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穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

26:精神医学と哲学の接点

2019-09-14 08:54:47 | 破片

 「プラトンというとソクラテスを主人公とした対話篇を書いた人でしょう。『弁明』とか、むかし一、二冊文庫で読みましたよ。もっともほとんどタイトルは勿論、内容も忘れましたが」と第九が呟いた。「自然哲学と言うと、現在で言うと物理学みたいなものなんですか。あんまりそんな議論はなかったようだが」と彼は記憶をたどりながら訊いた。「人はどう生きるべきか、とか倫理的な話だったな」

 「そうなんですね、しかしね、倫理学とか道徳なんかを言いだしたのはソクラテスが初めてなんですよ。それまでもいわゆる『ソクラテス以前の哲学者』、イオニア学派とかね、沢山いたんですが、世界は何で出来ているかとか、宇宙はどういう元素で構成されているかということを論じていたわけです。現代で言えば理論物理学ですよね。デモクリトスの原子論なんて言うのは知っているでしょう。思弁的ですがね。だからプラトンもそういう先人たちの議論を批判的に論じているんです」

 「それも対話篇なんですか」

「ええ、もっとも集中的に論じているのはティマイオスという対話篇なんですがね」

「聞いたことがないな。本屋でも見かけませんね。もっとも私は文庫の棚しか見ないけど」

「そうでしょう。あまり聞いたこともない本でしょうね。ほかにも文庫本であるものでは『国家』とか『法律』や『パイドン』なんかに出ていますが部分的な記述です」

「へえ、『国家』なんてよく見かけるな。読んだことは無いけど、タイトルからして政治論か政治倫理の話かと思っていた」

「その通りなんですけどね。プラトンは長大な対話篇の中にごった煮的にいろいろな議論を紛れ込ましているんですね。よほど注意して読まないと読み飛ばしてしまうでしょう」

  女主人はいささか議論に退屈したようだった。レジにいた若い女性を呼んだ。「長南さん、いらっしゃいよ、ギリシャ哲学の話よ」

アルバイトらしいその女性はまだ二十代の初めらしい。女主人が紹介した。「彼女は大学で哲学を専攻しているの。そうよね。いまこちらの方がギリシャ哲学の話をしていらっしゃるのよ。勉強になるからお聞きなさいよ」といった。

  橘氏は哲学専攻の大学生と聞いて一瞬身構えたように見えた。ちょっと心配そうな顔をした。なんとなく落ち着きを失ったようだった。彼女が席に座ると、第九が口を開いた。「アリストテレスには『自然学』という大著があるらしいけど、あれも自然哲学になるのですか」「そうですね」

 下駄顔が追い打ちをかけるように疑問を呈した。「古代のギリシャのそういう思弁が現代にも参考になるようなことがあるんですかね」

  はははは、と橘氏は照れ臭そうに笑ってごまかした。「ないともいえない、というのが面白いところで」と言うと弁じるまえに水を口に含んで喉に湿りを与えた。

「プラトンは古代、中世の思想界を支配しました。12世紀になると欧州にはまったく伝わらなかったアリストテレスの思想がアラビア経由でなだれ込んできてアリストテレス一色になった。その流れを変えたのがルネッサンスです。後期ルネッサンスですが。プラトンやアリストテレスが否定されてソクラテス以前の自然哲学者が二千年ぶりに復権したんです。代表的なのはデモクリトスやレウキッポスの原子論です。17世紀の科学革命はデモクリトス思想の復活ですよ」

  プラトンはどうなりました、と禿頭が聞いた。倫理学やイデア論の分野では相変わらず影響力は続いていますね。自然哲学のほうでは完全にぽしゃったんですか」

「それが面白いことに、二十世紀になると例えば量子力学の創始者のひとりであるノーベル物理学賞受賞者のハイゼンベルグなんかは『ティマイオス』の幾何学的原子論に興味を示している」

「復活しそうですか」

「さあ、そこまでは分かりませんがね。いずれにせよ、理論物理学なんて最先端では形而上学になりますからね。ようするに考え方ですから。ところでメタフィジックスを形而上学と翻訳するのは間違いでしょうね。メタ(上のほう、奥のほう)、フィジックス(物理学)だから、翻訳するなら第一物理学あるいは基礎物理学とすべきです」