■熊谷守一美術館 33周年展@豊島区立熊谷守一美術館(2018.6.19)
実施日:2018年5月11日(金曜日)から6月24日(日曜日)
実施時間:午前10時30分から午後5時30分(金曜日のみ午後8時まで) ※入館は閉館の30分前まで
『モリのいる場所』(2017 ネタバレ注意
映画を観て、今回しか観られない作品がたくさん観られるかもしれないと思い
久しぶりに美術館に行ってきた
梅雨の合間のよく晴れた、穏やかな青空
大阪で酷い地震が起こり、犠牲者が大勢出たなんて信じられない
みんな、心穏やかに暮らせますように/祈×∞
*
要町駅出口1番から出て、2丁目の信号で曲がり、徒歩10分~15分ほど
途中、途中に矢印看板が出ているので分かりやすい
蟻の描かれた壁、彫刻など、建物自体も面白い
ドアのところにもモリカズさんの「日輪」の絵がほどこされていて
この美術館館は細部にわたって遊び心満載で、とても居心地がいい
次々とお客さんは来るけれども、いつ来てもそれほど混まないし
今日も1部屋にしばらく1人だけで、座って作品の世界にじっくり浸ることが出来た
もらうチケット、カード、パンフレットもいちいち可愛い
*
1Fは常設展で、展示作品はほぼ変わらない
2Fはクレパスで描いたデッサンに近いもの、油絵の具を塗りたくったもの、いろいろある
3Fは書、墨絵と大まかに分けられている
所々に由縁のある別の作家さんの彫刻などもあり、猫のモチーフが多いからほっこりする
1F入って前が受付、右はカフェで、飲食する席(持ち込みOK)、書籍棚がある寛ぎスペース
その後ろには元館長で次女・熊谷榧さんの絵(モリカズさんのタッチに似ている牧場?)や、器などもある
ちょっとしたグッズ(ポストカード、クリアファイル、一筆箋など)もあり、
気になったポストカードを4枚ほど帰りに買ったv
*
目録を見ながら、作品の感想メモを書いた
【1F】
入ってすぐ、映画でも吸っていた愛用のパイプがあった
まるで木で手作りしたような素朴さ
有名な猫の絵がすぐに飾ってあるのはさすが
「アゲ羽蝶」
死の前年に描いた、油彩画の絶筆
生前つくった3つだけの彫刻
いずれも裸婦で、先日知った轢死のイメージもあるのだろうか?
フシグロセンノウの花が好きだったそうでその絵も多い
あらゆる花の絵もそれぞれ色遣いがとても可愛い
「あぢさい」「あさがを」など旧字もステキ
榧さん:
鳥も好きで、知人が送ってきてくれた鳥をたくさん飼っていたが
庭にくる野鳥には餌付けしなかったのがフシギだった
それぞれの作品に榧さんのコメントがついている
「いろは」墨の書
“いろはにほへと”って“あいうえお”よりずっと深みがあってイイよね
「一行阿闍梨」墨の書
モリカズさんが書くととても説得力がある
3Fの説明書きにあったが、熱心なコレクターの木村定三さんが
モリカズさんに書を書いてくれと言ったそう
「モリカズさんが書けば、字も絵になる」
一番奥には、遊びで弾いていたというチェロもある
すっかり弦が緩み、1本切れているが、そのまま楽しそうに弾いている写真も階段にあった
「仏前」
結核で若くして亡くなった長女・萬さんの供物に、当時貴重だった卵が3つ、黒い盆の上にある
なんとも切ない絵
日本人が購入し、一度アメリカ人に渡り、その後買い戻した
なぜか背景が白く塗り替えられていたため、モリは元の黄土色?に塗り直したというフシギな経緯がある
パリで個展が開かれた時(84)、魅了されて画廊主が購入し、
その後、美術館の何周年かの際に榧さんがプレゼントされたという絵のエピソードも面白い
榧さん:その頃は税関が厳しく、私は額から絵だけ外してサブバッグに入れて通った
「太郎稲荷」(ここかなあ→here
モリはここが好きで、若い頃に1ヶ月ほど通ったそう
画架
かなり大きく、木製のそこらじゅうに絵の具がついている
榧さん:
このパレット(これも大きい)はあまり使っていませんでした
椅子はモリの手作り 晩年、足を傷めて、これに座って描いていました
前回も画像を載せた「立秋の朝」「百日草」も好き
実際に見ると、筆を横にリズミカルに運ぶ跡が残っているのが感じられて、これは写真ではなかなか伝わらない
なんとも言えない色合いに癒されて、絵の前で時間を忘れて佇んでしまう
なんでもナマで観たほうが、肌、感覚に訴える力が全然違う
フレームもそれぞれ凝っている
【階段】
この建物自体がとてもフシギだと毎回思う
ブロックを積み重ねたような無機質さと、木の温かみ
階段の手すりには、滑り止めの蔦のようなものが巻かれている
そこかしこに写真や、彫刻がある中で可愛かったのは、
「猫(Cat)」「みつめる猫」長島伸夫
顔部分だけがえぐったような平面だけど、愛嬌のある顔を向けていて、なんともカワイイ!
これは別の画像を拝借
「抽象的なトルソ」菅沼五郎
榧さんは、この長い棒のような作品が気に入って、モリの作品と交換したそう
その他、菅沼緑さんなどなど
20才前のモリカズさんの写真はとってもハンサム
二科会の研究所で絵の指導をしていて、生徒さんの中には有名な画家さんもいた(名前ど忘れ
「父と子」榧
当時、日常的に使っていたちゃぶ台に彫刻した/驚
寝転ぶモリと、猫を抱いた子ども ほのぼのとした一瞬が切り取られている
【2F】
部屋に入ってすぐ右側の、紙に鉛筆で描いた落書きのような絵など素朴でたまらない!
「うり/蛾/梅鉢草/がま」
左側のクレパスの「観世音菩薩」は、さらに単純化されていて、子どものような無邪気さ
「日輪」シリーズもいろいろあるんだなあ
色の組み合わせで印象も随分変わる
当時はほとんど理解されなかったそう
「地蔵菩薩」
油性ペンで描かれていて時代の流れを感じる(1974)
「風景」「百合」
かと思うと、急に絵の具をそのまま塗りたくったような作品もある
たしかに離れて観ると百合だ 私はこういう絵の具が盛り上がるくらいの絵も好き
「某夫人像」
榧さん:
妻・秀子を描いた あまりに古く、全体が暗かったため、修復してもらったら
あまりのなまめかしさにドキっとした
「自画像」
これまたハンサム
【3F】
「大蛙」墨絵
書のようで絵 カエルが大きい! カエルのモチーフも多いな
榧さん:
書を書くようになったのは敗戦後 コレクターの木村さんが書かせた
生前「書は余技だ」と画商にタダであげていた
その後、とても高値で売られていてビックリした
「忠孝」などは「自分らしくないから書けない」と言っていた
書は油彩画絶筆後、請われるまま、死の1ヶ月前まで書いた
「九十七才」とサインして「おれは歳を売りものにしてるんだ」と笑っていた
「ふくはうち」
その後、「をにはそと」とつづく
文字もこうして芸術になるのは、日本語だからか?
人柄、文字に込めた想いまで伝わる
「からすの群れ」墨絵
なぜか青いカラス
「三日月」墨絵
右側の棒のようなものは何だろう?
「すわる猫」
墨絵にしてもやっぱり可愛い
「守一ポートレート」
還暦って60歳? まだまだ若い 帽子とちゃんちゃんこは赤いのかな モノクロ
「唯我独尊」墨絵/書
こうした仏画もたくさん書いたんだな
「熊蜂といんげん」
これもイイ
<榧さんQ&A>
よく聞かれる質問に答えたものがプリントされて、テーブルに置いてあったので休憩がてらに読んだ
Q:生前どれほど描いたのか?
頼まれるまま書いて渡したりしていて、詳しい数字は分からないが、
油彩画は約1200、墨絵・書は約3000ほどと思われる
(知人や海外に渡ったりして、まだまだ無尽蔵に残ってるんじゃないかな
Q:展示替えはある?
常設部分では基本的にはない 修復等で抜けたところに別の作品を置くくらい
特別展では、他の美術館から借りてくるので、その時しか観られない
他の階は、季節によってかえることがある
Q:「ヤキバノカエリ」などはどこで観られる?
それぞれの美術館で展示されている
モリの故郷にある「熊谷守一つけち記念館」には約100点ある
Q:貧しかった話を聞いたことがあるがいつ頃?
もっとも貧しかったのは、子どもが生まれた頃
木村さんがモリの作品に惹かれ、その後、さまざまな人に知られるようになり
個展によって海外にも知られるようになった
Q:自宅に人の出入りが激しかったと聞きましたが?
私が結婚してから後がもっとも多く、いつも人で溢れていた
玄関がなく、誰でも入って来れるし、縁側にいると居留守も使えなかった(w
Q:「仙人」と言われていたが、実際はどう?
いつもそう言われていたがフツーの人 カルサンを履いて、床屋が嫌いだったため、そう言われたのでは
Q:「下手も絵のうち」とはどういう意味か?
日本経済新聞の連載を単行本化する際に担当者がつけた
モリは「絵は上手い、下手じゃない」と言いたかったのだと思う
「みんなが上手いという絵の中にもそうじゃないのもあるし、逆に下手だと言われる中には、優れたものがある」と言っていた
庭についても質問され、80坪ほどあったが、土地の区画整理の際、庭はなくしたとかなんとか
榧さんは、山の本もたくさん書いているんだな/驚
<その他もらったチラシ>
いつものごとく変な時間にお腹が空いて、駅前の蕎麦屋さんで山菜なめこそばを注文
奥さま3人で切り盛りしていて、女性がやっているお店は小綺麗で清潔感があって良い
お蕎麦も美味しくて、麺が多めだったけど完食できた/偉
帰りに気持ちよさげに寝ているにゃんこ発見
これもモリカズさん効果かな?
今日も充実した佳い1日でした/感謝×5000
追。
「熊谷守一美術館だより」を読んだら、先日観た映画『モリのいる場所』には
2018-05-30 13:31:43 | 映画
実際と違う部分もたくさんあったことが分かった
【内容抜粋メモ】
「モリの映画について」次女・榧 談
最初、映画会社から話を聞いて、最晩年の94歳の何もない1日を映画にして何が楽しいのかしら
お薦めしませんと伝えましたが、大変熱心だったので、脚本を読むことを条件に受けた
事実と違うところ、モリが絶対言わないセリフなどには何度もお手紙を出した
撮影前に監督がいらして、出来れば大きな修正をしないまま作らせて欲しい
映画はドキュメンタリーではなくフィクションだと理解して欲しい、と丁寧な説明を受けてw
結局、どうしてもというところ以外は、監督が書いた最初の脚本に近い感じで撮られたと思う
私はドラマや映画を全然観ないが、樹木希林さんを素敵な方だと思っていた
母は希林さんのように聡明ではなく、女学生のまま婆さんになったような人
庭、家の中はあんなに広くないです
モリは人が好きだったが、家に男の人をあげるのを嫌い、どんなに仲が良くても泊めたことがないから
映画のように知らない男が大勢居間で食事することはまず考えられない
家の敷地から一歩も出られなくなったのは最後の数年で
姪の恵美ちゃんも、実際はとても大人しい性格
あくまで映画は映画 心配なのはすべて事実だと誤解されないかしらってこと
勲章内示の電話のくだりなんかは特に
(劇場で私も含めて笑っていた人がいっぱいいたな 実際はどうだったのかのほうが気になる
映画に関わった多くの方の心に描いた熊谷守一が1つの作品になっているので
それを楽しんでいただければいいかなと思います
*
私は実在人物を描いた映画も大好きだけれども、そこに描かれていることを鵜呑みにするのは気をつけよう
メディアの絶大な影響力を考えれば、映画スタッフもせめて生き証人の言葉には忠実に描いて欲しかったなあ
実施日:2018年5月11日(金曜日)から6月24日(日曜日)
実施時間:午前10時30分から午後5時30分(金曜日のみ午後8時まで) ※入館は閉館の30分前まで
『モリのいる場所』(2017 ネタバレ注意
映画を観て、今回しか観られない作品がたくさん観られるかもしれないと思い
久しぶりに美術館に行ってきた
梅雨の合間のよく晴れた、穏やかな青空
大阪で酷い地震が起こり、犠牲者が大勢出たなんて信じられない
みんな、心穏やかに暮らせますように/祈×∞
*
要町駅出口1番から出て、2丁目の信号で曲がり、徒歩10分~15分ほど
途中、途中に矢印看板が出ているので分かりやすい
蟻の描かれた壁、彫刻など、建物自体も面白い
ドアのところにもモリカズさんの「日輪」の絵がほどこされていて
この美術館館は細部にわたって遊び心満載で、とても居心地がいい
次々とお客さんは来るけれども、いつ来てもそれほど混まないし
今日も1部屋にしばらく1人だけで、座って作品の世界にじっくり浸ることが出来た
もらうチケット、カード、パンフレットもいちいち可愛い
*
1Fは常設展で、展示作品はほぼ変わらない
2Fはクレパスで描いたデッサンに近いもの、油絵の具を塗りたくったもの、いろいろある
3Fは書、墨絵と大まかに分けられている
所々に由縁のある別の作家さんの彫刻などもあり、猫のモチーフが多いからほっこりする
1F入って前が受付、右はカフェで、飲食する席(持ち込みOK)、書籍棚がある寛ぎスペース
その後ろには元館長で次女・熊谷榧さんの絵(モリカズさんのタッチに似ている牧場?)や、器などもある
ちょっとしたグッズ(ポストカード、クリアファイル、一筆箋など)もあり、
気になったポストカードを4枚ほど帰りに買ったv
*
目録を見ながら、作品の感想メモを書いた
【1F】
入ってすぐ、映画でも吸っていた愛用のパイプがあった
まるで木で手作りしたような素朴さ
有名な猫の絵がすぐに飾ってあるのはさすが
「アゲ羽蝶」
死の前年に描いた、油彩画の絶筆
生前つくった3つだけの彫刻
いずれも裸婦で、先日知った轢死のイメージもあるのだろうか?
フシグロセンノウの花が好きだったそうでその絵も多い
あらゆる花の絵もそれぞれ色遣いがとても可愛い
「あぢさい」「あさがを」など旧字もステキ
榧さん:
鳥も好きで、知人が送ってきてくれた鳥をたくさん飼っていたが
庭にくる野鳥には餌付けしなかったのがフシギだった
それぞれの作品に榧さんのコメントがついている
「いろは」墨の書
“いろはにほへと”って“あいうえお”よりずっと深みがあってイイよね
「一行阿闍梨」墨の書
モリカズさんが書くととても説得力がある
3Fの説明書きにあったが、熱心なコレクターの木村定三さんが
モリカズさんに書を書いてくれと言ったそう
「モリカズさんが書けば、字も絵になる」
一番奥には、遊びで弾いていたというチェロもある
すっかり弦が緩み、1本切れているが、そのまま楽しそうに弾いている写真も階段にあった
「仏前」
結核で若くして亡くなった長女・萬さんの供物に、当時貴重だった卵が3つ、黒い盆の上にある
なんとも切ない絵
日本人が購入し、一度アメリカ人に渡り、その後買い戻した
なぜか背景が白く塗り替えられていたため、モリは元の黄土色?に塗り直したというフシギな経緯がある
パリで個展が開かれた時(84)、魅了されて画廊主が購入し、
その後、美術館の何周年かの際に榧さんがプレゼントされたという絵のエピソードも面白い
榧さん:その頃は税関が厳しく、私は額から絵だけ外してサブバッグに入れて通った
「太郎稲荷」(ここかなあ→here
モリはここが好きで、若い頃に1ヶ月ほど通ったそう
画架
かなり大きく、木製のそこらじゅうに絵の具がついている
榧さん:
このパレット(これも大きい)はあまり使っていませんでした
椅子はモリの手作り 晩年、足を傷めて、これに座って描いていました
前回も画像を載せた「立秋の朝」「百日草」も好き
実際に見ると、筆を横にリズミカルに運ぶ跡が残っているのが感じられて、これは写真ではなかなか伝わらない
なんとも言えない色合いに癒されて、絵の前で時間を忘れて佇んでしまう
なんでもナマで観たほうが、肌、感覚に訴える力が全然違う
フレームもそれぞれ凝っている
【階段】
この建物自体がとてもフシギだと毎回思う
ブロックを積み重ねたような無機質さと、木の温かみ
階段の手すりには、滑り止めの蔦のようなものが巻かれている
そこかしこに写真や、彫刻がある中で可愛かったのは、
「猫(Cat)」「みつめる猫」長島伸夫
顔部分だけがえぐったような平面だけど、愛嬌のある顔を向けていて、なんともカワイイ!
これは別の画像を拝借
「抽象的なトルソ」菅沼五郎
榧さんは、この長い棒のような作品が気に入って、モリの作品と交換したそう
その他、菅沼緑さんなどなど
20才前のモリカズさんの写真はとってもハンサム
二科会の研究所で絵の指導をしていて、生徒さんの中には有名な画家さんもいた(名前ど忘れ
「父と子」榧
当時、日常的に使っていたちゃぶ台に彫刻した/驚
寝転ぶモリと、猫を抱いた子ども ほのぼのとした一瞬が切り取られている
【2F】
部屋に入ってすぐ右側の、紙に鉛筆で描いた落書きのような絵など素朴でたまらない!
「うり/蛾/梅鉢草/がま」
左側のクレパスの「観世音菩薩」は、さらに単純化されていて、子どものような無邪気さ
「日輪」シリーズもいろいろあるんだなあ
色の組み合わせで印象も随分変わる
当時はほとんど理解されなかったそう
「地蔵菩薩」
油性ペンで描かれていて時代の流れを感じる(1974)
「風景」「百合」
かと思うと、急に絵の具をそのまま塗りたくったような作品もある
たしかに離れて観ると百合だ 私はこういう絵の具が盛り上がるくらいの絵も好き
「某夫人像」
榧さん:
妻・秀子を描いた あまりに古く、全体が暗かったため、修復してもらったら
あまりのなまめかしさにドキっとした
「自画像」
これまたハンサム
【3F】
「大蛙」墨絵
書のようで絵 カエルが大きい! カエルのモチーフも多いな
榧さん:
書を書くようになったのは敗戦後 コレクターの木村さんが書かせた
生前「書は余技だ」と画商にタダであげていた
その後、とても高値で売られていてビックリした
「忠孝」などは「自分らしくないから書けない」と言っていた
書は油彩画絶筆後、請われるまま、死の1ヶ月前まで書いた
「九十七才」とサインして「おれは歳を売りものにしてるんだ」と笑っていた
「ふくはうち」
その後、「をにはそと」とつづく
文字もこうして芸術になるのは、日本語だからか?
人柄、文字に込めた想いまで伝わる
「からすの群れ」墨絵
なぜか青いカラス
「三日月」墨絵
右側の棒のようなものは何だろう?
「すわる猫」
墨絵にしてもやっぱり可愛い
「守一ポートレート」
還暦って60歳? まだまだ若い 帽子とちゃんちゃんこは赤いのかな モノクロ
「唯我独尊」墨絵/書
こうした仏画もたくさん書いたんだな
「熊蜂といんげん」
これもイイ
<榧さんQ&A>
よく聞かれる質問に答えたものがプリントされて、テーブルに置いてあったので休憩がてらに読んだ
Q:生前どれほど描いたのか?
頼まれるまま書いて渡したりしていて、詳しい数字は分からないが、
油彩画は約1200、墨絵・書は約3000ほどと思われる
(知人や海外に渡ったりして、まだまだ無尽蔵に残ってるんじゃないかな
Q:展示替えはある?
常設部分では基本的にはない 修復等で抜けたところに別の作品を置くくらい
特別展では、他の美術館から借りてくるので、その時しか観られない
他の階は、季節によってかえることがある
Q:「ヤキバノカエリ」などはどこで観られる?
それぞれの美術館で展示されている
モリの故郷にある「熊谷守一つけち記念館」には約100点ある
Q:貧しかった話を聞いたことがあるがいつ頃?
もっとも貧しかったのは、子どもが生まれた頃
木村さんがモリの作品に惹かれ、その後、さまざまな人に知られるようになり
個展によって海外にも知られるようになった
Q:自宅に人の出入りが激しかったと聞きましたが?
私が結婚してから後がもっとも多く、いつも人で溢れていた
玄関がなく、誰でも入って来れるし、縁側にいると居留守も使えなかった(w
Q:「仙人」と言われていたが、実際はどう?
いつもそう言われていたがフツーの人 カルサンを履いて、床屋が嫌いだったため、そう言われたのでは
Q:「下手も絵のうち」とはどういう意味か?
日本経済新聞の連載を単行本化する際に担当者がつけた
モリは「絵は上手い、下手じゃない」と言いたかったのだと思う
「みんなが上手いという絵の中にもそうじゃないのもあるし、逆に下手だと言われる中には、優れたものがある」と言っていた
庭についても質問され、80坪ほどあったが、土地の区画整理の際、庭はなくしたとかなんとか
榧さんは、山の本もたくさん書いているんだな/驚
<その他もらったチラシ>
いつものごとく変な時間にお腹が空いて、駅前の蕎麦屋さんで山菜なめこそばを注文
奥さま3人で切り盛りしていて、女性がやっているお店は小綺麗で清潔感があって良い
お蕎麦も美味しくて、麺が多めだったけど完食できた/偉
帰りに気持ちよさげに寝ているにゃんこ発見
これもモリカズさん効果かな?
今日も充実した佳い1日でした/感謝×5000
追。
「熊谷守一美術館だより」を読んだら、先日観た映画『モリのいる場所』には
2018-05-30 13:31:43 | 映画
実際と違う部分もたくさんあったことが分かった
【内容抜粋メモ】
「モリの映画について」次女・榧 談
最初、映画会社から話を聞いて、最晩年の94歳の何もない1日を映画にして何が楽しいのかしら
お薦めしませんと伝えましたが、大変熱心だったので、脚本を読むことを条件に受けた
事実と違うところ、モリが絶対言わないセリフなどには何度もお手紙を出した
撮影前に監督がいらして、出来れば大きな修正をしないまま作らせて欲しい
映画はドキュメンタリーではなくフィクションだと理解して欲しい、と丁寧な説明を受けてw
結局、どうしてもというところ以外は、監督が書いた最初の脚本に近い感じで撮られたと思う
私はドラマや映画を全然観ないが、樹木希林さんを素敵な方だと思っていた
母は希林さんのように聡明ではなく、女学生のまま婆さんになったような人
庭、家の中はあんなに広くないです
モリは人が好きだったが、家に男の人をあげるのを嫌い、どんなに仲が良くても泊めたことがないから
映画のように知らない男が大勢居間で食事することはまず考えられない
家の敷地から一歩も出られなくなったのは最後の数年で
姪の恵美ちゃんも、実際はとても大人しい性格
あくまで映画は映画 心配なのはすべて事実だと誤解されないかしらってこと
勲章内示の電話のくだりなんかは特に
(劇場で私も含めて笑っていた人がいっぱいいたな 実際はどうだったのかのほうが気になる
映画に関わった多くの方の心に描いた熊谷守一が1つの作品になっているので
それを楽しんでいただければいいかなと思います
*
私は実在人物を描いた映画も大好きだけれども、そこに描かれていることを鵜呑みにするのは気をつけよう
メディアの絶大な影響力を考えれば、映画スタッフもせめて生き証人の言葉には忠実に描いて欲しかったなあ