先日、伯父を見舞った時に、家の片づけを手伝いました。その時伯母から、昔、私の母が作ったという日本人形を貰いました。ガラスケースに入っていたので、ほとんど汚れていません。母が亡くなってから既に35年、とても感慨深い想いで我が家に持ってきました。
母は、私にとって反面教師でした。
結婚して幸せだった生活も長くは続かず、当時、流行っていた結核で父(享年38歳)を亡くし、母は35歳で未亡人となったからです。当時は今のように女性が働く場所は多くなかったので、私と妹の二人を育てるために母は苦労しました。
そんな母の苦労を見て、私は高校生の頃から、将来は経済的に自立する女性になり、老後の母の面倒を見ようと強く思うようになったのです。
その私の希望は実現したのですが、母は私と同居後、僅か2年4ヶ月で、54歳という若さで病死してしまいました。
一昨年でしたか、血液凝固剤フィブリノーゲンで多くの患者が命を落としたというかっての医療問題が、当時の厚生労働省の発表として新聞に載りました。
実は母も、亡くなる2年4ヶ月前に、新聞にあった病院で腹部の手術を受けていました。手術後2年目に肝炎を発症して入院し、やがて慢性肝炎から肝硬変になり、命を落としたのです。
私は、新聞にあった国の対策室に問い合わせましたが、母が手術を受けた当時のカルテは既に廃棄されていて、最早、事実を突き止める事ができないという回答が来ました。母は知らずに死に追いやられたのだと、私は悔しく思っています。
ただ、私にはずっと、いつも生活に追われていた母のイメージが強かったのです。大学時代以降、家を離れていた私が知らなかった趣味を楽しむ母の姿を想像して、少し慰められました。
この人形が我が家に来て、私の心にある母への思いが、また少し強くなったようです。