花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「チェコ共和国の旅」(10)

2017年06月11日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅢ」スイス・チェコ

≪「ホラショビッツェ」の「フルボカ城」≫

「フルボカ城」は「プラハ」の南方約125kmの所にある世界遺産である。
ボヘミア王プジェミスル・オタカル2世が所有していた頃からの記録はあるが、この城を誰が建てたのか不明だ。やがてドイツの貴族「シュバルチェンベルク家」の所有になり、膨大な経済力でこの城を豪華なものにして行ったという。
19世紀には、イギリスの「ウインザー城」をモデルにネオゴシック様式に改装された。
この城には広いフランス様式庭園と広大なイギリス様式の自然庭園があり、立派な温室では熱帯植物が育てられていた。

   

≪「トゥシェビーチ」の「ユダヤ人街」と「聖プロコビウス大聖堂」≫

「プラハ」の南東180kmにある「トゥシェビーチ」は、かって12世紀にモラヴィアの中心だった都市だというが、1468年ハンガリー軍が侵攻してから衰退し、18世紀に復興した。
またこの街は、チェコで最も大きいユダヤ人街があった事でも知られる。町を東西に流れる「イフラヴァ川」をはさんで北側にユダヤ人達が町を作り、第二次世界大戦前は1700人に上ったが、ナチスドイツの迫害が始ると多くは他の地域に移住、300人居た人達も収容所に送られ、戦争終了後は僅か3人が残っただけだったという。
現在でも約123棟の建物、学校、病院、工場、ユダヤ人墓地などが残されいて、「ユダヤ人集落の全機能が残る場所」として2003年に世界遺産に指定された。



                

ユダヤ人街の端にある「聖プロコビウス大聖堂」は、1290年ベネディクト修道院の一部に建てられたが、ハンガリー軍の侵攻後破壊された。18世紀に現在のゴシック様式に修復された。





 

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