穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

村上春樹氏の高校図書館貸出記録流出

2015-12-02 08:23:08 | 村上春樹

ちょっとした議論になっているようだ。高校時代というと右も左も分からない時代で成人の場合と分けて考える必要があるかもしれない。 

ネットなどの孫引き報道によると、廃棄処分になった記録を調べていた臨時雇いが大分前に廃棄処分になっていたらしい資料のなかに見つけたらしい。捨てろと云われた臨時雇いが一々内容まで読んだというのも解せない所だ。臨時雇い(ボランティア)が村上春樹氏の貸し出し記録を見つけてご注進ご注進と神戸新聞に持ち込んだ(売り込んだ?)のを神戸新聞が理屈をつけて転載したという。

中学高校時代には学校の図書館を利用したこともあるが、成人してからはなるだけ図書館を利用しない様にしている。よほど特殊で新刊書店で入手出来ない資料(年鑑など)を図書館で必要に応じてまれに見るくらいである。小説の類いは図書館を利用することは皆無である。このことはこのブログでも再三触れて来た。同様に古本にも手を触れない。ま、人様々である。

図書館の規則に抵触するか、学校図書館の場合はどうか、一般的なプライバシー保護の観点からはどうか、など様々な意見があるようだが、ここでは見られる側の気分から述べたい。もっとも人によって色々でおれは若いときからこういう難しい本を沢山読んでいると自慢する鼻持ちならないヤツもいる。

ちょいと脱線するがこういうヤツの例を思い出した。高校時代に学校に講演に来た東大教授である。フランス文学の権威である。名前はだれでも知っているからここでは出さない。その人が高校時代におれは毎日三冊本を読んだと自慢するんだね。こういう俗物もいる。沢山いるかも知れない。

村上春樹氏は自分の著書の行商で表に顔を出すことがない。彼の性格からすると今回のことは不愉快だろう。

ひるがえって(大げさだが)自分の場合を考えると何が嫌だと云って家に来た客が本棚の前に立ってしたり顔に長々と本棚を点検して感心した様に褒めることである。

私に取って本棚の本は排泄物である。人に排泄物を見られて喜ぶ人間は少ない。読んだ本は食物と同じでその1パーセントから X パーセントは咀嚼吸収されて身となりエネルギーとなる。残りは排泄物として本棚という一時保管所に並べられるのである。

そして実態をいうと、咀嚼率というかエネルギー変換率は平均して低い。せいぜい10パーセントであろうか。換言すれば下らない本を読むことが多いのである。何しろ活字中毒だし、世の中そんなに安くておいしいレストランはおおくないのである。しかし食べなければ(読まなければ)飢餓状態になる。そういうことだ。

エネルギー変換率が低いということは読書傾向が低俗ということかも知れない。それで、なおさら人が泥棒の様に目を皿の様にして本棚の前に立つのが我慢がならない。

村上春樹氏の場合はどうかな。