ドストエフスキーの父は暴君だった。外向きには。小領主(父)の横暴を怒った農奴に父は虐殺される。ま、農民一揆で殺されたわけだ。外面的には、自分の領地の農民に対しては暴君だったことは間違いない。
家庭内ではどうだったか、やはりドメスチック・バイオレンス・パパだったのか。世の中には内面、外面ともに横暴なのがいる。そうかと思うと外面が暴君でも家庭内では徹底的に過保護で息子や娘がどんな法律違反をしても破廉恥なことをしても断固として擁護する父親もいる。
また、外面は柔和だが家庭内では鬼になるのもいる。じゃによって、ドストエフスキーの父は家庭内でも暴君だったか、どうか、問うのである。
ドストエフスキーについては自伝はないようだ。伝記はいくつかあるようだが、研究者向けで図書館か古本屋にいかないと見つかりそうもない、というのがインターネットで見当をつけたところ。
実物を一つも見ていないのでドストの父の家庭内での暴君性の有無は分からない。亀山郁夫氏はカラマーゾフの兄弟には自伝的要素が(一面で)あると書いている。江川卓氏も「謎ときカラマーゾフの兄弟」のなかで同様のことを書いている。DV部分のことなのかどうなのか気になるところである。
大体、自伝とか回想録的なものは晩年になってから、はじめて筆を染めるのが普通だから、ドスト最晩年の「カラマーゾフ」になって初めて書く気になったのかもしれない。
生意気な奴は30歳で自伝を書く奴がおるが。
もっともドスト氏が自分の家庭、父をそのまま小説に書くはずはない。そこは神話的構造変換をほどこすであろうがね。