実家で一人暮らしをしている母が88回目の誕生日を迎えた。
市内に住んでいる二人の叔母にもお祝いに駆けつけて貰ってささやかな昼食会を開いた。
食事の最中に川口在住の末っ子の叔母からも電話でお祝いのメッセージが届いた。
「親思い」が欠如している子供達よりも、妹達の方が「姉思い」のようだった。
80歳のお祝いの時は孫子や叔父叔母が勢揃いし鳴子温泉で開催したのと較べると、大分
見劣りする形となったが、「先に立って事を進める子供」が居ないので仕方の無いこと。
母は年齢の割には相変わらず元気だが、老衰は着実に進んでいて一人暮らしも限界に
近づきつつあるように感じられる。
「有事の際」にどうするかを「子供達の間で協議すべき」と思って動いたこともあったが、
結果的に「小さな親切、大きなお世話」にしかならなかったので今は「静観」を決め込ん
でいる。
市内に住んでいる二人の叔母にもお祝いに駆けつけて貰ってささやかな昼食会を開いた。
食事の最中に川口在住の末っ子の叔母からも電話でお祝いのメッセージが届いた。
「親思い」が欠如している子供達よりも、妹達の方が「姉思い」のようだった。
80歳のお祝いの時は孫子や叔父叔母が勢揃いし鳴子温泉で開催したのと較べると、大分
見劣りする形となったが、「先に立って事を進める子供」が居ないので仕方の無いこと。
母は年齢の割には相変わらず元気だが、老衰は着実に進んでいて一人暮らしも限界に
近づきつつあるように感じられる。
「有事の際」にどうするかを「子供達の間で協議すべき」と思って動いたこともあったが、
結果的に「小さな親切、大きなお世話」にしかならなかったので今は「静観」を決め込ん
でいる。