最初に先ず私の人生に対する向き合い方を変えた「乳がん」の経緯と「癌保険」について書く。
確か停年退職を直前にした3月、職場でフト目に入った「癌保険」のチラシを読み、癌と診断されたら生命保険が下りるという契約内容に惹かれて入会を申し込んだ。確か1年分の保険料として、7000円弱を払った記憶がある。
60歳になり正規の仕事を定年退職した後も、まだまだ気力と体力があって、パートで働きながら、春から晩秋までの晴天の週末には、軽登山に精を出していた。
その年の夏に知床の「羅臼岳」に登山に向かった。所が何時もの登山とは違って直ぐに疲れ、息が上がる。頂上直下の9合目当たりで、とうとう足が一歩も前に出なくなった。仕方なく下山を決意した。
登山口には温泉宿「ホテル地の果て」があり、外に無料の露天風呂もあったので、下山後、露天風呂にさっと入って汗を流した。その後、登山口に駐車しておいた車に乗って網走に向かった所、急に空が暗くなり滝のような雨に見舞われた。ワイパーを超急速にしてやっと運転しながら、網走の宿に戻った。こんな雨では、頂上に行かないで早めに下山して来て良かったとも思えた。
それから数日後、自宅でTVを見ていた時、胸に違和感を感じて触ってみたら、硬いしこりに触れた。翌日、パートの仕事を終えてから、近所の有名な「乳腺クリニック」を受診したら、「多分乳がんです。肋骨に触れているのでここでは手術できません。」と言われた。「羅臼岳」を踏破できなかったのは、このためだったのかと思った。
それで翌日、札幌の「国立病院札幌がんセンター」を受診した。
そこで日を改めて「細胞診」を受け、数日後、「乳がん」と診断された。患者が一杯なので手術は半月後に決まった。
改めて「癌保険」の契約内容を見たら『「湿潤癌」以上なら保険料が支払われる』とあったので担当医師に聞いた。医師から私は「湿潤癌」だと教えて貰った。診断書を書いて貰い、それを保険会社に提出した。
手術後の診察で主治医から「あなたのがん細胞は、再発・転移しやすい性質だったので、日常的に注意して下さい。」と言われ、さらに「女性ホルモンに関係しない性質でもあるので、飲み薬はありません。」とも言われていた。全く癌の知識が無かった私は、「せいぜい生きても、残りは数年かな……」と思っていた。
間もなく契約通りの生命保険料「三百数十万円」が降りた。しかし、それで契約は解除された。
その時、「癌保険」は、癌だと診断されたら保険料が下りるというのが良く、「入院1日○円」などという契約内容では、私のように患者が殺到する病院の場合では5日しか入院させてくれなかったから、不十分な金額しか受け取れない事になると知った。
勿論、治療中で一番高額な医療費は「抗がん剤」だった。薬にもよるが私の場合は1回20万円近い抗がん剤代が3割負担で数万円だった。
私の場合、ざっと計算すると、「検査」「手術」「5日間の入院」「23回の放射線治療」「抗がん剤治療」と、その後の「定期検診」で2~3年で3割負担の医療費として二百数十万円を支払った。
勿論、それ以外に17年間、定期検査に行く通院費と検査代(マンモグラフィー検査・血液検査・超音波検査・医師の診断料)も毎回かかった。
最寄りのJR駅で降り、国立病院まで徒歩で片道23分かかったが、11月末から12月末までの「放射線治療」の時は、節約と健康のために、雪が降る寒い中を毎日、往復歩き通した。
またその後は、札幌市と近隣の市の図書館から「乳がん」と「癌関係」の本を次々と借りて来て読んだ。全部で優に50冊は超え、病院が主催する「癌講演会」にも毎年参加して勉強し、次第に気持ちも前向きに変わって行った。
その後は、定期検診の期間が、3ヶ月毎からやがて6ヶ月毎、そして1年ごとと変わって行き、ついに一昨年の3月、17年目で「もう来なくて良い。」と言われた。
話しは変わって、今回5月に予定が決まった「白内障」の手術だが、結果的に私がネットで調べた「選定療養」の事を医者に話して、それが適応する多焦点レンズを選択したいと告げた。これは2020年から国が定めたもので、「手術費には医療保険が適用されるが、多焦点レンズの費用は自己負担」と言うものだ。
私は毎年高額の医療保険料を支払っているのだから、全額自費負担ではなくて、せめて手術代には医療保険が適用される「選定療養」の手術を選んだのだ。
考えて見たら、18年前に「癌保険」で出たお金が、丁度、今回の手術代100万円前後に充てる位残っていたので、その残金を今回の手術費に充てたいと考えている。後何年生きて使う目か分からないが、残された日々をできるだけ不自由なく生活したいと思っている。
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