昨日TVで、録画しておいた番組、「ブラジル」と「アメリカ」でコロナウイルス感染によって、この間、人々がどうウイルスや偏見・差別と戦ったかのドキュメントを観た。
「ブラジル」では、低所得層の人々が生活している建物が密集した「ファベイラ」地区で、医療が届いていなかったり、遺体が2日も放置されているという状態が伝えられていた。そんな中で、有志達が立ち上がり、国に訴えるデモ行進をしたり、貧困家庭に食料や水を届ける活動をしていた。
「アメリカ」では、ニューヨーク州マンハッタンのすぐ隣に広がる低所得層の人々が多い地域の現状を報道していた。病院では医療崩壊の寸前まで行き、医師や看護師が不足し、働ける状態の彼らはぎりぎりの状態で長時間勤務を余儀なくされていて、多くが患者から感染して亡くなっていた。沢山の遺体は冷蔵トラックや教会に安置されていた。
今回の感染は、感染が広がった地域に深刻な経済格差・民族格差を生み出していた。限られた医療機器を誰に使うかで命の選択も始まっていた。
やがてワクチンや治療薬が開発されても、必要とする誰もに行き渡らなければコロナウイルスは無くはならない。
多くの子供たちは、生まれた時にすでに格差社会のどこに所属するかが決まっている。格差社会の格差を改善するには、教育が平等に受けられる社会の体制が必要だが、それが保証されている国はヨーロッパ諸国や北欧諸国に留まっている。軍事力を持たないコスタリカもそうだ。
新型コロナによって明らかになった様々な課題に取り組むには、大量の資金と長期間の取り組みが必要だ。EUは対立を乗り越えてその緒についたが、アメリカ、ブラジル、日本などは今後どうなって行くのだろうか。
長い間雨が降らなかったが、ようやく昨日雨が降った。今朝は庭の水やりをしなくてよいのでほっとしている。
写真は昨日朝に撮影した。
春にポリポットに種蒔きして苗を作り、庭に移植した「ニゲラ」
「ミニトマト」と「中玉トマトは色づいたが、「大玉トマト」はまだだ。