おく山のおどろが下も踏みわけて 道ある世ぞと人に知らせむ
後鳥羽上皇
29歳の頃の作品らしい。北条義時追討の院宣を下し、承久の乱で幕府に敗れ、隠岐に流され、京都に戻ることなく死去する。「あるべき道」を求めた後鳥羽の決意を政治的敗北者のものとして詠むか、異なる視点で詠むかで、この歌の印象は変わった。
後鳥羽上皇
29歳の頃の作品らしい。北条義時追討の院宣を下し、承久の乱で幕府に敗れ、隠岐に流され、京都に戻ることなく死去する。「あるべき道」を求めた後鳥羽の決意を政治的敗北者のものとして詠むか、異なる視点で詠むかで、この歌の印象は変わった。
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