私は「源氏物語」は漫画でしか読んだことがない
清少納言のほうが好きで、学生時代に「枕草子」がとても好きだった
確か短大の面接の際にも、好きな作家として答えた
「彼女は平安時代のワーキングウーマンで、尊敬している」というようなことを言った気がする
【内容抜粋メモ】
「春はあけぼの ようよう白くなりゆく山際 少しあかりて」
春の夜明けの美しさを見事に捉えた「枕草子」の一節です
国語の時間 誰もが習った枕草子
実は、平安女性の日常を綴ったブログのような内容だった
そこに描かれているのは、貴族達の華麗なファッションや 憧れのスイーツ 甘い恋の駆け引き
千年前の平安女子のトキメキが詰まった宝箱を開けてみましょう
清少納言役:上原多香子
■エピソード1 枕草子 トキメキの旅へ
今から1000年前 きらびやかな宮廷文化が花開いた平安時代
その新しい文化の担い手として活躍していたのは清少納言等宮中に仕える女性でした
清少納言が日々見聞きした出来事などをまとめたエッセイ それが枕草子です
もしかして 現存しているのか?写しか?
この作品は300余りの章から成り立っています
大きく分けると日記のように出来事を記録した部分が約1/3
残りは心の赴くままに 思いついたことや 素敵だと感じたことなどを書き留めたもの
枕草子は 当時の最先端の女性が何にときめいていたのかを知ることができる、平安文化のカタログのような作品なのです
枕草子を読むとまず目を引くのが「ファッション」についての記述
「宮様は白い着物の上に くれないの からあやを羽織っていらっしゃる
それはもう美しくて 夢を見ているような気持ちになる」
「大納言様の 紫のお召し物は とても趣があって素敵」
1000年前も今と同じ 華やかな服に心を奪われる様子が分かります
平安時代の装束を復元している博物館を訪ねました
学芸員さとみさん:
こちらは清少納言の時代の多くの女性の正装の十二単です
特徴は何枚も重ね着をすること 単(ひとえ)と呼ばれる肌着の上に
ウチキと呼ばれる 色とりどりの着物を重ね着していきます
上着とから衣を羽織って 合計9枚
十二単とは言っても 12枚というわけではないんだそうです
最後に 後ろに長く引きずる裳(も)をつけて完成
上原:思ったよりは 重くないですね 不思議と ただ、身動きは全く取れない
清少納言の時代 重ね着の枚数に決まりはなく 中には十数枚重ねて着ていた人もいたそうです
「枕草子」には着物のトキメキポイントがこう記されています
「さくらや、かいねりかさね、すおうかさねも素敵 藍や白の重ねも綺麗」 (ひらがな書きの文字もステキなんだよね
「襲(かさね)」 色を組み合わせること
十二単着こなしの鍵は、華やかな上着ではなく
この襲がよく見える袖口や裾の部分の色の組み合わせを季節に合わせて選ぶことが平安女子のトキメキでした
●京都伏見区
春夏秋冬 実際どんな襲を着ていたのでしょうか
平安時代の色彩の専門家 吉岡幸雄さん
古代の染色技術の復元に取り組んでいる吉岡さんは
薬品や化学染料は使わず、天然の素材だけで平安時代の色を再現しています
吉岡さんに当時の技法で再現した 四季の襲を見せていただきました
「桜の襲」
吉岡:これは白 色を拾うようにして なんとなく桜の花が咲いていくという雰囲気を出してるんです
清少納言がときめいた桜の襲
薄く透ける白い生地に ベニバナで染めた薄紅の三段階のグラデーション
これは淡いヤマザクラを表現したものです
「初夏の襲」 濃い紫 紫 薄紫の三色に、緑は菖蒲とカキツバタのイメージ
「秋」は濃い茜色と 少し薄い周防 赤のグラデーションに黄色の組み合わせは色づくモミジです
「冬」 寒中に真っ先に春を告げる 色鮮やかな梅の襲が見事です
(日本には美しい四季があって いいよね 今の時代はこうした四季の区切りがなくなってきている
枕草子には「装束は時に従う」という言葉が出てきます
衣装は季節にぴったりと合わせたい そんな気持ちを表す言葉です
それぞれの季節を襲で表現し、それを身にまとう
それが平安のおしゃれの極意だったのです
清少納言は、この他にも 恋愛や旅行など 沢山の心ときめくものを枕草子の中であげています
「スイーツ」
中でも女子のお気に入りと言ったら外せない食べ物のイチオシそれはかき氷
「上品で心惹かれるもの 削った氷に 甘葛(あまづら)を入れたもの」
当時の宮廷行事の記録にも 夏の暑い盛りに 御所に氷が運ばれていたことが記されています
冷蔵庫もない時代 いったいどこから氷を持ってきたのでしょう
●京都市北部の西賀茂氷室町
1000年前から 宮中に届ける氷を作ってきた集落です
周りの山々から冷たい空気が流れ込む天然の冷蔵庫のような地形をしています
山の斜面に残る平安時代の氷保管庫へ案内してもらいました
京都市文化観光資源保護財団 北田さん:この窪地 ここが氷室跡です
氷室平安時代の氷保管庫 一見ただのくぼみ
このすり鉢のような場所で一体どうやって氷を保管していたのでしょう
氷室は直径およそ5m 深さおよそ3m 中央に柱が立てられ 雨風を防ぐ屋根で覆われていました
床には大量の炭がぎっしり 湿気で氷が溶けないよう内部を乾燥させる工夫です
山の斜面をくりぬいて作った氷室は、一年中温度変化が少なく、氷を夏まで保管することができました
●氷はどこで作られたか
秋 稲刈りの終わった田んぼに冬に水をまいて氷を作る
氷ができたら、その上にまた水をまいて 順々に氷を厚くしていく
良質の氷を作って、それを利用した という話が伝わっています
冬場は氷点下となる日が多い山の中 田んぼの周りには春先でも分厚い氷が張っています
自然の力を巧みに利用する平安の知恵がトキメキのスイーツを生んでいたんですね
「甘葛」
蜜のようなものと思われますが 一体どんなものだったのでしょう
平安時代の食文化の研究者 前川さん(奈良女子大学古代学学術研究センター 協力研究員)」:
木に絡まっているつたが 平安時代 あまづらと呼ばれていた植物でした
短く切った枝の一方にテープを巻く 反対側から 強く息を吹き込むと 透明な樹液が出てきました
舐めてみると ほのかな甘さがあって 植物の甘さがそのまま出ている
どれくらいの甘さなのか糖度計で調べてみる 14.6% 桃やメロンに匹敵する甘さでした
集められた樹液は 何時間も煮詰めて蜜にします
スプーン一杯の蜜を作るにも大量の枝が必要だそうです(テープは平安時代ないよね?w
甘いかき氷は、当時は大変な贅沢品 だからこそ人々にとって心惹かれるものでした
「枕草子」には、思わずクスッと笑ってしまう 一風変わった習慣もあります
この棒を使うのですがなんだかわかりますか?
「粥杖(かゆづえ)」
宮中では毎年1月15日 健康を祈ってお粥が炊かれました 粥杖はそれをかき混ぜるもの
しかし使い方はそれだけではなく 当時この杖で女性の腰を叩くと子宝に恵まれると信じられていました
そのため、「枕草子」によると、朝から女性達は腰を打たれまいと用心してキョロキョロ
その隙をついてうまく叩いた時にはみんな大笑い
この日は無礼講なので、お姫様でも、なぜか男性までも餌食に ストレス発散にぴったりといったところでしょうか
このように 宮中の様子をおもしろおかしく綴られた枕草子
実はこの作品が誕生した背景には、作者・清少納言の知られざる悲しみの物語が込められていたのです
■エピソード2 清少納言運命の出会い
華やかな平安文化の最先端に身を置いていた清少納言
幼い頃から雅な生活をしていたと思いきや 実はそうではありません
京都から遠く離れた港町 山口県防府市 清少納言はこの町で育ったと言われています
ここにはかつて周防の国の役所がありました 「周防国衙跡」
およそ1000年前 清少納言は周防に赴任する父に連れられ、ここにやってきたと伝えられています
●清少納言の生まれた清原家は和歌の名門
その実力は百人一首の中に曽祖父、父、清少納言の3人が選ばれるほど
清少納言の父のもとすけから 和歌や漢詩の英才教育を受け 文学の素養溢れる女性に成長します
●清少納言に人生の転機が訪れたのは28歳の時 (当時はいい歳だね
その才能を聞きつけ、宮中から宮使いの誘いが来たのです
仕事は天皇の后に仕える女房でした
当時、天皇は複数のきさきを持つことが常識
そこで、きさきは競って様々な才能を持つ女性を女房としてスカウトします
魅力的なサロンを作ることで 天皇の寵愛を勝ち取ろうとしたのです
当時の女房の多くは10代から宮仕えをするため サロンは華やかなものでした
「私は30代目前 本当に宮仕えが務まるのだろうか? でも憧れの雅な世界 一度はこの目で見てみたい」
京都学園大学人間文化学部教授・山本さん:
清少納言は宮仕えに自分の幸運を見出そうとしていたのだと思います
そこに行けば彼女の大好きな雅の世界 機知に富んだ会話の世界が繰り広げられている
そうした最先端の文化に我が身を浸したいという強い憧れ 願いがあったのではないとしないでしょうか
●遅咲きの宮中デビューを果たす
悩んだ末、正暦 4年(993年頃) 清少納言は宮仕えを始める
しかし、宮仕えは簡単なものではなく 宮中に初めて入った頃は失敗すること数知れず 涙がこぼれそうでした
戸の影に隠れているのが清少納言
落ちこぼれ女房だった清少納言は、宮中にいても人目につかぬよう 引きこもってばかり
いつになったら人並みに仕事ができる日が来るのだろうか そんな弱音を書き残しています
そんなある日、清少納言の主である定子の目に留まる機会が訪れます
雪が降り積もった日のこと 定子が女房になぞかけをしました
「香炉峰の雪はどうなっているのでしょうね?」
「香炉峰」とは中国の有名な山の名前 はるか海の向こうのことなどわかるはずがない
他の女房が怪訝な顔をしていると 清少納言はにっこり笑って 縁側に近づき御簾を持ち上げて見せました
すると定子は「お見事」と微笑みます これは有名な漢詩を踏まえたなぞかけでした
「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」という一説がもとになっています
清少納言は漢詩を踏まえ 美しい庭の雪が定子に見えるように機転を利かせたのでした
清少納言が仕えた定子は 11歳下の17歳 文学好きで 機知に富んだお姫様です
二人は趣味もぴったり同じで意気投合
清少納言は定子のサロンで持ち前の才能を存分に発揮するようになります
ある時、定子のサロンに帝がやってきました すると定子は女房に今すぐ何か歌を詠むようにと命じます
突然のことに同僚の女房はなかなか良い歌が思い浮かびません 気まずい雰囲気が漂います
その場を救ったのは清少納言 スラスラと歌を書き始めました
(私はもう年を取って老けてしまいましたけれども 帝は若くて輝いていらっしゃいます)
「古今集」の歌を引き 三十路間近な自分をユーモラスに読み込みつつ 帝の若さを歌い上げました
「お見事」と定子様も帝も大満足 サロンはほっと明るくなりました
帝にも才能を認められた清少納言は、定子のサロンを支える名物女房として欠かせない存在になっていきます
女房というのは勤め先を知的に美的に盛り上げるためのスタッフ
清少納言はその能力を遺憾なく発揮して女房集団の中で筆頭のような位置についた
「清少納言というセンスの良い女房がいるらしい」 噂は宮中に広まっていきました
「恋文」
清少納言の元には夜毎イケメン貴族たちがお忍びでやってくるようになりました
お相手は名門藤原家の御曹司を始め とびきりの貴公子ぞろい
美男子たちと甘い恋を楽しむ毎日が始まります
でもそれは長くは続きませんでした この後に待つ悲劇が 千年の名作を読むことになるのです
夢のような宮中生活を謳歌していた清少納言
幸せいっぱいの様子が伝わってくる恋の歌も残しています
それが百人一首にも収められたこの歌
この歌に込められた真意は
「関所は夜の間閉じられていて、朝にならないと開きません
あなたは鳥の鳴き真似で関所を開けるように 甘い言葉で 私の心を開こうとしてばかり
でもそんな手に引っかかって 簡単に会ってはあげませんよ」
歌の才を存分に発揮し 宮中でもひときわ輝いていた清少納言
ところがこの後 予想もしない悲劇が襲います
■エピソード3 枕草子 涙の誕生秘話
清少納言が宮仕えを始めて3年目 定子は初めての御子を懐妊します
幸せの絶頂にあった二人が 互いを信頼し合う様子が「枕草子」に記されています
ある時、清少納言は自らの恋愛観をこう語りました
「もし誰かに愛されるとしたら 私は一番じゃないと嫌 2番や3番なら死んだ方がマシ」
それを聞いた定子は問いかけます
「私が一番好きなのが あなたじゃなかったらどうするの?」
清少納言は遠慮がちに答えます 「いいえ、一番じゃなくても構いません」
「意気地なしね 一番好きな人に一番に思って欲しいって 胸を張って言いなさいよ」
お互いを一番に思い合う二人の強い絆が伝わるエピソードです
●長徳元995年 定子の父 朝廷の最高権力者だった関白 藤原道隆が病死
すると、定子の父をライバル視していた左大臣の藤原道長が次の権力者へ名乗りをあげました
道長の一族は、ライバルを追い落とそうと様々な陰謀を画策
定子の兄達は謀反の罪に問われて京都を追放されてしまいます
さらに定子の屋敷も原因不明の火災で焼失してしまいました
身重だった定子は、仕方なく仮住まいを転々とします
しかし用意された屋敷はどれも天皇のきさきの住まいとは思えないみすぼらしいものでした
没落していく定子を懸命に支えようとする清少納言
しかし、清少納言は定子たちを陥れた藤原道長のスパイだと言う噂が流れていたのです
清少納言と恋仲になった貴族たちが道長の側近だったことが理由でした
「あれだけ定子様に愛されながら、裏で政敵と通じる裏切り者」
「なぜ定子様はあんな女を側に置くのか」 同僚からの批判の声は高まる一方でした
これ以上、定子様の元にいては迷惑がかかる
清少納言は定子の元を離れ、実家に引きこもるようになります
清少納言を失った定子は、次第に宮中で孤立していきました
女房たちは次々と定子の元を離れ、サロンからはかつての輝きが失われていきます
それに代わって宮中で一大勢力となったのが天皇に嫁いだ道長の娘のサロンでした
多くの美女や、名門貴族の令嬢、紫式部や和泉式部 のような才媛までを取り揃え、帝の寵愛を受けていきます
(紫式部と清少納言てライバル同士じゃなかったっけ? 清少納言を嫌ってたんだよね
たった一人で耐えている定子様を 私は隣で支えることができない 一体どうすれば・・・
そんな折、清少納言のもとへ包みが届きました 入っていたのは真っ白な紙
文章を書くのが好きな清少納言を元気づけようとする定子の心遣いでした
感激した清少納言は、その紙に定子と宮中で過ごした 楽しい日々の思い出を書き始めます
辛い毎日を送る定子に これを読んでもらい 少しでも明るい気持ちになってほしい
そんな思いで綴られていたのが あの「枕草子」だっだったのです
月の明るい夜 御車に乗って 川を渡るとき 水晶が割れるように水が飛び散る様は素敵でしたね
偶然、人の恋文も拾ったことがあります
破ってあるのをつなぎ合わせてみたら 中身が読めたことがあって ドキドキしました
腹の立つことと言ったら お忍びで恋人が訪ねてきたのに 大声で吠えてしまう犬w 本当に台無しですよね
眠くて寝ている時 蚊がブーンと音を立てて 顔の前を飛んでいくこと ああ憎たらしい(わかる!
定子様にお仕えして嬉しかったことがあります
定子様がたくさんの女房の前でお話しされる時、いつも私と目を合わせてお話ししてくださることを私はたまらなく嬉しいと思っていました
そしてほどなく 清少納言の書いたものが定子に届けられます
「少納言よ そなたの思い 確かに伝わりました」
感激した定子は 清少納言に返事を用意します それは小さな包み紙 中には 山吹の花びらが
「言はで思ふぞ」と書かれていた
(あなたに帰ってきてと口に出しては言わないけれど あなたのことを心から思っています)
(花びらに書くって、昔の人は本当にセンスがあったね
●清少納言は宮中へ戻る
定子様は私を必要としている 清少納言は定子を守るために宮仕えに戻る決意をします
宮中へ戻った清少納言は、各地の寺社を参拝して回るようになりました
京都伏見稲荷 京都の東山にある伏見稲荷を訪れ 険しい山道を必死に登って参拝
またある時は奈良の長谷寺を訪ねます
(ゴーゴーと音を上げる谷川に身を縮めながらも 観音様に祈りを捧げました)
参拝の理由は、定子の健康と安産祈願だと考えられています
●長保2年 定子24歳でこの世を去る
その祈りも虚しく、3度目のお産の直後 定子は24歳の若さでこの世を去りました
定子を失った清少納言は ほどなく宮中から身を引きます
そしてかつて定子のために書き始めた文章を一つの作品として完成させました それが「枕草子」
「枕草子」は 清少納言が定子と過ごした 美しい思い出が詰まった宝箱
千年の時を経て読み継がれることになる名作は、たった一人の姫君のために捧げられた作品だったのです
●清少納言が宮中を去った後 「枕草子」は平安貴族の愛読書となる
一方で 作者の清少納言は厳しい批判を浴びた
源氏物語の作者・紫式部は日記にこう記しています
「清少納言は、自分の教養をひけらかしてばかりだ
定子との機知に富んだ漢詩のやり取りなど 自分の自慢話ばかりを書いている」と世の批判を浴びたのです
(やっかみだな バックが代われば、取り巻きもかわる 女性の園はコワイコワイ
●それから200年後の鎌倉時代
清少納言への評価は変わっていきます 「無名草子」
「清少納言が定子を襲った悲劇や、その後の衰えぶりを一切書かず
美しいことだけを書き残したことは、主への素晴らしい心遣いだった」
悲劇の中でこの世を去った定子を最後まで明るく前向きに支えようとした清少納言を人々は賞賛したのです
●徳島県鳴門市
定子の死後 流浪の旅に出た清少納言がここに流れ着いたという伝承がある(流浪の旅、憧れる
地元に伝わる清少納言の墓は 地域の女性たちの 厚い信仰を集めています(大根と人参?
毎月10日の縁日には 安産や健康を祈る人々が 大勢訪れます
定子の幸せを一心に祈り続けた清少納言は 京都を遠く離れた地で 女性の守り神になっていました
自分を認めてくれた たった一人の姫を守るためにその生涯を捧げた清少納言
「春はあけぼの」に始まる千年の名作には、その尽きせぬ思いが 綴られていたのです