≪首都「プラハ」の観光≫(1)
「プラハ」は、私にとって約20年振りに訪れた懐かしい町だった。
なので観光名所の旧市外は、ほぼ全体像を思い出す事ができた。
今回も自由行動時間が1日半あったので、オプショナルツアーに参加せずに一人でも有効な観光をするためにガイドブックの市街地図を1.5倍に拡大したのを持参した。
また、前回行ってないところをガイドブックで下調べし、地下鉄の路線図の基本を頭に入れて出かけた。
先ず、ツアーでの団体観光が午前中、半日あった。
その概略を書くと、ホテルを出て最初に向ったのは「ストラホフ修道院」だった。
そこを出た後、東北東にある「プラハ城」を目指してなだらかな坂道を下りた。
「プラハ城」内に入り、チケットを求めてから「聖ヴィート大聖堂」と「黄金の小路」を観光した。
その後城外に出、急な坂を下って「ヴルタヴァ川」に架けられた最古の橋「カレル橋」に行った。
「ヴルタヴァ川」を渡り、さらに少し曲がりながら15分程歩くと「旧市街広場」に着いた。
広場の一角にある旧市庁舎の壁を飾る有名な「天文時計」を見た。
「プラハ城」からここまでの道は、かっての王様が行進したと言う2.5kmの「王の道」の半分に当たる。
①「ストラホフ修道院」
ここは男性修道師のための修道院として12世紀に作られたが、現在は民族文学博物館として公開されている。17~18世紀のバロック様式の「図書館」が素晴らしかった。
「プラハ城」に着いたので、西側の「マチアス門」から城に入った。
周りを建物に取り囲まれた「第二の中庭」には、大きな「コール噴水」と、その傍にトイレがあった。トイレは10コルナ(1コルナ=5.4円)した。
交代の衛兵が行進していた。
現地ガイドから指定された4箇所を見学できる大人250コルナで2日間有効だというチケットを渡された。(但し一度見た施設は再入場は不可能だった)
②「プラハ城」の「聖ヴィート大聖堂」
早速「第三の中庭」に入った。眼前に高い2本の尖塔を持った「聖ヴィート大聖堂」が凄い迫力で聳え立っていた。写真を撮ろうとしても巨大過ぎて上手く撮れない。
この大聖堂は、元は930年に円筒形のロマネスク様式で建てられたものだというが、14世紀、カレル4世の時代にゴシック様式の建て直しに着手した。フス戦争などがあったため、建設が中断されるなどし、完成したのは20世紀だという。
奥行き124m、幅60m、塔の高さ96.6mという壮大な聖堂である。
チェコのアールヌーボウの代表的な画家「アルフォンス・ミュッシャ(チェコ語ではムハ)」が手がけたステンドグラスもあった。
彼は「オーストリア帝国」領の「モラヴィア」(現在のチェコ)に1860年に生まれた。
1939年3月、ナチスドイツにより「チェコスロバキア共和国」が解体され、ドイツ軍がプラハに入場した時逮捕された。彼の絵は「愛国心」を高めるという理由だった。その後解放されたが4ヵ月後体調を崩し、7月14日78歳で死去した。
外に出て「第三の中庭」を横に回りこんだ所から、大聖堂横の写真を撮った。
(「黄金の小路」は割愛する)