昨日の当ブログのアクセス解析で10年以上前の記事「農業が人間生存の
原点」へのアクセス数が多いのに驚き改めて読み直してみたら、極めてタイム
リーな内容であることが分かった。
ロシアのウクラナイ侵攻で日本の食料自給の脆弱性が改めて浮き彫りにな
っているが、更に、今年から農業への補助金制度が大胆に変更されたことや
米価安で離農を決断する農家が急増することが予想されている。
佐賀県在住の著名な農民作家山下惣一さんの一文は、そんな危機的状況の
日本に必要なのは「食糧であって核ではない」ことを再確認させてくれてい
るかのようだ。
「農業が人間生存の原点」[全国農業新聞(2011.1.14) 本音のホンネ欄より]
久し振りに東京の農業の一端を見せていただいた。帰って女房に話すと
久し振りに東京の農業の一端を見せていただいた。帰って女房に話すと
「えーっ、東京にまだ百姓がおると?」と目を丸くした。おりますとも。
がんばっていますよ。
昨年12月に開催された「食と農のセミナー」の会場となった武蔵野市は
昨年12月に開催された「食と農のセミナー」の会場となった武蔵野市は
人口13万人、世帯数7万戸。農家82戸、うち専業農家20戸、農地34haだ。
住宅地の中に点々と畑がある。
「文字通り絶滅危惧種ですよ」。駅前で果樹園を営む竹内昭博さん(55)は、
「文字通り絶滅危惧種ですよ」。駅前で果樹園を営む竹内昭博さん(55)は、
そう言って笑った。「だけどトキやメダカほどは同情されませんね」
農業を続けることが極めて困難な状況下で、それでも農業に生きる人たち
農業を続けることが極めて困難な状況下で、それでも農業に生きる人たち
には、それなりの理由、根性、信念、哲学、思想がなくてはとても踏ん張れな
い。
フツーの人はとっくに農業から去り、残っているのはツワモノばかりだ。
私が大きな影響を受けた世田谷区用賀の飯田勝五郎さんも、そんなひとり
だった。故人になられたが、土地バブルの初期の頃、雑誌の取材で高級住宅地
の中の古い茅葺きの家を訪ね、いきなり「どうしてこんなところで農業をやっ
ているんですか」と問うた。
相手はしばし沈黙し「いけませんか?」と顔を上げ、「こんなところで農業
相手はしばし沈黙し「いけませんか?」と顔を上げ、「こんなところで農業
をやっているのではない。こんなところになってしまったんだ」
その時、飯田さんに言われた言葉が今も私の胸に深く刻み込まれている。
その時、飯田さんに言われた言葉が今も私の胸に深く刻み込まれている。
「あなたはまだ若い。日本の歴史を考えてごらんなさい。私が生きた時代だ
けでも大震災があり不況があり戦争と敗戦の混乱があり、天変地異や気象災害
は必ず来る。
どんな状況下でも耕す土地があればなんとか生きていけるが、それを失った
どんな状況下でも耕す土地があればなんとか生きていけるが、それを失った
らどうしますか。また満州にでも行きますか」
東京の農家ばかりではなく、いま全国の農山村で踏ん張っている人たちに
も、これは共通する思いだろう。目先の損策勘定だけでやっているわけでは
ないのだ。月夜もあれば闇夜もあるぞ。農業が人間生存の原点であることを
忘れてはなるまい。東京の農業は日本の農業の縮図であり、がんばる農家は
私たちの道しるべだと思う。
午後になると「強い雨になる」との予報だったので、産直巡りは午後に
回し、早朝から後ろの畑の圃場整備に着手した。