またまた私の「老人力」の凄さを思い知った。
2ヶ月余ぶりに行った病院で、医者から「随分来るのが遅かったね~。」と言われたが、「今日は薬がなくなったので来たのですが…???」
処方箋を貰い薬局へ。
そこで薬剤師から、「今迄と同じ薬です。朝夕飲んでください。」と言われた瞬間、私は「えっ!」と驚いた。
「今までも1日2回だったの? 1回しか飲んでいなかったけど。」
とまあ、そこでやっと医者の疑問が解けた訳。
だんだん凄くなる私の老人力。先が思いやられる。(-_-;)
《ソウル「南山韓屋村」》
3日目午後、ソウルについてから「くずし豆腐(スンドップ)チゲ」の昼食を食べた。チゲは熱いくらいで美味しかった。金属製の箸とスプーンの両方を置く箸おきを初めて見た。
食後行ったのが「南山韓屋村」だった。
ここは市内にあった大韓帝国最後の皇帝妃『イ妃』の実家など数軒の伝統家屋を移設して作った所だという。私達が見学した家は、格式のある立派な韓屋だったので、多分皇帝妃の実家だったのではと思う。
現地ガイドは言わなかったが、ガイドブックによると実は日本統治時代の「憲兵隊跡地」だった所だそうだ。
ここは私にとっても初めての場所だったので、伝統的な朝鮮の生活を想像できて興味深かった。
先ず母屋を囲む低い「塀」の一部に立派な「入り口の門」①がある。2度横木をまたいで入った。女性は裾が長いチマを穿いていたので、この門は男性用だったのではないかと思った。
中には広い平屋敷があるが、台所②には「竈」が3つあり、熱気は床下の「オンドル」に行き渡る。庭にオンドルの煙を出す「煙突」③も見られた。
祖先の位牌を祭る目的で作られた別の「祭祀用建物」④があり、それぞれの位牌の前には立派な菓子などの料理が備えられている。
① ②
③ ④
様々な食品を入れる「大きな甕」⑤があったが、「キムチの甕」は恒温を維持するために土に埋めて保存する専用の「わら葺き小屋」⑥があった。(今の韓国にはキムチ専用冷蔵庫が多くの家庭にあるそうである)
⑤ ⑥
色々な目的の部屋に分かれていたが、この棟の右端にあった「主人専用の部屋」⑦は、意外と狭かった。
⑦
また広場には、各種地域の行事用に大量炊事用の「かまど」が作られていて興味深かった。
この日は、最後に世界遺産「宋廟」に行ったが、私は前回見ていたし疲れたので、バスで休んでいた。
この日は「ロッテ免税店」にも連れて行かれた。ガイドが宣伝したカタツムリエキス入り栄養クリームなどを多くの人が買い求めたらしい。私はそこでは何も買わず、1階に下りてぶらぶらした。ロッテホテルの駐車場があったが、案内役の女性がダンスのようなしぐさで誘導するのが面白かった。
翌日の朝、6時に起きて7時過ぎにホテルを出、途中食品店に立ち寄り、仁川空港10;15離陸の大韓航空機で新千歳空港に帰国した。新千歳には予定通り12;55に着陸した。
日本との時差もなく、北海道からでも僅か2時間35分で行き来できる国なのだ。
韓国海苔は「キムチ海苔」という新製品ができていた。今回も土産に買ったが好評だった。 (完)
2ヶ月余ぶりに行った病院で、医者から「随分来るのが遅かったね~。」と言われたが、「今日は薬がなくなったので来たのですが…???」
処方箋を貰い薬局へ。
そこで薬剤師から、「今迄と同じ薬です。朝夕飲んでください。」と言われた瞬間、私は「えっ!」と驚いた。
「今までも1日2回だったの? 1回しか飲んでいなかったけど。」
とまあ、そこでやっと医者の疑問が解けた訳。
だんだん凄くなる私の老人力。先が思いやられる。(-_-;)
《ソウル「南山韓屋村」》
3日目午後、ソウルについてから「くずし豆腐(スンドップ)チゲ」の昼食を食べた。チゲは熱いくらいで美味しかった。金属製の箸とスプーンの両方を置く箸おきを初めて見た。
食後行ったのが「南山韓屋村」だった。
ここは市内にあった大韓帝国最後の皇帝妃『イ妃』の実家など数軒の伝統家屋を移設して作った所だという。私達が見学した家は、格式のある立派な韓屋だったので、多分皇帝妃の実家だったのではと思う。
現地ガイドは言わなかったが、ガイドブックによると実は日本統治時代の「憲兵隊跡地」だった所だそうだ。
ここは私にとっても初めての場所だったので、伝統的な朝鮮の生活を想像できて興味深かった。
先ず母屋を囲む低い「塀」の一部に立派な「入り口の門」①がある。2度横木をまたいで入った。女性は裾が長いチマを穿いていたので、この門は男性用だったのではないかと思った。
中には広い平屋敷があるが、台所②には「竈」が3つあり、熱気は床下の「オンドル」に行き渡る。庭にオンドルの煙を出す「煙突」③も見られた。
祖先の位牌を祭る目的で作られた別の「祭祀用建物」④があり、それぞれの位牌の前には立派な菓子などの料理が備えられている。
① ②
③ ④
様々な食品を入れる「大きな甕」⑤があったが、「キムチの甕」は恒温を維持するために土に埋めて保存する専用の「わら葺き小屋」⑥があった。(今の韓国にはキムチ専用冷蔵庫が多くの家庭にあるそうである)
⑤ ⑥
色々な目的の部屋に分かれていたが、この棟の右端にあった「主人専用の部屋」⑦は、意外と狭かった。
⑦
また広場には、各種地域の行事用に大量炊事用の「かまど」が作られていて興味深かった。
この日は、最後に世界遺産「宋廟」に行ったが、私は前回見ていたし疲れたので、バスで休んでいた。
この日は「ロッテ免税店」にも連れて行かれた。ガイドが宣伝したカタツムリエキス入り栄養クリームなどを多くの人が買い求めたらしい。私はそこでは何も買わず、1階に下りてぶらぶらした。ロッテホテルの駐車場があったが、案内役の女性がダンスのようなしぐさで誘導するのが面白かった。
翌日の朝、6時に起きて7時過ぎにホテルを出、途中食品店に立ち寄り、仁川空港10;15離陸の大韓航空機で新千歳空港に帰国した。新千歳には予定通り12;55に着陸した。
日本との時差もなく、北海道からでも僅か2時間35分で行き来できる国なのだ。
韓国海苔は「キムチ海苔」という新製品ができていた。今回も土産に買ったが好評だった。 (完)
食べ物もいろいろ出てきて、これまた興味をそそられました。
薬の分量を間違えたそうですね。
通院の間隔も倍になります。
でも、笑い話ですまされるのは、それだけ体調が良いということでしょう。
コメントありがとうございました。
韓国の郡部には、まだ日本の40年程前の生活が残されているように思いました。
世界遺産に新しく指定された安東では、最近まで庶民は数百年前の藁葺きの粗末な家に住んでいたし、元の貴族階級は瓦葺きの立派な家で小作の賃料の上がりで暮らしていた様です。
考えて見ると、日本の戦後と韓国の戦後は、随分異なる経過を辿ったんですものね。
お薬の飲み方で、そういう勘違いはありがちですね。
多く飲んでしまうよりは良かったかもしれませんよ(^-^)
スンドップって美味しそうなんですが辛いのが苦手な私には無理かもしれません。キムチ海苔も無理かな~(--;
お台所ってその国の文化がよく見えるように感じました。興味深かったです。
コメント有難うございました。
多く飲んでいたら、きっと体調を崩していたでしょうね。
韓国人はどうしてそんなに唐辛子が好きなのかな。多分、長かった冷蔵庫が無い時代でも、保存性が高まったからではと思います。また辛いとお菜が少なくても主食を食べられますからね。
でも中国四川省の麻婆豆腐と比べたら甘い甘い味ですよ (~_~;)
韓国の伝統家屋、「チャングム」をやはり思い出します。韓国海苔は、いろいろのバージョンがあるのですねえ。
コメント有難うございました。
似たような年代ではと思っておりますが、年々、物忘れが多くなりますね。後で思い出すなら「単なる物忘れ」で、全く思い出さないなら「認知症」らしいですね。
今回の私は「認知症」に近い忘れ方でした。
「チャングム」は良かったですね~。何箇所か撮影された場所にも行きましたが。