穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

田中英光は私小説作家ではない

2015-12-19 09:39:55 | 田中英光

 オリンポスの果実を読んだ。「ぼく」の回想というか告白体で記述されている。1940年発表(昭和15年)。田中自身が早大生で、昭和7年のロサンジェルス・オリンピックにボートのエイト選手として出場したが予選敗退。

「ぼく」がナレイターで自分が出場したオリンピックの道中記を書いたから私小説と云えるのか。彼の作品で読んだのは講談社学芸文庫の短編数作とオリンポスだけだが、私小説臭のある作品はそのなかにはない。「さくら」という作品は自分の父の実家の伝記風なところがあるが(ただし短編なので挿話風)、こんなものを書いた作家は無数にいる。

おっと、京城(今のソウル)での新入社員時代を描いた作品『愛と青春と生活』のみは私小説のにおいがする。これだけで私小説作家とレッテルを貼ることが出来るのか。

もっとも、自社(自者)作品を差別化して付加価値を付けようと自分で私小説を売りにする作家もいる。それは自由であるが、田中英光自身が自分を私小説作家と称していたのか。

太宰治の子分であったから、そう分類されるのか。太宰の初期作品は私小説であると説を立てる者もいるようだが。あるいは彼自身が自分は私小説作家であると云っていたなら何もいうことはないのだが。

ロサンジェルスでのメダリストはほとんどが競泳選手である。ほかに陸上では走り幅跳び、棒高跳び、三段跳びである。それに大障害馬術のみである。団体競技ではホッケーが銀メダルなんだね。女子選手もたくさん出場したようだが、メダリストは競泳の前畑のみ。

この小説を実録風、ノンフィクション流に読むという手もある。「ぼく」と女子選手達の話が相当部分を占めるのだが、嘘かまことか、当時の世相でよく書けたなというところはある。つまり寄宿舎の女性監督風の観点からは問題な箇所がある。

まだよき時代であったのだろう。これが次のアムステルダム・オリンピックあたりになると世相も大分軍国主義的になっていて、たしか馬術の選手(軍人)は入賞を逃したら上官から死ねとか云われたことがあるらしい。

昭和初期のモガモボ(モダンガール、モダンボーイ)時代の終わりで満州事変も始まる直前の「よき時代」の終わりであったようだ。私事になるが、親戚の女性が陸上の選手として参加していた。勿論入賞もしていないが、この小説をみて女子選手団の船上での比較的奔放な行動を読んで、彼女たちのことを思わず想像してしまった。

今のオリンピック選手団の女性の行動の方が当時よりも監視されているみたいだ。マスコミも群れているからね。

付け加えると、ボート選手のなかで年少の「ぼく」はいじめの対象になっていて、その情景がやけに詳しく描かれている。いじめ告発までは云っていないが、体育会風の今に続くいじめとあまり変わらないようだ。

私小説の定義の一つに社会とのつながりが希薄である、あるいは峻拒しているというのがあるらしいが、この小説は女性選手たちとの交流、ボート選手の間のいじめ、現地での二世や外国人女性との交流等むしろ非常に幅広く描写されている。その意味でも私小説と囲い込むのは『贔屓の引倒し』ではないかと思うのである。