存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

自分自身ではどうしようもない

2006-06-18 18:00:53 | 音楽
自分自身の責任でもないのに降りかかる災難に
やり場の無い苦い思いを抱いた人なら解るのかもしれない
失恋ならまだしも、
恩を仇で返されたような
裏切られたような嘆きに浸る余裕も無い

こういうとき
テクノやPOPSを聴くと
いつも感じる心地よさは喉にプチプチと刺さるような
気がして

今日はマーラーのアダージョや
ビル・エヴァンスのAFFINITYを聴いてみた
ささくれ立っている感情を逆なでしないで
時には深く時にはソフトに

冷や汗が止まる訳ではないけれど


谷川俊太郎が
誰も読まなければ ただの文字の集まりに過ぎないので
読まれたがっている 詩として書かれているものに出会う話をしていたことがあった。
再生される音の厚みも同じなのかもしれない




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THE BACK HORN

2006-06-18 05:42:53 | 音楽
昨夜、とある音楽番組で宇多田ヒカルがニューアルバムの宣伝をやっていた。
そこでのコメントで山田将司というミュージシャンを起用した話があり

「何で俺なんだよ?」という山田氏に対して、「根暗な感じが似合うかな」と言うと笑っていました。

などを聞いていると、調べてみたら THE BACK HORN というバンドのヴォーカリスト
詳細はこちらから。試聴も出来ます。

以下は気になったコメント内容です。

今までよりも、「そんなことを言っちゃっていいの?」という自分自身の中身を表現しちゃうようになってきました。4年間の人生経験が豊富であったからかもしれないけど、これまでは敢えて隠していたのに、どうして隠すんだ?攻めろ!攻めてみろ!と

白人ならポップス・ロック、黒人ならヒップ・ポップって感じでアメリカではジャンルが人種。
日本人で特に自分はどのジャンルに固執せずに聴いてきたから、日本人はどのジャンルもいける。
何かのジャンルを突き詰めると限界がきちゃって、ジャンルを極めることは私らしくなくなるということでもある。
私らしく というのは、非ジャンル的な方向にどんどんなっちゃう。
非ジャンルを突き詰めると、それも限界がきちゃう

いつも宇多田ヒカルのコメントは面白い。
以前もコメントしたが、彼女のトークでの声も好きで心地よい。

最近は教授のリミックス以降からは過去の様々な曲ばかり聴いていたんで、彼女のニューアルバムを聴いても良いかな。元ちとせのニューアルバムも聴かないままやしねー
でも、今は無理に聴こうとは思いません。

コメント (2)
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ブルース・スプリングスティーン 1975ライヴ

2006-06-18 00:28:49 | TV番組
「涙のサンダー・ロード ~Thunder Road~」
「凍てついた十番街 ~Tenth Avenue Freeze-Out~」
「夜の精 ~Spⅰrⅰt In The Nⅰght~」
「彼女でなけりゃ ~She’s The One~」
「明日なき暴走 ~Born To Run~」
「裏通り ~Backstreets~」
「Jungleland」
「Rosalⅰta」
「Quarter To Three」
「Hungry Heart」
「The Rⅰver」
「The Ghost Of Tom Joad」
1975年のロンドン・ハマースミスでのライヴ
BSで放送中!
しっくりとくるのは、佐野元春がアレンジで使っているフレーズ、浜田省吾に通じるものもあり、
勿論、昔から聴きなれている曲も多くて
という理由からだと思う。

コメント (2)
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