大工の棟梁だった平泉の叔父(バアチャンの直ぐ下の弟)は40年前に逝去している。
内弟子を8人も育てており昨年我が家でお世話になった棟梁さんは叔父の三番弟子だった。
その棟梁さんが内弟子時代(4~5年)の師匠の厳しい指導振りについて時々話題にしていた。
それでも、叔父の命日には弟子が全員集まって「墓参りを欠かさない」と聞き職人世界の絆の深さに
感心させられていた。
内弟子時代に母親代わりだった叔母が先日亡くなり15日火葬、16日通夜、そして今日の葬儀、
告別式、初七日法要には弟子8人が顔を揃えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/4a/3fa777fc0beed37cd7df24283494aeda.jpg)
葬儀で弔辞を読んだ二番弟子の方から当時の苦労話などを聞く機会があった。
自分の子供以外に食べ盛りの男の子3~4人を同時に養っていた叔母の苦労は並大抵のものではなかった
らしく、また、弟子の皆さんの苦労も半端ではなかったようだ。
その苦労が実り、今では皆立派な棟梁としてまた工務店経営者として名を成している。
「昔の人はそのような苦労を経て力を付けたのですね」と賛辞を送ってから弟子の皆さんの年齢を
聞いて驚いた。
なんと一番弟子の棟梁さんでさえ私よりも年下だった。
内弟子を8人も育てており昨年我が家でお世話になった棟梁さんは叔父の三番弟子だった。
その棟梁さんが内弟子時代(4~5年)の師匠の厳しい指導振りについて時々話題にしていた。
それでも、叔父の命日には弟子が全員集まって「墓参りを欠かさない」と聞き職人世界の絆の深さに
感心させられていた。
内弟子時代に母親代わりだった叔母が先日亡くなり15日火葬、16日通夜、そして今日の葬儀、
告別式、初七日法要には弟子8人が顔を揃えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/4a/3fa777fc0beed37cd7df24283494aeda.jpg)
葬儀で弔辞を読んだ二番弟子の方から当時の苦労話などを聞く機会があった。
自分の子供以外に食べ盛りの男の子3~4人を同時に養っていた叔母の苦労は並大抵のものではなかった
らしく、また、弟子の皆さんの苦労も半端ではなかったようだ。
その苦労が実り、今では皆立派な棟梁としてまた工務店経営者として名を成している。
「昔の人はそのような苦労を経て力を付けたのですね」と賛辞を送ってから弟子の皆さんの年齢を
聞いて驚いた。
なんと一番弟子の棟梁さんでさえ私よりも年下だった。