メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

桑田佳祐 大衆音楽史 ひとり紅白歌合戦 昭和平成 そして新たな時代へ vol.1

2019-04-29 13:29:00 | 音楽&ライブ
3月30日 1時間10分番組
 
ずっと見たいと思ってた桑田さんの「ひとり紅白歌合戦」
今回は ダイジェスト版なのか 1曲まるごと聞けないのが残念
 
やっぱり歌謡曲を歌っても桑田さん流 とてもうまい
日本にもいい曲がいっぱいあるんだ
 
ストリングスが入ったり、バンド編成の時は昭和風な髪型だったり、細かい点まで凝っている
 
 
【内容抜粋メモ】
 
平成最後の紅白歌合戦 サザンオールスターズのステージに日本中が沸きました
 

「Act Against AIDS」
まもなく幕を閉じる平成
この時代を通じて桑田さんが取り組んできた活動があります
「エイズ啓発」を目的としたチャリティーコンサートです
 
自身の音楽ルーツであるジャズ、歌謡曲、ビートルズ、ディスコ&ソウルなど
様々なジャンルをテーマにしたコンサートを行ってきました
 
そして最後に行き着いたのが「ひとり紅白歌合戦」
歌うのは桑田佳祐ただ一人

もちろん司会も
 
 
 
 
 
 
得点集計や、応援合戦など、本家紅白を徹底的にパロディ
タブー の曲に合わせて相撲
 
 
 
 
 
平成20年、25年、30年 これまで3度開催
これまで歌い上げた曲 その数なんと約170曲
Q:桑田さんはなぜ一人で紅白をやり続けたのか?
 
 
 
 
桑田:
歌謡曲はいいんじゃないか
覚えて、ピタッと入ったら、もう出なくなっちゃって
エクスタシーみたいなものをぐっと引っ張り出されるんですよね
 
そして、35年ぶりにNHKホールで出場した紅白歌合戦 サザンオールスターズに密着
その舞台裏を初公開
 
こちらはNHKアーカイブスに番組として保存されている
「紅白歌合戦」の最も古い映像です
 
第14回 昭和38年
 
 
 
 
 
 

桑田さんの少年時代(子どもの頃の写真なんて初めて見たかも
少年時代の桑田さんは、大晦日、家族揃ってお茶の間で紅白を見ていました
 
 
 
桑田:
大晦日は、紅白がやっぱりファイナルで
家に住み込みで一緒にいたホステスさんがいたんですけど カオルさんて言う
特にうちのお袋とカオルさんは論評しながら
「ちょっと、ちあきなおみは、なんか化粧がどうのこうの」とか
「小柳ルミ子は綺麗だね」とか 大きなお世話なんですけどw
 
あと、ちょっとお色気っぽい金井克子さんが出てきて
♪パッパッパラッパ 西野バレエ団の人たちがこうやってやるのが
アトラクティブと言いますか
 
紅白歌合戦を見ながら「これは紅のほうが強いね」とか「いやそんなことはない」
最後にやっぱりジュリーが出てきたから「白がいいんじゃない」
なんてことは本気で言ってましたからね
 
 
 
●歌謡曲の先人たち
 
東京タワー完成式 昭和33年
 
 

昭和30年代 日本は高度経済成長期に突入
町はめまぐるしく姿を変える
 
 
 
 
昭和39年 東京オリンピック開催
 
 
 
 
真っ赤な太陽 美空ひばり
 
 
 
 
昭和42年
新たなファッション(ミニスカートブーム)や娯楽が次々と生まれ、人々の生活を歌謡曲が彩ります
 
 
 
 
 
君といつまでも/加山雄三 第17回 紅白歌合戦 昭和41年
 
  
 
 そんな中、桑田少年が憧れを抱いたのは洋楽でした

桑田:
ビートルズとかローリング・ストーンズ
中学、高校になると憧れて、芽生えるんですよね
 
そういうのに憧れて育っていって、サザンでデビューする形になったんですけど
洋楽を聴くにつれて1周回ると、どうしても歌謡曲にたどり着くという
 
洋楽なみのことをちゃんとやっているし
洋楽を聴いた耳だと理解できるし
歌謡曲は偉大じゃないかっていうか

自分の体の中に染み込んで、血肉となっているじゃないかと気づいて唖然とするというか
感動すらあるんですけれども
 
それで、これを自分が表現したいという風になりまして
「ひとり紅白」に行き着いたんだと思います
 
見上げてごらん夜の星を/坂本九 第二回 ひとり紅白歌合戦より
 
 
 
 
帰ろかな/北島三郎 昭和40年

昭和41年 ビートルズ来日
日本中の若者が興奮の渦に包まれました
 
 
 
「グループサウンズ登場」 
当時、ザ・タイガースを始め、海外のロックに影響を受けたバンドが次々と登場
昭和40年代の音楽シーンを席巻しました
 
 
 
 
君だけに愛を/ザ・タイガース(すごい黄色い声
 
 
 
桑田:
グループサウンズはあんまり好きじゃなかったんですよね
なんかブルー・コメッツは好きだったんですけど
 
グループサウンズって2年しかないんですよね 1967年、8年だけでしょ
雨後の筍のように現れた
 
小学生の自分が「またこんなのが来た」みたいな
同じようなユニフォームをまとって、楽器という武器をまとって
みんな同じ方向にステップを複数でやるんですよ(真似をして笑いが起きる
 
「群れないと戦えない」っていうね
なんか男の本質みたいなものを「そうなんだよなー」っていう風に
すごく体現してくれた人たちでもあるんじゃないかと思うんですよね

まあでも、こないだの第3回ひとり紅白で
ゴールデン・カップスの歌も歌わせて頂いたんだけど
 
愛する君に って曲なんかは、僕は初めて歌ったんですけど
やっぱりこう歌ってみる、経験してみると、素晴らしい曲なんですよね
 
だからひとり紅白をやっていてすごくいい経験、体験、勉強になるなっていうのは
そういうところが多々ありまして
全部が全部じゃないかもしれませんけれども

一部の人たちは、スパイダースさんとか「こんなにいい曲だったの!?」
テンプターズの純愛
いい曲っていうのは、僕ら洋楽を経験して、経由して、自分で楽器を覚えて
アレンジをしたりという経験値の中で始めて
50年近く前のグループサウンズの曲を歌うと
「こんな宝物か!」って思うぐらい音楽の素晴らしい重要なエキスがすごい詰まってるんです
単にいい曲って言うだけじゃなくて、驚きもあるんですよね
 
あの時 君は若かった/ザ・スパイダース
 
君だけに愛を/ザ・タイガース
これって何回くらい衣装替えするんだろう?
すごいテープ! 歌ってる間にスタッフがハサミで切ってるw
 
 
 
 
 
●昭和のテレビスターたち
桑田さんが子どもの頃楽しみにしていた番組「シャボン玉ホリデー」
ザ・ピーナッツは、当時絶大な人気を誇っていました
チラッと映ったバックバンドはクレイジー・キャッツだもんね
 
 
 
桑田:
ザ・ピーナッツは普通に毎日のように見てたからね
テレビをつければ「シャボン玉ホリデー」「ザ・ヒットパレード」
CMも出てるでしょう 夏、海に行けば曲が鳴ってるし
 
恋のバカンス を書いたのは、作曲家 宮川泰さん
桑田さんは、そのサウンドに今なお魅了されています
 
桑田:
洋楽っぽいんですよね
日本人的な声の双子さんなんですけれども
あのハモ(ハーモニー)ね ちょっと洋楽風情の
ジャズっぽい楽曲に仕上げていた宮川さん達の偉大さというのは感じますよね
 
恋のバカンス
 
 
 
 
ザ・ピーナッツと共に桑田さんが愛してやまないのはクレイジー・キャッツ
ホンダラ行進曲 第14回 紅白歌合戦 昭和38年
 
 
 
ミュージシャンでありながら笑いを巻き起こす
その姿に桑田さんは大きな影響を受けました
 
桑田:
クレイジー・キャッツさんも、ドリフターズさんも一流ミュージシャンですよね
なんであの方たちがギャグをやるようになったのかは知らないんですけど
 
僕なんかも経験ありますけど、間が持たないんですよね
真面目に音楽をやってると、ここでカメラを向けられると、何かこんな事やったりね
僕らと一緒にしたら申し訳ないですけれども、思わずふざけてしまって

それがウケちゃったりとかして、ウケてると思うとまたやりたくなったりするっていう
「コミックバンド面白いね」なんて友達に言われると
「いやそんなつもりじゃないんだよ」みたいな その辺の矛盾ていうんですかね
 
どんどん自分のやりたいことと、普段やってることが乖離していくっていうのか
人生ってわかんないですよ ほんとに
 
スーダラ節(ハナ肇とクレイジー・キャッツ)
 
 
 
「8時だよ 全員集合!」 いつものメロディーでメンバーがサプライズ参加
チョットだけヨ!全員集合/ザ・ドリフターズ 第2回「ひとり紅白」より
字幕が出て、改めてテーマ曲の歌詞を知った!
 
 
 
大阪万国博覧会 昭和45年
この年、紅白に初出場したのは和田アキ子さんほか
 
 
 
 
 
ボウリングブーム
桑田さんもボウリングに夢中でした
(この頃から賞をとる程の腕前だったんだ驚
 
 
 
 
 
喝采/ちあきなおみ 昭和47年
 
●バーやスナックにカラオケが登場
切ない女心を歌った歌謡曲が夜の酒場を彩ります
 
 
 
小指の想い出/伊東ゆかり 第18回 紅白歌合戦 昭和42年
 
 
 
桑田:
“あなたが噛んだ小指が痛い”て 匂いがするじゃないですか
なんか女性の香りとか
 
当時、噂になっていた野球選手がいたんですよね(笑いが起きる
その方がバッターボックスに立つと「小指、痛がってるぞー!」みたいな(ww
 
 
 

 
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桑田佳祐 大衆音楽史 ひとり紅白歌合戦 昭和平成 そして新たな時代へ vol.2

2019-04-29 13:28:00 | 音楽&ライブ
歌謡曲黄金時代

 



当時次々とヒット曲を生み出した作詞家たち
彼らが描く女の深い情念の世界
その生々しい表現に桑田さんは大きなインパクトを受けます

桑田:
“泣くの 歩くの 死んじゃうの”はちょっと大げさなんだけど
実はこの大げさが凄く良くて
“あなたならどうする”を引き出すために
ちょっと大げさな前振りをしているんですよね




だから、なんかそういう生々しい男と女の会話って
パソコンで済んじゃう時代じゃなくて
やっぱり女に会って、何か致して、モメてみたいな
そういう修羅場になった後の様相みたいなものを書いて
死んじゃったり、傷つけちゃったりね

なかにし礼さんは、そうしたかどうかは別にしてですけど
やっぱりそういう実地体験がないと、この詩は書けねえだろうなっていうのが
歌わせていただいて、なかにし礼さんのみならず ありますね、色々ね




中の島ブルース/内山田洋とクール・ファイブ 昭和50年
後ろのスクリーンの「大泉洋とクール・ファイブ」の小芝居が可笑しくて
歌が耳に入ってこないww




夢芝居/梅沢富美男 昭和57年




雪が降る/アダモ 昭和44年
客席まで降りてきて、後ろのスタッフさんが紙吹雪を降らせているw
このシングル盤、実家にあるような気がする???




ベトナム戦争 フォークソングブーム
長引くベトナム戦争
若者たちがフォークソングで反戦を訴えました
(警察に連れて行かれるバンドマンたちの映像


 



一方で、淡い恋心、青春のひとときを歌うフォークソングも生まれました
なごり雪/イルカ 昭和50年


 




桑田:
神田川 とかね 遅くて申し訳ないんだけれども
あーこんなによくできた壮大な曲なんだ、ということを知るわけですよね

あの当時、それをなんか揶揄するような意見もあったじゃないですか
「四畳半フォーク」っていう言い方があって
そういう了見の狭い時代でもあったの

「俺はクラプトン好きだもん」みたいな
「スリーフィンガーやってんの 器用だね」なんて
「なんかね あいつら 中央線の沿線で下駄履いて歩いてんだ」みたいな

そういう言い方をしてたんですけれども、今思うと大きな勘違いでね
クラプトンもいいけれども、ガロの学生街の喫茶店
なんかもやらせていただいたでしょう

そしたら、ものの見事に完成されたプログレッシブロックなんだよね
(なるほどね すごい昭和歌謡史だな、この番組 とても勉強になる

学生街の喫茶店/ガロ 昭和47年




翼をください/赤い鳥 昭和46年
(これもフォークソングなんだ/驚 小学校の合唱部で歌ったり、童謡みたいなジャンルかと思ってた

なごり雪/イルカ 昭和50年
遠ざかる電車に乗ってるおさげ髪の女子学生が桑田さんだと分かって
大爆笑になる会場




ニューミュージック誕生
(ようやくこのくらいから分かるようになってきた

フォークや歌謡曲が主流だった音楽シーンに新たな風が吹きます
ニューミュージックの誕生です

 

ひこうき雲/荒井由美 昭和48年

ユーミンの魅力
ひこうき雲 僕、歌ったことないです これっぽっちも
ちょっと難しい歌だから、コード進行も色々周りのメンバーに教えてもらって
やっと覚えたんですけど

曲を覚えて、ピタって入ったら、もう体から出なくなっちゃって
歌って初めて、そのツボが押されまくると言うんですか
もう好きでたまらないということになるんですよね

春よ、来い もそうだし
やっぱり歌っていて、涙をこらえるのに必死になるような曲

名曲っていうのは、やっぱり聴いてよしだけど
歌って持ってかれるっていうか

歌という容れ物をお借りしてね
容れ物の中を自分の心が自由奔放に動き回れるっていうか
大きな、大事な器を与えてもらえるような感じでね

桑田さんが歌うと、桑田さんの声で、桑田さんの歌になるのも本当にすごいと思う
これはもう平成なのかあ

リバーサイド・ホテル/井上陽水 昭和57年

中島みゆき

桑田:
中島みゆきさんの曲をよもや自分が歌うと思っていなかったけれども
僕が歌ったのはわかれうた と時代 なんですけど
(自分で選曲しているわけじゃないのか?

わかれうた もよく語られましたよね
道に倒れて、突っ伏して、男の名前を呼んだことがありますか
そんなことあるかよって よく話している人がいましたけれども

ところが2ビートに乗ってね 中島みゆきを歌ってごらんなさいよ
やっぱり中島みゆきが降りてくるんですよね

みゆきさんていうのは、いろんな意味で天才だから
あのわかれうた を 歌ってる時、歌手としての恍惚っていうんですか
エクスタシーみたいなものがグーっと引っ張り出されるんですよね

まさか桑田さんがみゆきさんを歌うとは思わなかった!
やっぱり桑田さんにとってもみゆきさんは天才なんだなv

時代/中島みゆき 昭和50年

わかれうた/中島みゆき 昭和52年


歌番組が生んだヒット曲
昭和50年代 テレビの音楽番組から多くのヒット曲が誕生します

「レッツゴーヤング」




勝手にシンドバッド/サザンオールスターズデビュー 昭和53年




TOKIO/沢田研二 昭和55年




青い珊瑚礁/松田聖子 昭和55年




ルビーの指環/寺尾聰 昭和56年(ずーっとこればっかり流れてたよね
人気音楽番組で(ベストテン?)12週連続1位という記録を打ち立てた

桑田:
あの頃は自分たちのことで精一杯だったんで
寺尾聰さんもね ルビーの指輪 がどんだけいい曲か
全然耳にも入ってこなかったの 申し訳ないんだけど

みんな自分がプロとして音楽を何十年やってきたから分かるんであって
それまでは気づかなかったんですよね

シルエット・ロマンス/大橋純子 昭和56年

桑田:
大橋純子さんのシルエット・ロマンス にしろ
こないだ歌ったんですけど 久保田早紀さんの異邦人 昭和54年
異邦人 は大変な傑作ですね アレンジも、盛り上がる感じ 高揚感ですね
今で言う「ゾーンに入る」ってやつですね




ヤングマン(Y.M.C.A.)/西城秀樹 昭和54年




いい日旅立ち/山口百恵 昭和53年

SWEET MEMORIES/松田聖子 昭和58年

TOKIO/沢田研二 昭和55年





平成生まれのJ-POP
昭和が終わり、時代は平成

平成3年 ジュリアナ東京オープン




平成6年 Jリーグ開幕




どんなときも/槇原敬之 紅白歌合戦 平成3年
紅白歌合戦に新たな時代を担うシンガーソングライターが登場しました




桑田:
槇原くんの歌は、メロディーも詩も強力なんだよね
歌詞の乗っけ方が自由っていうか 「詞先」なのかもしれないね

僕が槇原君のどんなときも を歌わせてもらって
いわゆる「譜割り」をつかまえるのが、歌詞だけ見てると分からないんだけど
新鮮な、こんなに素晴らしい曲なんだって思いました

よく私なんか勝手にシンドバット なんか「一つの音符にたくさん詰め込んだ」
と言われるけれども、詞先じゃないんですよね
苦労して丁寧に歌詞を置いてったんだよ、あれ
俺、随分乱暴に作ったみたいに言われるけど 本当は違うんですよ(笑いが起きる

Jupiter/平原綾香 紅白歌合戦 平成16年




ハナミズキ/一青窈 平成16年

ありがとう/いきものがかり 平成22年

桑田さんもひとり紅白で 平成生まれの j-pop を30曲近く歌ってきました
ちゃんと高音も出るから すごいよね

Born This Way/レディー・ガガ 平成23年
平成のヒットソングの中で桑田さんが選んだ極めつけの一曲




Q:急に洋楽ですけど、なぜこの曲を歌ったんですか?

桑田:
今、昭和の再現をしているだけじゃ、やっぱりお客さんはきっと退屈な時代だし
最後どうしようかなって

紅組がいるんだけど、白組が足りないみたいな時があるんですよ
自分なりに繰り返し繰り返し、こうやってきて

周りはガガ風のキレイなダンサーさんたちだけど
桑田さんはなぜかヅラをかぶって
白い衣装の表には「世界はひとつ」て書いてあり、裏は何だっけ?w





足掛け10年 3度にわたり開催してきた「ひとり紅白歌合戦」
その白組ラストを飾るのは北島三郎
白組ラスト与作/北島三郎 昭和53年
紅組の締めくくりは愛燦燦/美空ひばり 昭和61年

 





最強の音楽人 和田アキ子
しかし、このままでは終わらないのが桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」
毎回フィナーレを飾るのは和田アキ子(かっけーアー写!





桑田:
北島三郎さんが白組の大トリ、美空ひばりさんで朗々と終わるって
ちょっと終わりにくいんですよ
その後、ゆく年くる年の鐘が鳴るわけじゃないからね

そういう意味では、最強の音楽人は和田アキ子さんなんですよね
和田アキ子の真似をする人はいっぱいいるでしょ
必ず「ハっ!」とか言って グルーヴを真似したいんだよね

だから僕は今回、最後、和田アキ子さんの歌古い日記
をやらしてもらったんですけど
“あの頃は”っていうのは、完全にオマージュ外しました
オーヴァードライヴ 全開で歌いましたw

古い日記/和田アキ子 昭和49年
和田アキ子さんの3mくらいありそうな人形と同じサイズで
両サイドにアントニオ猪木さんと内田裕也さんの人形があった/爆




桑田:皆さん、長い間本当にありがとう!

2020年 「Act Against AIDS」が役割を終えます
それに伴い桑田さんは、この「ひとり紅白歌合戦」を完結させました 平成30年12月

紅白歌合戦リハーサル 12月30日

 



デビュー40周年を迎えたサザンオールスターズ
節目の年 新たな大衆音楽史の1ページとなるべく
本家「紅白歌合戦」への出場を決めました

桑田:
緊張もしましたけど ありがたいことに
北島三郎さんが嵐さんとちょっと話をされた後にフっとこっちを見て
私の顔を見て「おお!」って言ってくれたんですよ

「やった」と思って 呼ばれて手を握ってくれて
リハの時「なんか、俺たちって共通点ない?」て言われたんですよ

俺は「ひとり紅白歌合戦」で北島三郎さんの曲を毎回歌ってるからね
本当に嬉しくて その直後でしたから
「いやいや、滅相もない」なんて言いながら、すごく嬉しくて

「あのさ、今度さ サザンのショーに行っていい?」って言われたんですよ
もう何て答えていいのかわかんないくらい舞い上がったのが嬉しくて
なんかそれがあったんで、次の本番の日がすごく晴れ晴れとした気持ちで行けて

第69回 NHK紅白歌合戦 夢を歌おう
通路で桑田さんが「楽しくやりましょう!」とメンバに声をかけて1人ずつと握手






内村:紅白は35年ぶり サザンオールスターズの皆さん 会いたかったです!
桑田:よろしくお願いします
内村:みんな揃ってる!

●紅白といえば「応援合戦」
サザンオールスターズも応援合戦に参加しました

まつり/北島三郎

 



桑田:
北島三郎さんを応援させていただいている時に
やっぱり1年間頑張ってきた
みんな頑張ってきてて、テレビの向こう側の方々も頑張ってきて
それの集大成ってやっぱり大事だなって
見てるほうも、出てるほうも、老若男女みんなで盛り上がるっていうのは
とても良い事だな、美しい姿だなと思ったんですよね

平成最後の紅白 その舞台裏
紅白にフィナーレが近づきます
サザンオールスターズは、紅組、白組を超えた「特別枠」での出場
平成最後の紅白を締めくくる
(ああして出番を待ってるんだ




内村:
平成という時代の感謝の思い、そして次の時代は希望に満ち溢れることを願って
サザンオールスターズの皆さんお願いします!

希望の轍




桑田:
希望の轍 を歌ってる時にさすがに緊張したんですよね
色んなことを忘れたんですよ 段取りを

紅組の方、白組の方たちがいて、なんとなくフッと見たら
サブちゃんがいらっしゃって、ずっとニコニコしてるんですよ
これでなんかね ちょっと体の力がおかげさまで抜けてね
サブちゃんばっかり見ながら歌ってたんですよw

勝手にシンドバッド




桑田:
間奏を開けて、ハッと振り返ったら、ユーミンさんがこう踊ってて
俺もビックリしてね 嬉しかった
ユーミンさんがちょっとキスしてくれたでしょ
あれで一度死んだんです、僕は
いいんだねと思っちゃった やっちゃっていいんだね?ってw

最後はステージにぶっ倒れる

桑田:
35年ぶりにNHKホールで紅白に出させて頂いて
体験できたということが、何かものすごく今後頑張れる気持ちにもなりましてね

僕らもよく悩むんですよいろいろ
本当にこれでいいんだろうか、とか
どなたでもそうでしょうけど

生きてるとくよくよするんだけど
終わりよければすべてよしじゃないんだけど
やっぱりみんなそれぞれ苦しかったけど

頑張ればなるようになるんじゃないかなっていうのを
皆さんに以心伝心教えていただいたような気がしまして
なんか夢のような紅白でしたね

ダンサーさんのみんなと写真撮影
夢で会いましょう が流れる

 



新たな時代へ桑田佳祐が抱く思い
昭和から平成へ 移りゆく時の中で 時代の記憶を紡いできた名曲の数々
そんな大衆音楽の偉大な歴史を「ひとり紅白」のステージで歌い注いできた桑田佳祐
昭和、平成を経て 新たな時代へと向かう今 その胸に抱く思いとは?




桑田:
これから年齢を重ねていっても、やっぱり多少チャレンジもしていかないと
悪ふざけも含めて

歌詞なんかも、多分これから変化していくだろうなというか
世の中が変わっていけば、「おお!」っていう歌も
相変わらず書いていきたいな、ということなんですよね

Q:これから先、次なる新たな企画とかは桑田さんご自身で考えていますか?
桑田:「ひとり紅白」またやろうかなと思ってるんですけどw

やって欲しい! これは永久保存版だな


 



追。
その後、「ZIP!」でも取り上げられていた
「平成三十年度! 第三回 ひとり紅白歌合戦」 Blu-ray &DVD 6月5日発売
テレビ初披露のカバー曲を公開 スピも!!

なんてったってアイドル




どんなときも/槇原敬之 紅白歌合戦 平成3年




ロビンソン/スピッツ 平成7年




プレイバック part2/山口百恵 昭和53年





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