今日は録画して見ました。録画するとメモするって感じにはなりませんね。
話は前後しているかもしれないし、うる覚えで書いてます。
印象に残ったことは
永瀬氏が44歳、キョンキョンと古田氏は45歳
テーマは死生観でした。
小泉
相米監督が2001年に亡くなった時、今でもハッキリ覚えているとキョンキョン。永瀬夫妻は夫婦喧嘩みたいになった。
亡くなった連絡を彼に伝えに言ったら、それを認めたくないような、凄く動転していて、キョンキョンも「私に言われたって」みたいな感じで感情的になって・・
永瀬
そうだったね
小泉
40になった時に人生折り返しだねって言われて、子どものころは死というものに憧れがあって、良くわからないものだから、死って美しいとか思ったりしていたけれど、折り返しだねって言われてから、段々これから0に近づいていくのなら、その準備をしておかなくちゃいけないなって思ったりするようになった。20代で父が亡くなって、その時はなくなる瞬間を看取ったのね。人が亡くなる瞬間って、こんな感じなんだ。スッと命がなくなっていく感じで、物凄い神聖で尊厳があるものだった。良かったねって父に語りかけたくなるようなそんな感じだった。
古田
俺も父が亡くなってて、亡くなった時は芝居があって行けないので、娘達を神戸に行かせたんだけど、その時に鉄骨が頭にぶちあたって36針縫って、これは芝居が出来ないという状態になったので、葬式に行けるなと思ったので、駆けつけたのね。
小泉
えー。きっとお父さんが怒ってたんだよ。ちゃんと来ないかってっね。でも12針くらいにしてくれれば良かったのにね。
古田
自分達の先輩とか親戚とかが亡くなったりして、死を意識するようになった。結婚式に呼ばれるより葬式に行くほうが多くなってきた。
小泉
そうね。親戚とかね。
古田
遺言とか書く?
小泉
考えたこと無い、書く相手が居ない。
永瀬
書く相手は僕も居ない。
古田
学生の時に映像を撮っていて
永瀬
誰にむけて撮ったの?
古田
参列者一般を想定して、雨の日ヴァージョンとか撮った。
(一同笑い)
古田
お墓参りとかしないので、自分のお墓って要らないかなって思う
小泉
私はお墓参り好き。小さい頃から菩提寺には子どもが遊んだりする遊具もあったりして、よく参っていたの。それで今でもそこにいってお参りする。
永瀬
僕もお墓参り好きですね。
古田
永瀬君は宮崎じゃないの?
永瀬
そうですね、宮崎に帰ると、必ず行こうと思いますね。好きだったお爺さんと弟が入っているからかな。弟は赤ちゃんの時に亡くなってて、一度くらいしか抱いたことが無いんだけれど、一人っ子になるのが嫌で弟がいるんだって思っていたかったのかもしれない。
古田
お墓は熊本なんで、億劫でね。
小泉
自分のお墓を作ってもね、あと困っちゃうかもしれないし。無縁仏みたいなので。
永瀬
相米監督が亡くなって、もっとこの人の作品を見たかったし、清志郎さんもなくなってしまったでしょ。清志郎さんの歌ももっともっと聴きたかった。バンドをやっていた仲間がジェット機である時いきなり死んでしまったり。
死ぬまでにいつかタイムリミットが来るんだから、生きている間に何か一つでも二つでも表現できるんじゃないのかなって思って、先輩とか若い人とかに、語りかけてやるようになりましたね。
小泉
そう、今回の映画で一緒に仕事して、変化を感じたの。前は、どうしてもこうなってしまうんだ。そこには私は入って行けないんだ、ふーん。という感じでポツンといる感じだったのね。それが、今言ったみたいに自分のことを話すようになって、言い方が悪いかもしれないけれど、ちょっと大人になった感じがする。きっとテレビのこういう番組でこれだけ喋るのは初めてじゃない?
永瀬
俺、さっきから、喋りすぎて大丈夫か俺?って自問自答してたんだ。
古田
40代半ばになって、弱ってきたね。自分自身も弱ってきたし。
小泉
そう、自分が出来ることがこれぐらいなんだ。若いときは絶対に自分が全部やらなきゃとか譲れなかったのに、最近は甘えられちゃうというか。甘えていいかなって。
古田
年齢を重ねるからこそ新しいもの、これから出来ることって増えていくかもしれないね。
小泉
年齢的というか肉体的な衰えと精神的な向上がクロスしていく感じがあるかもしれないですね。
話は前後しているかもしれないし、うる覚えで書いてます。
印象に残ったことは
永瀬氏が44歳、キョンキョンと古田氏は45歳
テーマは死生観でした。
小泉
相米監督が2001年に亡くなった時、今でもハッキリ覚えているとキョンキョン。永瀬夫妻は夫婦喧嘩みたいになった。
亡くなった連絡を彼に伝えに言ったら、それを認めたくないような、凄く動転していて、キョンキョンも「私に言われたって」みたいな感じで感情的になって・・
永瀬
そうだったね
小泉
40になった時に人生折り返しだねって言われて、子どものころは死というものに憧れがあって、良くわからないものだから、死って美しいとか思ったりしていたけれど、折り返しだねって言われてから、段々これから0に近づいていくのなら、その準備をしておかなくちゃいけないなって思ったりするようになった。20代で父が亡くなって、その時はなくなる瞬間を看取ったのね。人が亡くなる瞬間って、こんな感じなんだ。スッと命がなくなっていく感じで、物凄い神聖で尊厳があるものだった。良かったねって父に語りかけたくなるようなそんな感じだった。
古田
俺も父が亡くなってて、亡くなった時は芝居があって行けないので、娘達を神戸に行かせたんだけど、その時に鉄骨が頭にぶちあたって36針縫って、これは芝居が出来ないという状態になったので、葬式に行けるなと思ったので、駆けつけたのね。
小泉
えー。きっとお父さんが怒ってたんだよ。ちゃんと来ないかってっね。でも12針くらいにしてくれれば良かったのにね。
古田
自分達の先輩とか親戚とかが亡くなったりして、死を意識するようになった。結婚式に呼ばれるより葬式に行くほうが多くなってきた。
小泉
そうね。親戚とかね。
古田
遺言とか書く?
小泉
考えたこと無い、書く相手が居ない。
永瀬
書く相手は僕も居ない。
古田
学生の時に映像を撮っていて
永瀬
誰にむけて撮ったの?
古田
参列者一般を想定して、雨の日ヴァージョンとか撮った。
(一同笑い)
古田
お墓参りとかしないので、自分のお墓って要らないかなって思う
小泉
私はお墓参り好き。小さい頃から菩提寺には子どもが遊んだりする遊具もあったりして、よく参っていたの。それで今でもそこにいってお参りする。
永瀬
僕もお墓参り好きですね。
古田
永瀬君は宮崎じゃないの?
永瀬
そうですね、宮崎に帰ると、必ず行こうと思いますね。好きだったお爺さんと弟が入っているからかな。弟は赤ちゃんの時に亡くなってて、一度くらいしか抱いたことが無いんだけれど、一人っ子になるのが嫌で弟がいるんだって思っていたかったのかもしれない。
古田
お墓は熊本なんで、億劫でね。
小泉
自分のお墓を作ってもね、あと困っちゃうかもしれないし。無縁仏みたいなので。
永瀬
相米監督が亡くなって、もっとこの人の作品を見たかったし、清志郎さんもなくなってしまったでしょ。清志郎さんの歌ももっともっと聴きたかった。バンドをやっていた仲間がジェット機である時いきなり死んでしまったり。
死ぬまでにいつかタイムリミットが来るんだから、生きている間に何か一つでも二つでも表現できるんじゃないのかなって思って、先輩とか若い人とかに、語りかけてやるようになりましたね。
小泉
そう、今回の映画で一緒に仕事して、変化を感じたの。前は、どうしてもこうなってしまうんだ。そこには私は入って行けないんだ、ふーん。という感じでポツンといる感じだったのね。それが、今言ったみたいに自分のことを話すようになって、言い方が悪いかもしれないけれど、ちょっと大人になった感じがする。きっとテレビのこういう番組でこれだけ喋るのは初めてじゃない?
永瀬
俺、さっきから、喋りすぎて大丈夫か俺?って自問自答してたんだ。
古田
40代半ばになって、弱ってきたね。自分自身も弱ってきたし。
小泉
そう、自分が出来ることがこれぐらいなんだ。若いときは絶対に自分が全部やらなきゃとか譲れなかったのに、最近は甘えられちゃうというか。甘えていいかなって。
古田
年齢を重ねるからこそ新しいもの、これから出来ることって増えていくかもしれないね。
小泉
年齢的というか肉体的な衰えと精神的な向上がクロスしていく感じがあるかもしれないですね。
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