ短篇小説を破り捨てたか?
まだ1つ2つ肉体的特徴について追加したいことも残っているが、もう持ち時間がなくなったと強く感じている。p231
どんなつたない文章にせよ、何が善で、何が真実か意識しないわけにいかない。
あの恐るべき307番教室(バディが教鞭をとっている)に行くこと以上に重要なことは何もないということを。
あの教室にいる娘たちは、ブー・ブーやフラニーと同じように、私の妹でない娘は1人としていない。
かつてシーモアは、我々が一生の間にすることは、結局聖なる大地の小さな場所を
次から次へと渡って行くことだ、と言ったことがある。p232
[“原注”からのメモ]
外国語をいとも簡単に習得できるという私たち3人の生来の奇妙な性格。
優れた日本の短詩は、俳句、川柳も、R.H.ブライズの訳だと格別の満足感をもって読める。p234
極めて個人的な理由から、詩の正式の所有者である詩人の未亡人によって、ここでは、いかなる箇所を引用することも許されていない。p235
【あとがき~野崎孝~内容抜粋メモ】
サリンジャーの場合、「あとがき」を書くのは、いかにも気の進まない作業だ。
いわゆる「解説」はおろか、略歴も、原作にないものはいっさい付け加えてはならないというのが
サリンジャー自身からの強い要求だからである。(じゃあ、これを書いているのは説得したから?
サリンジャーがグラース家の連作の執筆を初めて口に出したのは『フラニーとズーイ』のジャケットにおいて。1961年。
同文でこの構想は古くからあり、すでに2編発表していると言明している。
おそらく「バナナフィッシュに最良の日」と「コネチカットのウィグリおじさん」。
しかし、上の2編と「小舟にて」では、まだグラースの姓を与えられていないし、
シーモアと血縁関係を結ぶに至るのは「大工たちよ、屋根の梁を高く上げよ」から。
いかにも異質な人間同士に見えるシーモアとミュリエルの夫婦の理由もそこで明かされる。
しかし、他にも大きな謎がある。シーモアの自殺をめぐる疑問だ。
『シーモア-序章-』は、この問題を解決しようとするサリンジャーの力業と言える。
「言葉」という甚だ不備な媒体を用いて読者と繋がるしかない作者の苦悩。
既往の方法では伝えがたいものであるほど、作者の苦悩は深まるばかりだ。
マイケル・クラークソンという、カナダのニュース雑誌の若手記者が、
ニュー・ハンプシャー州のコーニッシュを訪れ、サリンジャーの聖域に侵入し、
かつてなんぴとも果たさなかったこの有名な「隠者」との面談をやってのけたそう。
彼は探訪記として発表(『中央公論』1980年4月号に訳載)したが、
おそらく隠し撮りしたと思われる2枚の写真を見た私は、おぼろげな姿から
はしなくも(図らずも)連続テレビドラマでリチャード・キンブル博士を演じるデヴィッド・ジャンセンの俤を連想した。
『逃亡者』
*
サリンジャーで検索したら、こんなのもひっかかった。
ニコラス・ホルト主演のサリンジャー映画、ホイット・バーネット役にケビン・スペイシー
J・D・サリンジャーの伝記映画が2本競作へ
ニコラス・ホルトがサリンジャーに 「ライ麦畑でつかまえて」創作背景を描く新作
本書は昭和62年14刷発行のものだが、その巻末には、短大時代に推薦図書にリストアップされていた
いかにも名作中の名作が紹介されていて、欧米文学好きで、制覇癖のある私としては、気になった
タイトルだけ知っているものだとヘンリー・ミラーの『北回帰線』、
児童書として大好きなチェーホフの『桜の園・三人姉妹』などなど。
まだまだ世の中には読んでいない名作がたくさんある。今生で読みきれないのが残念至極。