花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

《3》 初めてのフランス

2007年02月23日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅢ」フランス・ギリシャ
 友人を誘って、1月のフランス・イタリアのツアーに参加しました。
 フランスのレストランで面白い経験をしました。友人達と「グリーンサラダ」を注文したら、サニーレタスだけが入れられた小鉢にフレンチソースがかけられて出て来たのです。日本では必ず胡瓜やトマトなど、他の野菜も盛り合わせて出されるので驚きました。見た目の美しさも大切にする日本の食文化との違いを感じました。
 また、当時の私は、サラダと言えばマヨネーズソースで、フレンチソースにはほとんど馴染みがありませんでした。それでレタスにかかっていたソースの黒こしょうが直ぐには分からず、細かな土か何かではないかと不審に思ったりしました。
 また「ハンバーグ」を頼んだら、洋皿の半分にハンバーグ、残り半分には山盛りのフレンチポテトだけという状態で出て来たのにも驚きました。
 
 勿論ジャガイモの原産地は標高4000mもあるアンデス高地です。ヨーロッパにはインカ帝国を征服したスペインが持ち帰り、やがてドイツやフランスで救荒食物として普及し、ヨーロッパにペストが大流行した時の市民の命を救った食品として、日本では戦時中の代用食として良く知られています。
 緯度の高い場所にあるヨーロッパでは、どの国も冬場の生野菜は特に不足しがちです。それで、フランス人が「大地のりんご」と呼ぶ位、加熱しても含有量の多いビタミンCは壊れにくいし、高血圧を抑制するカリウムやビタミンBをたっぷり含むジャガイモを多食するようになったらしいです。
 道理で、フランスと言えばフレンチポテトやポテトサラダだし、ドイツ料理と言えばソーセージとジャガイモ料理が定番、イギリスでもマッシュポテトが家庭料理の主役です。

  考えてみると、日本の一番北にある北海道でも、毎年冬場には新鮮な野菜が不足して価格は高くなります。地元で美味しいじゃが芋が沢山取れるのに、評価は高くありません。本当は、年中価格が安定していて、低温や強風にも強く、且つ保存性に優れ、栄養価も高いジャガイモを、私達は、毎日もっと利用すべきなのだと教えられました。
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私の外国旅行体験《1》 前書き・ギリシャ

2007年02月23日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅢ」フランス・ギリシャ
 私は早くに父と母を亡くしたので、30代になる前に既に帰るべき実家がありませんでした。。
 それで休暇があると、子どもを連れたりして国内外旅行をするようになりました。

 外国旅行では、5歳以上の子供は大人と同額なので、子連れの旅行が多かった私はいつも旅行貧乏でした。
 でも、子供と同じ体験を共有できた事、感受性の豊かな時期に子どもに広い世界の存在を知らせた事は良かったと思っています。
 子ども達は既に自立していますが、下の子は働くのは旅行資金をつくるためだ等と言います。仕事の性格にもよると思うけれど、自分の能力を生かして自己実現したり、社会貢献のために働き、結果として収入もあると考える私とは、今でも意見がよくぶつかります。

 次に、これまでの外国旅行の体験と思い出を書きますが、かなり年数が経っているため、場合によっては勘違いしている箇所があるかも知れません。もし気づきましたら、是非、お知らせ下さい。



 
 二十数年前、私が初めて小学5年の息子を連れて訪れた外国はギリシャでした。
 当時は東西冷戦が続く時代でしたから、今のように成田からロシア上空をヨーロッパに飛ぶ事は不可能でした。
 その時ギリシャへは、羽田からアリタリア航空で香港、バンコク、デリー、カラチとトランジットを繰り返し、何と30時間もかけてやっとローマに着き、また乗り換えてアテネへ入るという、今では考えられない様な具合が悪くなる程の長旅をしました。(カラチでは何人もの女性が小さな箒とちりとりを持参して乗り込んで来て、機内の狭い通路にへばりつくようにして掃除をして行った姿が忘れられません)

 私は民主主義の発祥国を見たかったのですが、実はパルテノン神殿に登れた人は一部の男性だけだったし、参政権は高額な税金を納める事ができた一握りの市民だけにあったと知りました。
 パルテノン神殿を始めとして、オリンピック発祥の運動場、古代神殿に水洗トイレもあったコリンソスの遺跡、シュリーマンが黄金のマスクを発見した山奥のミケーネの遺跡、素晴らしい音響効果に作られているエピダウロスの円形劇場も見学しました。そこでは今でも毎年、オペラが上演されていると聞きました。
 自由行動日、ホテルの前が国立考古学博物館だったので会館を待って入りました。ギリシャ以前の時代からの彫像やミケーネ遺跡の黄金のマスクなどが沢山並べられていました。水中から見つかったという異様にウエストがくびれた小さな女神像を見て、どんな意味でこんなにウエストが細いのか疑問が起きました。

 当時、ギリシャは社会主義国でしたが、個人的にお願いして、ツアーのバスの運転手夫妻に家を見せてもらいました。ステンレスはギリシャ国内には無いのでドイツから輸入しなければなりません。そのため、そのアパートの階段や台所のシンクは、神殿と同じ本物の大理石でできていました。新婚の若奥さんの話では、硬い大理石の台所では、うっかりするとガラスのコップが割れるのだそうです。私達は銀製のカップで持てなされました。

 その帰路、南イタリアにも寄り、紀元間もない頃に火山の爆発で埋まったポンペイの遺跡を見て、水道設備、排水溝、銭湯など、既に近代都市の原型ができていた事にびっくりしました。当時はまだ1/3しか発掘されていなかったのですが、慌てて全部発掘してしまうと風化が進み、後世に良い状態で貴重な文化遺産を残せなくなるからだという説明を聞き、感動しました。駐車場で初めて胡椒の木を見て、嬉しかったです。
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