と第九が目をすぼめた。ぎろりと少し光ったようである。「それで哲学と精神医学はお互いに学際的な連携をしているのですね」
「まあ、そういうことです。簡単に言うと」
「しかし」と第九は疑問を口にした。「現在の哲学界と言うとスーパースターがいないようだが。体裁のいい言葉でいうと百家争鳴といいますかね。現代哲学の諸派のなかでもおのずから精神医学と仲良くなる流派があるんでしょうね」
「いいことをおっしゃる」と橘氏はさっき汚れた手を拭いたペーパーナプキンをテーブルから取り上げると、くしゃくしゃになったナプキンを丁寧に広げて顔を拭いだした。とくに鼻の横を入念に拭いている。
「ご指摘のように現代の哲学界は茶道かお花の世界のようでしてね。めいめいが勝手なことを唱えている。華道や日本舞踊の家元制度みたいなものですよ」
「するってと」と禿頭が口を挟んだ。「精神医学の世界も哲学の各家元と結託しているわけですな」
「結託というのは人聞きが悪いが実質はそうですな」と今度は手にまだ持っていた汚れた紙ナプキンで抜け上がった前頭部を二、三度叩いた。
「現象学的な哲学と連携している連中がいる。そもそもは前世紀のヤスパースなんかがそうですね。ヤスパースは自分自身も精神科医でした。精神病理学概論なんて著書もある。それから実存主義と親近性のある一派がある。驚いちゃいけませんが分析哲学と交流のある連中もいるのです」というと今度は紙ナプキンで耳の穴を掃除したしが、思い出したように言った。
「おっと忘れちゃいけないのがフロイトの精神分析です」
「ああ、あの天一坊のような男ね」と下駄顔が注釈を入れた。
「天一坊とはひどいな」と橘さんはびっくりしたような顔をした。
「やはりアメリカに子分が多いんですか」
「なんていうのかな、心理療法プロパーとしてはアメリカに信者がおおい。しかし精神分析というのはフランスの哲学界と親近性が強いんですね」
妙なものですね、と第九が呟いた。そして思い出したように「あなたの関連業界では、業界と言っては失礼だが、心理療法とかサイコセラピストとかいうのがいるでしょう。あれも似たように同じような流派があるようですね」
橘氏は興味深そうに第九を見た。「よくご存じですね」
「いや彼は心理療法士の手を煩わせたことがあるのさ」と下駄顔が説明した。
へえ、と橘氏が言うと、「実はね、パニック障害というのか、前にエレベーターの中で失神したことがあるんです。それで会社の命令で怪しげな心理療法士のカウンシルをしばらく受けたことがあります」
「ほう」
「そのときに胡散臭いことをされてはやばいと思って心理療法なるものを調べたんです。そうしたら、いまあなたのおっしゃったことと同じ状況があるということが分かったのです。つまり哲学、心理学のいろいろな流派によってまるっきり違う診断法や治療法があるということを知ったのです。