≪「チェコ」という国≫
「プラハ」は、すでに14世紀に「神聖ローマ帝国」及び「ボヘミヤ王国」の首都として「プラハ城」が築かれていた町だ。
都市の中心を流れる「ヴァルタヴァ川(モルダウ川)」は、「スメタナ」作曲「我が祖国」のテーマとなったし、第一次、第二次世界大戦で破壊を免れた町には中世そのままの旧市街や建造物が保存されていて、他のヨーロッパ諸国とは異なる美しい佇まいが見られた。
(写真は、「ヴァルタヴァ川(モルダウ川)」に架かる「カレル橋」から見た「スメタナ博物館」)
①「チェコ」の歴史
ガイドブックを参考に簡単にまとめて見た。
近代史的には1526年、「オーストリア」のハプスブルグ家がボヘミアの国王となり、1627年、ハプスブルグ家の属領となった。
1918年、「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が敗れ、「マサリク」が「チェコスロバキア」の独立を宣言した。
しかし1938年、ナチス・ドイツがスデーテン地方を併合、1939年、「チェコ」は「ボヘミア・モラビア保護領」としてドイツに編入された。
1945年の第二次世界大戦終了後、ドイツの敗北により再び「チェコスロバキア」として独立した。
それにもかかわらず1948年にはソ連の干渉を受けた。
1968年1月「チェコスロバキア党第一書記」に「ドプチェク」が就任して「プラハの春」が訪れたかに見えたが、同年8月21日「ワルシャワ条約軍」が侵入して全土を占領した。
1989年11月、ベルリンの壁崩壊により、連日学生等のデモによって保守派議員が退任、憲法から共産党の指導性条項を除去して無血革命に成功した。
「チェコ」はかって「チェコスロバキア」という国だったが、1993年に解体されて「チェコ共和国」と「スロバキア共和国」に別れた。
1999年には、NATOに加盟し、2004年にはEUに加盟した古くて新しい国である。
②現在の国情
このような複雑な歴史を持つが、現在も「ドイツ」「オーストリア」「スロバキア」「ポーランド」の4カ国と国境を接している。
民族構成ではチェコ人が94%であり、宗教はカトリック教徒が26.3%、無宗教が58.3%だという。
他国と異なっていたのは、駅や公衆のトイレの大半が有料だったことだ。場所によったが25円~100円だった。
5月の気候は、最低気温は札幌と同程度だったが、昼近くになると気温が急上昇して暑い位だった。国境が山に囲まれた盆地状だからかも知れないと思った。
水は比較的綺麗だったが、硬水なので一度沸かすか、ミネラルウオーターを買って飲んだ。
物価は、日本より平均して1~2割方安い様に感じた。土産には、クリームチーズやナッツ入りチョコレート、パン、ビールなど、いつもよりも多めに買う事ができた。